ウィンター:アーリィ・モーニング
「……ん」
フォーキャストが自室で目覚めると、布団の中では同室のパノプティコンが静かな寝息を立てていた。
小柄な体に過酷な過去を持つこの15歳の少女は、しばしば夜中に悪夢を見る。
心臓を抜かれ、仰向けで雨に打たれる姉の姿。それはつぎはぎの妄想やイメージの産物ではなく、過去の彼女が実際に目にした光景の写実だ。
無慈悲なる邪眼のサイコ戦闘者、クイントピア最年少のA級冒険者のバックボーンには、未だ癒えきらぬトラウマがある。
フォーキャストはパノプティコンの金髪を軽く撫でて微笑むと、起こさないようにベッドから抜け出し、襦袢から着替えた。カーテン越しに弱弱しく差し込む光が、吐息を空中に白く浮かび上がらせていた。
彼女はそのまま1階に降り、リビングにある暖炉に薪を数本放り込んだ。指を向けるとそこから
じわじわと暖まっていく部屋の中、フォーキャストは手の中に白い息を吐いた。そして思い立ったように買い物袋を持ち、まだ薄暗い空の下へ出た。
◇
フォーキャストら3人はもともと、新人冒険者が結成するような、全員でひとつの依頼を請ける相互扶助の
都市外での魔物狩りを主業とするフォーキャストは日の出とともに起きる習慣がついているが、
故に食事を全員で一緒にとる、という習慣もない。各々が個別に買ってきたり屋台で済ませたりするのが大半だ。だが今日、彼女は手の込んだものが食べたい気分だった。
「ヤリイカ、いいの入ってるぜ。朝に水揚げしたのを河から運んできた新鮮なやつ」
「いいね。おすすめの食べ方ある?」
「生のまま細切りにして生姜と
「うーん、おいしそう。8杯ばかしちょうだい」
「毎度!」
家からほど近い場所にある朝市で、フォーキャストは食材をいくつか買い込んだ。
クイントピアのすぐ西には大河があり、そこから船で海からの品が運ばれてくる。新鮮な海産物は朝市に来た者の特権だ。
それなりに長いこと旅をしてきたが、クイントピアは奇妙な街だった。
パンと肉を基礎とする土着の食文化に混じり、フォーキャストやフラッフィーベアの出身地である東国風の米食文化が浮島めいて存在している。それも「伝来した文化」ではなく、「古代からの伝統」として受け入れられているのだ。
ある土地からやってきた者たちが、遠く離れた場所で同郷人のコミュニティを形成し、飛び地のような異文化圏を形成することがある。この都市を作った古代文明には、自分たちと同じ東国にルーツを持つ者たちも存在していたのだろうか。
寒さで冴えたニューロンで考えながら、フォーキャストは家路についた。白い小山めいた中央区の巨大ドームを目印にして。
クイントピア南区の街並みは入れ替わりが早く、毎日何かしらの変化が見つかる。今日は舞台劇の宣伝と思しきポスターが塀に張り出されているのを見つけた。
「『死せる魔王、そして勇者アズサの真実』……ふふふっ」
フォーキャストはほとんど苦笑めいた笑みを漏らした。
どうも150年前の勇者伝説を下敷きに、独自の脚色を交えた劇らしい。
……城が小屋に見えるほどの巨体、ねじれた2本角、竜より速く飛ぶ被膜の翼。煮えたぎる炎の大剣を振るい、破壊と殺戮の限りを尽くした怪物。150年前に滅びた魔王について、各地の歴史書はこのように記している。
その正体は異形の魔法を鍛え上げた人間の成れの果てだとも、強大な魔物が知性を獲得した存在だとも言われているが、真相は闇の中だ。
確かなのは、大陸中央部を住処としていた魔王と、それを崇めて自らを異形と化した信奉者たち――今日では魔族と称される者たちの存在が、人類の西への開拓を長らく妨げていたという事実だ。クイントピアもかつては魔王の勢力圏のそばにあったため、今ほど多くの人の行き来はなかったのだという。
