ヒュドラ・ヘッズ、デッドリー・ファングス

 クイントピア東区、ヒュドラ・ピラー49階。


 ヒュドラ・クランの組長と若頭、そして大幹部9人が出席する重役用会議室には、見事な一枚板の大テーブルが置かれている。クランが重要な意思決定を行う際には、11人がこの部屋に集まるのが慣例だった。


 だが――今この部屋に集まっているのは4人。組長席、そして大幹部席のうち6つは空席となっている。

 集まるのが遅れている? 否、卓上に用意された仕出しの軽食も4人分。最初から4人以上の参加を想定していないのだ。

 では、殺された組長ブルータル・ヒュドラはともかく、他の6人の大幹部はどこへ? ……その答えは明白である。


「……まず、最初に報告が。例の『名無しジョン』のことです」


 上座のソファに腰かけたこの男によって、追放か死かの二択を選ばされたのだ。

 ヒュドラ・クラン若頭、現組長代行チャールズ・E・ワンクォーター。2メートルに迫る体格を、仕立ての良いストライプスーツに包む偉丈夫。


 チャールズはたった数日、ボスの死が露呈しきらぬうちに邪魔者を一掃し、電撃的に組織を我が物としていた。猛禽めいた双眸に宿るのは、ぎらつく知性と狡猾さ。鍛え上げられた肉体が底知れぬ迫力を放つ。

 


「――ジョンというのは、どのジョンじゃ? 我が街だけで20人はおるがの」


 口元をヴェールで覆った黒髪の美女が冗談めかして言った。

 東区の暗黒娼館街を統べる女主人、ノスフェラトゥである。豊満な肢体を薄布のドレスに包み、その青白い肌を惜しげもなく晒している。


「説明が必要ですか」

「フン、冗談に決まっておろうに。3日前のブルータル・ヒュドラ殺害の下手人であろう? 南区にけしかけたサブマリンはどうなった?」

「結論から言えば……返り討ちに遭って、殺られました。奴は逃げた次の日に冒険者ギルドに駆け込んで、ギルドマスターと協力関係を結んだようです」



「――けッ、デカい口叩いてしくじったか。腕がいいだけじゃ駄目だな、やっぱ」


 格闘家然としたリーゼント・ヘア、筋骨隆々の大男が吐き捨てた。

 ヒュドラ・クラン屈指の武闘派、暗黒闘技会の頭領マグナムフィスト。彼の両腕は無骨なアダマント鋼のガントレットで覆われている。

 

「しかし、こうして聞くと信じがたいの。あの線の細い男子おのこがサブマリンを殺すか。あやつが逃げに回れば殺すのは骨が折れように」

「実際木っ端さ。強化魔法エンハンスも使えねえ。獲物もチャカだのヤッパだの、その辺の安モンばかりだ。そのくせどんな凄腕だろうが手品みてェに消しちまう」



「――私も聞いたことがありますよ。『狙った相手をたちどころにこの世から消し去る』なんて噂をね。おお怖い怖い、不安で夜も眠れません!」


 眼鏡をかけた細身の青年が慇懃に笑った。

 暗黒シンジケートの支配者、サクシーダー。東区の物流を司るクランの稼ぎ頭。

 現状ヒュドラ・クランの意思決定に関わっているのは、この4人である。


「して、南区の動きは?」

「まだ大っぴらなことは何も。情報が揃うまではコソコソ嗅ぎまわる魂胆でしょう」

「なら先手必勝だァ! 今度はあのエルフババアの首ごと取っちまおうぜ!」


 マグナムフィストが両拳を威圧的に打ち合わせた。隣のノスフェラトゥが呆れ顔で煙管を回し、サクシーダーがわざとらしく肩を竦めて笑顔を作る。


「短絡思考じゃな。南区の動きが鈍い今、すべきは足場固めじゃろう。なにせ予定がだいぶ狂ったからの。一応とはいえ逃げおおせた男が、わざわざクランにちょっかいをかける理由もあるまいて」

「高飛びの線も薄いでしょうね。街を去るつもりなら、冒険者ギルドと手を組むメリットがない。せっかく組織のスリム化にも成功したことですし、私も未開拓市場ブルーオーシャンに進出したいところです」

「……フン。まァ、そうだな」


 マグナムフィストが満更でもなさそうに頷いた。

 この3人は元々、さほど懇意だったわけではない。だが今は9人いた大幹部が3人に減ったことで、東区の勢力圏や事業には大きな空きが生じている。あえて争う理由もなかった。


