第98話 将来のための一時の別れ

 翌日の朝、俺はホテルのベッドの上で目を覚ました。俺の隣では、ソフィアがスヤスヤと寝息を立てている。


 昨日は色々あって疲れた。精神的にも肉体的にもな。でも、ソフィアを少しでも元気にできたと思えば、安いものだ。


「ソフィア……」


 俺は頬をそっと撫でながら、愛しい人の名を呼ぶ。


 今思い出すと、昨日は我ながら随分と思い切った事を言ったものだ。アメリカの大学に進学……か。俺は勉強の中で一番苦手なのは英語だから、正直不安ではある。


 でも、自分で言った事を曲げたくないし、ソフィアのためなら頑張れる。絶対に合格して、アメリカでソフィアと過ごすんだ。そして、いつかはまた一緒に日本で戻って生活する。


「ハル……?」

「おはよう。もう朝だぞ」

「まだ眠いなぁ……はふぅ。すぐにごはん作るから~」

「ここは家じゃないから必要ないぞ?」

「え? あ、そうだったね。寝ぼけてたよ~」


 昨日の間に色々吹っ切れたのか、ソフィアはかなり元気になったみたいだ。顔色も良いし、表情も穏やかだ。


「もうちょっとのんびりしてようぜ。昨日はいろいろあったし」

「うん。アタシも疲れて動きたくないかも~……」

「二人して、あまり寝てないからな」

「だねぇ」


 疲れてるのに、二人揃って寝てないってどういう事かって? そんな野暮な事を聞くなって。


「アタシ喉乾いちゃった。お水飲んでくる~」

「ああ……って、だーから裸でウロウロするなって!」

「えー? だってもうずっと見てるじゃん! ほらおしりふりふり~♪」

「やめなさいっ! そんなにやってると襲っちゃうぞ!」

「きゃー襲われちゃうー♪」


 立ち上がったソフィアの手を軽く引っ張ってベッドに押し倒した俺は、そのまま――ソフィアの脇や横っ腹をくすぐり始めた。


「ちょ、くすぐったいよ~! もう、おかえしだ~!」

「こ、この! くっ……! やるじゃないか……!」

「あはははははっ!」


 まるで幼かった頃に帰ったように、互いにじゃれ合っていると、いつの間にか俺達は楽しそうに笑い始めていた。


「はぁ……はぁ……余計に疲れちゃったよ~」

「だな……でも、ソフィアはやっぱり笑顔が一番だな!」

「えへへ、ありがと!」

「個人的には、照れ顔を見せたくなくて隠してるけど、隙間から見えちゃってるあの顔も大好き――」

「わーすーれーてー!!!!」

「痛い! 普通に痛いから!」


 結構本気で殴ってくるな!? 痛いからやめてくれ! 俺が悪かったから!


「意地悪なハルなんて嫌い!」

「っ……!?」


 え、嫌い……? いやわかってる。これは本気で言ってないって事くらい。でも……すげえショックなんだけど。


「ど、どうすれば許してくれる?」

「うーん、そうだ! お水を持ってきてくださーい!」

「仰せのままに!」


 即座に立ち上がった俺は、パパっと服を着て部屋の備品の冷蔵庫から、水が入ったペットボトルを持って、ソフィアの元に帰ってきた。


「はい」

「それ、飲ませて!」

「はい? どうやって?」

「そんなの、口移しに決まってるでしょ~!」

「決まってるのか!?」

「してくれないなら、ハルの事はずっと嫌いだもん。つーん」


 くっ……こうすれば俺が断れないと分かってやってるだろ! いつからそんなに小悪魔みたいになったんだ! 俺はそんな風に育てた覚えはありませんよ! そもそも育ててないけど!


「わかったよ」

「やった~。はやくはやく~」


 観念した俺は、水を口に含んでからソフィアとキスをした。何度もしてるけど、どうにも緊張するし、頭がフワフワしてくる。


「んくっ……ごくっ……ぷはぁ。ハルに飲ませてもらうお水は最高だね! もっと~!」

「あのさ、これやってる方はめっちゃ恥ずかしいんだぞ?」

「何回もやれば、恥ずかしくなくなるよ、きっと!」

「何回もやらせる気かよ!?」


 結局俺は、ソフィアが満足するまで――具体的には水が全部なくなるまで、ソフィアに口移しをしてあげた。


 恥ずかしかったけど、ソフィアが喜んでくれたし……まあいいか。



 ****



 あれから時が経ち、冬休みの終わりが目前に迫ってきた頃。俺は再び日本の空港へとやって来ていた。


「う……ぐすん……ソフィアちゃん……」

「ゆいちゃん、そんなに泣かないでよ……アタシも泣いちゃうよ……」


 一緒に来ていたゆいは、涙を流しながらソフィアに抱きつくと、そのまま子供の様に泣きだしてしまった。


 今日はソフィアが本格的にアメリカに出発する日だ。だから、こうしてゆいや西園寺先輩に加えて、わざわざ生徒会の人達まで見送りに来てくれたんだ。


 ちなみに全員に事情を説明してるから、ソフィアがアメリカに行く理由はみんな知っている。


「ソフィアさん、向こうでも元気でな」

「ありがとうございます、玲桜奈ちゃん先輩。そうだ、転校の件でもいろいろやってくれたって、ハルから聞きました」

「なに、気にするな」

「小鳥遊ちゃん、しっかりお父様を元気づけてあげるのよぉん」

「はい。フルマラソンが走れるくらい元気いっぱいにしてきます」


 金剛先輩に笑顔で答えて見せるソフィア。でも、やっぱりどこか寂し気な感じに見えるのは、俺だけだろうか。


「それじゃ、そろそろ行かないとだから……みんな、お世話になりました!」


 深々とお辞儀をしてから、ソフィアは背を向けて歩き出した。


 これで、もうソフィアとは当分会えなくなってしまう――頭にそう過ぎった俺は、無意識に走りだして、ソフィアに背中から抱きしめた。


「ソフィア!」

「ハル……?」


 このまま無理やりにでも家に連れて帰りたい。ずっと放したくない。でも……それはソフィアのためにならない。


 だから、俺の言うべき言葉は――


「必ず会いに行くから! だから……いってらっしゃい!」

「っ……! うんっ! 行ってきます!」


 ソフィアは満面の笑みで振り返ると、そのまま俺にキスをしてから、日本を無事に発っていった。


 ソフィア……頑張れよ! 俺も頑張って、必ずソフィアの所に行くから!

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