そして、これらを殺したのが『勇者』アズサ・メイゲン。
神託を受けて極東より旅立った修験の戦巫女であり、大弓と
アズサは魔族が築いた奴隷荘園を片端から襲い、ひとりずつ殺していった。
もとより同族間の勢力争いに明け暮れていた魔族たちは、足並みを揃える間もなくその数を減らし、最終的に全滅した。
魔王はこれを助けなかった。彼自身は崇拝も、名声も、領土も欲してなどおらず、魔族は彼にとって自らの配下を自称する騙り者の類に過ぎなかったからだ。
そしてアズサは、名も知れぬ峻峰をねぐらとしていた魔王に単身相対――3日間に渡る激闘の末、首を刎ね、亡骸を塚に埋めて去った。その後の足跡は誰も知らない。これが勇者伝説のあらすじだ。
この舞台劇では、その勇者と魔王が実は恋仲であり、その恋の成就のためにふたりを引き裂かんとする魔族たちと戦った、という設定になっているらしい。
フォーキャストはポスターはしげしげと覗き込んだ。描かれた魔王らしき存在は、小山じみた巨体ではなく、角と羽の飾りをつけた美青年の姿をしていた。
「……まー、可愛くなっちゃって」
フォーキャストは呟き、舞台の開演日を確認すると、鼻歌混じりに歩き始めた。
◇
「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」
家に戻ると、起きてきたパノプティコンとバックスタブが庭で朝稽古をしていた。
サバット護身術の基本中の基本、脚を槍めいて突き出すサイドキックの型稽古。体術を介した
「型の練習は必ず毎日やる。一連の動作を体に浸み込ませて、いちいち考えなくても出せるようにする。そうすれば浮いた思考のリソースを他に割ける」
「イヤーッ! ……でも、サイドキックだけでいいんすか?」
「時間足りないでしょ。あれこれ半端に技を増やすより、ひとつの技をモノになるまで鍛えた方が強い。私も最初の半年はこれしかやらせてもらえなかった」
態度こそつっけんどんながら、パノプティコンの指導は真摯だった。一度衝突し、それから共闘したことがいい影響を与えたか。
ふたりが向き合って片足立ちになり、そのままロー・ミドル・ハイの3連サイドキックを繰り出す。バックスタブは最後のハイキックでバランスを崩してよろけたが、パノプティコンは軸足をピタリと安定させたまま、難なく3連蹴りを出し終えた。
「おはよ。お疲れ」
「ん」「あ、おはようございます。キャストさん」
フォーキャストはタイミングを見計らって庭に入り、声をかけた。
素っ気ないパノプティコンの横で、バックスタブがギャングが組長にするような恭しさで挨拶を返した。フォーキャストは可笑しくなって、くすくすと笑った。
ギャングの鉄砲玉、その前は路地裏強盗だったか。人当たりがよく見えてその実、油断のない立ち回りをする男だ。使い捨てのような立場で10年生き延びただけはある――抜き身の刃めいた本性をオブラートで包んだような雰囲気は、まだ2階で寝ているだろうもうひとりの同居人、フラッフィーベアを思わせる。
フォーキャストは彼のような、理性と強烈なエゴを併せ持つ者が好きだった。
相手の素性や経歴、罪や責任といったものを、彼女はさほど重視しない。何が良くて何が悪いかは時と場合でシームレスに入れ替わるからだ。あくまで自分の心に従い、好いと思えば手を貸し、悪いと思えば立ち向かう。フォーキャストは自由であり、またそれを貫く力があった。
「どうする? 朝。イカで何か作るけど」
「食べる」「オーガニックの朝食? 俺まで頂いていいんすか?」