「だがよォ、まったく放置ってわけにもいかねぇだろ。メンツもあるし、奴がギルドもろとも騙して逃げることだってある」

「無論です。早期対処にはしくじりましたが、南区の足並みは東区うちほどじゃない。俺のところで始末します。……入れ」


 そう言って、チャールズが卓上の呼び鈴を叩いた。



「失礼いたします」


 入室した男が一礼した。


 長身、色黒。焼けただれた顔面を防火マスクで覆い、ファイアパターンを描いたフード付きのロングパーカーを羽織っている。

 その右腕は反対の腕より一回り大きく、不燃油を染み込ませた布を包帯めいて巻きつけてあった。大幹部4人の視線を集めながらも、表情には余裕の笑み。


 名は『ファイアライザー』。チャールズ直属の古株構成員にして、ヒュドラ・クラン屈指の魔法使いの一人である。


「ご存知でしょうが、俺のところのファイアライザーです。――お前、ボスを殺したジョンの事は覚えてるな」

「ええ、やったその日に南区に逃げたと。さすがの手際と言いましょうか」


 チャールズは頷き、席を立った。


「レッキングボールと組んで南区に渡り、奴の寝床ヤサを探せ。見つけたらまず報告だ。連絡はいつも通り区間貨物輸送所で符丁を使え」

「報告の後は?」

「放火しろ」


 氷のような冷徹さでチャールズが言った。


「わかってるだろうが、今回の仕事は見せしめだ。脱走者を匿えばどうなるかを南区の連中に見せつけて、奴を街から孤立させる。今回のほとぼりが冷めねぇうちに、また大人数でドンパチやらかすのはうまくない」

「弁えてます。あくまで秘密裏に」

「サブマリンのように侮るなよ。あのガキが組長の護衛をやれていたのは実力だ」

「それはもう。奴とは知らない仲ではありません」


 ファイアライザーは大仰に頷き、続けた。


「……しかしやむを得ず戦闘になった場合は、殺してしまって構いませんな?」

「任せる。だが負けて捕まるのは許さねぇ。情報、人質、奴らに何一つ渡すな」


 チャールズが無表情でファイアライザーの前に歩み寄り、言った。その声は決して凄んだものではなかったが、有無を言わせぬギャングの迫力があった。


「無論、俺はお前が功を焦って余計な真似をするとは思っていない。組織全体より下らねぇ出世欲を優先するともな。……行け」


 暗に背後の3幹部への牽制を込めて、チャールズが命じた。ファイアライザーが一礼して退出し、ドアが閉まる。



「ぐはははは! 様になってんなァ、チャーリー。ウチからも兵隊貸してやろうか?」


 マグナムフィストが哄笑する。その声には些かの見下しがあった。チャールズが貴族階級であり、生え抜きのギャングではないからだ。彼はテーブルに用意された炙り魔物肉の寿司スシを掴み、無造作に食べた。


「なら『リバーウェイブ』を貸してもらえますか」

「ア? ……限度があるだろが。あいつはウチの花形選手だぞ」

「冗談です」


 チャールズは真顔で返すと、しかめ面のマグナムフィストを横目に席に戻った。


「聞いての通り、ジョンの件はこっちでカタをつけます。各々方おのおのがた、今は組織の再編を進めておいてください」

「先刻承知よ。妾は覇権には興味がない」「へい、へい」「かしこまりました」


 3人が頷く。チャールズは小さく鼻を鳴らした。どこまで信用したものか。


 前体制における序列で言えば、若頭のチャールズが上。

 だが今のクランは混乱期。しかも――そうせざるを・・・・・・なかったとはいえ・・・・・・・・――暴力で跡目争いを平定したことで、クラン全体の雰囲気が荒れつつある。


 3人とも表向きは大人しくしているが、裏では自分を出し抜いて前ボス殺害犯の首を取り、新生ヒュドラ・クランの主導権を握らんとしているはずだ。チャールズはそのように考えていた。


「では、次の議題に移りましょう。……パイの切り分け方の相談だ」


 チャールズが地図を取り出し、卓上に広げる。

 図に示された東区、そして机を囲む3幹部を、彼は油断なき目で見下ろした。



(ヒュドラ・ヘッズ、デッドリー・ファングス 終)

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