第103話 頑張り屋の努力

 壁ドンの後、無事? に顎クイとお姫様抱っこを済ませた俺は、全速力で走るよりも疲弊してしまい、その場で座って息を乱していた。


 これでもお姫様抱っこをした経験はある。壁ドンと顎クイは初めてとはいえ、ゆいとはそれ以上の事はしているんだから、別にどうって事ないと思ってた。


 けど、それは俺の考えが甘かった。壁ドンも顎クイもめっちゃドキドキしたし、お姫様抱っこに至っては卒倒するところだった。


 だって、恋人であるゆいの感触が、ダイレクトに伝わってくるんだぞ? そんなの……耐えられた方が奇跡だって!


「西園寺先輩の時、よく耐えられたな俺……ゆい、大丈夫か?」

「ふにゃあ……」


 俺は何とか耐えきったが、耐えきれなかったゆいは、俺のすぐ隣で目を回している。可愛すぎて、このまま手を出してしまいそうだ。耐えろ俺!


「困ったな、このまま寝かせておいたら風邪を引いてしまう。押し入れの中に毛布とか無いか……? ごめんゆい、ちょっと押し入れ開けるな」


 罪悪感に苛まれながらも押し入れを開けると、そこには小さな布団が一式と、大量の段ボールが詰め込まれていた。


 凄い量だな……押し入れの下の段にぎっしり詰め込まれてる。これも漫画……? それにしてはあまりにも量が多すぎる……。


「……もしかして」


 俺はゆいに毛布を掛けてから、段ボールを一つ取り出して中身を確認すると、そこにはいろんなイラストが描かれていった。その他にも、建物や風景のイラストに加えて、ちゃんとした漫画も入っていた。


 これ……ひょっとして、全部漫画の練習なのか? こんなの、数ヶ月で描けるような量じゃないぞ!?


 恐らくだけど、今までゆいがコツコツ描いてたものが、ここに全て集約されているのだろう。そう思うと、ゆいの努力の量に驚きつつも、それだけ漫画の世界に逃げ出したくなるほど、現実がつらかったんだろう……。


「ゆい……」


 試しに漫画が描かれている紙を取り出して見てみる。絵柄も今ほど上手くないし、内容もかなり陳腐なものだけど……俺はこの漫画に激しく心を揺さぶられた。


 なぜなら、この漫画が……ゆいの心が助けを求めているように見えたからだ。


「もう大丈夫だからな。絶対に俺が守って……支えるから」


 取り出した漫画と段ボールを静かにしまった俺は、まだ気を失っているゆいの頭をそっと撫でてから、ゆいの小さな唇に自分の唇を重ねるのだった。



 ****



「……出来た!」


 更に月日が経ち――冬休みも終わりに近づいてきた頃、机に噛り付くように漫画を描いていたゆいが、突然バンザイをしながら声を上げた。


「遂に完成したのか!」

「はい! なんとか……!」


 嬉しそうに笑うゆいだけど、髪はボサボサだし、あまり寝てないせいで目の下のクマも酷いし、手には剥けてしまったマメがいくつもできている。


 本当に良く頑張った……そう思ったら、俺は無意識にゆいを抱きしめてしまった。


「は、陽翔さん! 駄目です……ここ二、三日お風呂に入っていないですから……!」

「そんなの気にしない。それよりも……おめでとうゆい。本当に良く頑張った!」

「陽翔さん……ありがとうございます!」


 夏休みの終わりぐらいからだから、四カ月くらいか……そんな短い期間で漫画を一本描いてしまうなんて、本当にゆいは凄い。これも今までの努力の結果だな。


「完成したのは良いけど……この後はどうするんだ?」

「えっと、出版社の人に話を付けて……漫画を見てもらいます。それで認めてもらえれば……」

「なるほどな。って……ゆい、連絡取れるか?」

「……き、緊張しますけど……これも夢を叶えるためですから……」


 引っ込み思案なゆいに出来るのか不安だったけど、ここで俺が手を出したらゆいのためにならない――そう自分に言い聞かせながら、大きく頷いて見せた。


「えっと……この番号でいいのかな……あ、もしもし……」


 たどたどしい手つきでスマホを操作するゆいは、出版社の人と電話を始めた。


 とりあえずはちゃんと話せているけど、かなり体が震えているし、言葉もかなりつっかえている。相当緊張しているみたいだ。


 なんとかゆいの緊張を和らげられないだろうか……? 声をかけるわけにはいかないし……そうだ。


「ゆい」

「……っ!」


 俺は電話の向こうの人に聞こえないように小声でゆいの名を呼びながら、手を差し伸べた。すると、ゆいは俺の手を握りながら、安心したように微笑んでくれた。


「はい……はい、じゃあその日に行きます……はい、失礼します」

「お疲れ様。どうだった?」

「えっと、編集の人が見てくれるそうです。日時も言われました」

「そうか、とりあえずよかったな!」

「はいっ。それでその……陽翔さん、その日なんですけど……」

「もちろん一緒に行くよ」


 不安そうに視線を落としていたゆいは、俺の言葉が嬉しかったのか、表情をパーッと明るくさせた。


「とはいっても、一緒に編集の人には会えないから、そこは一人で頑張るんだぞ?」

「は……はい。わかってるんですけど……やっぱり緊張しますし、怖いです。だから……その、勇気を分けてくれませんか?」

「それはいいけど、どうやって?」

「……ギュッてしてほしい、です」


 頬を赤らめ、上目遣いでお願いするゆいの要望通りに、俺はゆいの事を優しく抱きしめてあげると、ゆいは嬉しそうに吐息を漏らした。


「ゆいなら大丈夫……大丈夫……」

「陽翔さん……」


 抱きしめながら、頭を撫でる。勇気を分けると同時に、ゆいを安心させるために。


 頑張れゆい。ゆいなら絶対に出来るはず。そう思いながら、俺はゆいが満足するまで抱きしめてあげた――

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