「もちろん。ほどほどで切り上げなよ」
ひらひらと手を振り、フォーキャストはふたりのそばを横切って家に入った。
「手料理なんか食うの初めてっすよ。こんないい思いしちまっていいのかなぁ」
「調子に乗るな。……もう一度、基本姿勢。
振り返って一瞥すると、ふたりはもう一度構えてトレーニングを再開していた。
金色の炎とドス黒いコールタールめいた魔力が、それぞれの体から滲み出す。既にこれほどの
◇
リビングに入ると、暖炉の火は部屋を具合よく暖めていた。
クイントピアでは魔法暖房や東区で生産されるバイオガス燃料が主流だが、フォーキャストは暖炉で薪が燃える匂いが好きだ。故郷の囲炉裏とはまた違うが、暖炉もこれはこれで悪くない。
フォーキャストは台所につき、コンロのつまみを捻った。炉の中に設置された赤い水晶状の球体が炎を発し、五徳の中から噴き出す。
これは魔石と呼ばれる物質で、東国では
彼女は昨晩から水に漬けておいた米を土鍋ごと火にかけ、冷蔵庫(氷魔法の術式を組み込んだ、設置型の魔導機械。食材などの冷蔵保存に用いる)から出した
次に買ったイカを手際よく捌き、白く透き通るような肉を麺めいた細さに切る。皿に幅広の葉を持つ緑色のハーブを敷き、その上に切ったイカ肉を一口分ごとに盛り、すりおろした生姜と
「おはよー……キャストちゃーん、何作ってるのー?」
残った触手と肝を刻み、
彼女はフォーキャストより頭一つ高い長身を、体にぴったりと沿う黒いボディスーツと、袴に似た形のロングキュロットで包み、
「イカ。食べるでしょ」
「んー食べる……あ、ゴロ焼きもあるんだ。豪華だねぇ」
フラッフィーベアが肩越しに手元を覗き込み、獣耳をぴこぴこと動かした。
フォーキャストは先ほど和えたイカ触手を、中身を抜いて袋状にしたイカの胴に詰めている最中だった。これを楊枝で止めて焼くと肝の脂肪分が融けて味噌と混ざり、濃い味の焼き物になる。
「朝市にいっぱい置いててさ。いいよね、クイントピア。いつでも和食作れて」
「ねー。あたしも来たときびっくりしたもん」
フラッフィーベアが同意した。栗色に染めた髪の毛、また垢抜けた振る舞いからは想像しづらいが、彼女もフォーキャストと同じ東国の島国出身である。
パノプティコンも最初は食べ慣れない様子だったが、最近では慣れてきた。逆にフォーキャストが西区流に狩猟肉のソテー料理を作ることもある。
「なんか手伝おっかー?」
「つまみ食い目当てでしょ。よそうから座ってて」
「はぁーい」
フォーキャストは焼いたイカを切り分けて薬味を散らし、次に浅く漬けた野菜のピクルスを小鉢に盛った。これで一汁三菜が揃った。
炊けた米飯をよそい、プロトコルにのっとった配置で盆に食器を置く。同時にドアが開き、朝稽古を終えたバックスタブとパノプティコンがリビングに戻ってきた。
「おー、貴族の食いもんだ。胃が受け付けっかな」
「どんなもの食べてたのー? 東区は和食のお店多いっていうよねえ」
「金持ちだけっすよ。一番よく食ったのは培養藻とオキアミタンパクの配給栄養ブロックっすね」
「フォーク取って」
同居人がめいめいで席につき、指を組んだり手を合わせたりして、各々が信じるものに祈りを捧げて食べ始めた。
フォーキャストは包丁とフライパンを手早く洗うと、自らも食卓に着いた。
暖炉で暖められた部屋に、窓から清澄な陽光が差し込む。時刻は既に早朝を過ぎ、暖炉の薪は白い灰に覆われかけていた。一日が始まる。
(ウィンター:アーリィ・モーニング 終)
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