第59話 負けました

「がぁ。あ。ぐぅ・・・・・・」


前後左右上下、視覚、聴覚、何もかもが吹っ飛ぶ。

今、多分、芋虫のように地面をもぞもぞしていると思う。


もういやだ。仕事で疲れて、大好きな温泉に入ろうと思ったら全裸の鬼が現われて、襲われて、ずっと戦い続けて、そして、今は何の感覚もなくなってしまった。


今、生きているのかどうかさえも怪しい。生きていても、これからどんな目にあうのか。


数秒後。未だ感覚が戻らない。


ずるん。と何かが抜けていく感覚がした。ふわぁ~としてとても気持ちがいい。


次に、いきなり息苦しくなる。ああ、これは死んだかな。いや、今から死ぬのか。最後は鬼に殺されるのか。小さい頃は怖かったなぁ~。鬼。おばあちゃんに脅されて泣いてた。鬼がくるぞって。はぁ、地獄。この世は地獄。来世は何かなぁ。記憶がそのままだといいなぁ。次はどんな人と一緒になるのだろう。


・・・・


「・・・フゥ・・・・フゥ・・・・フゥ・・・・」


上下の感覚は戻りつつある。目は見えない。耳も聞こえない。

右手は動かない。左手と足は少し動く。

息は苦しい。まともに呼吸が出来ない。


死んではいないか。


「ぐぅ、まだ目が痛いのぉ。おい。どうじゃ? 負けか?」


「・・・フゥ・・・・ハァ・・・・フゥ・・・・ハァ・・・・」


朦朧とする意識を無理矢理繋ぐ。息が苦しい。


ようやく目が見えだしてきた。目をゴシゴシしたいけど両手が顔に届かない。


「やっと戻って来たか。どうじゃ見えるか?」


近い! 近い近い近い近い近い。


目の前に鬼!


息がかかる距離。


俺の右腕は手首を捕まれている。動かせない。左手にはこいつの体が乗っている。殆ど動かせない。


足は動くが腰のあたりにこいつの体が乗っている。動かせない。


胸は相手の胸で押さえつけられている。肺が圧迫されてて息が小刻みにしかできない。体は相手の肌にぴたっとくっついて動かせない。


マウントポジション。上四方固め的な押さえ込み。


俺はこの鬼女にプレスされている。


まだ、まだだ。全力でこいつの魔力を吸い出す。魔力を全部奪ってやる。


魔力を少しだけ入れて吸い出す。


あれ? 入れたら入れるだけ入る。吸い出したら吸い出すだけ出てくる。


吸い出したら同じ分だけ吸われる。


「こうりゃ。魔力は完全に混じり合っておるわ。無駄じゃ」


どうすればいいんだろ。重いし暑くなってきた。汗が噴き出してくる。それに、この状態はまずい。色々とまずい。


「とりあえず、この戦いの負けを認めい」


「・・・」


「ん? おぬし? まさか、わしで欲情しておるのか?」


「・・・」


「ふふん? わしも、捨てたものでは無いのかのう。お主はここの異空間の持ち主じゃろう?」


「・・・」


「この戦闘技術。この異能。どうじゃ? 仲間にならぬか?」


「・・・」 仲間になったら、世界の半分をくれないかなぁ。


「仲間になれば、コレを楽にしてやるぞ? どうじゃ? ん? ほれ」


こ、こいつ、動かしたら・・・



「・・・っ・・・・・・・・・・・・っ・・・」


「・・・!?・・・・・・・・・・・・・・・・・ふっ若いのう」


「負けました」


「よろしい」


満面の笑みでぎゅっとされた。


・・・・


「はぁ~~相変わらずいい湯じゃのう。いや、済まぬな。勝手に使わせて貰っていての」


「別にいい」


「いや! 悪かった! 悪かった! な? 機嫌を直せ」


ばしゃばしゃじゃぶじゃぶ。


俺は後ろを向いて逃げようとしたが、この鬼女に捕まって裏返される。

まるで子供扱いだ。俺はおっさんだぞぉ。子供じゃないぞぅ。それにこいつ、何歳だよ。


だいたい、こいつはプライベートゾーンが異常に近い。いや、俺に逃げられたくないのかな?


あの後、満面の笑みを浮かべて、『いや、体も冷めたし汗も掻いた。どうじゃ? 風呂に浸からぬか?』と言われて、今は一緒に岩風呂に入っている。俺に勝ったからか、とても機嫌が良い。


「しかし待ったぞ。ここを見つけて1ヶ月くらい経った。お主を探しておったのじゃ」


「この1ヶ月忙しくて。ここには少ししか来れてない。というかどこから入ったんだよ」


「んん? 入り口からじゃが?」


「そうかぁ」


考えることを放棄。疲れた。眠い。


「イセ。イセ・ジマー。わたしの名前。お主聞かぬから」


「多比良城」


「多比良か。んふふ。それで、どうする?」


「・・・仲間の話か? それは話を聞いてから」


「そうじゃのう。肉欲で縛れる年でもないか」


「俺は嫁も子供もいるんだぞ? 不倫はしない主義だ」


「もう十分に不倫だと思うがのぅ」


「いや。まだ不倫じゃ無い」 


少し擦れただけだ。


「そうか、アレくらいでは不倫でないのか」


ばしゃ。じゃぶ。ぱしゃ。ぱしゃ。


「では、このくらいも不倫ではないのう」


後ろから羽交い締めにされる。一体何をするつもりだ? 背中に、背中に膨らみが・・・


「あ~~~~~~~~~~!」


今度はなんだぁ?


誰かがビシィと人差し指を指していた。


破顔して目をうるうるさせている。頭には角。


「おじさん! おじさんだぁ! わたしの変なおじさん。変なおじさんが、帰ってきたぁ~~~~~~~~!」


鬼が増えた。


畳の部屋ですぽぽぽ~~~~~ん!と一瞬で全裸になり、温泉に飛び込んできた。


誰だよ『わたしの変なおじさん』って。


ざばぁん。


[わたしもぉ。わだしもおじさんとずるぅ~~」


「ちょ・・・」


ばしゃばしゃばしゃ・・・・バタ足で近づいてくる。


いや待て、このコースは当たる。

イセに後ろから羽交い締めにされているから逃げられない。


角が、角が俺の乳首に。やめろ。


ばしゃ! 「あ痛ぁ!」


・・・・


今は温泉から上がり、畳の部屋に座ってくつろいでいる。


イセは体が火照るのか、ハーフパンツのようなヤツとシャツ1枚姿だ。

こいつには恥じらいとか無いのだろう。


「んふ~おじさ~ん。しゅき~~」


そして恥じらいのない鬼がもう一匹。


未だに全裸で俺にまとわりついている。相手すると面倒なので、放置だ。


「え~つと。イセさん? それから、これ。何者なんだ? 俺の方は日本人なんだから分かるだろう?」


「わしと”それ”は、マ国の者じゃ。わかるか? マ国」


「ラメヒー王国の隣国で友好国。ほんとは長い国名だけど略してマ国」


「うむ、概ね正しい。そして、それはジニィ」


「むふ~。おじさぁ~ん。これが、おじさんの臭い」


ジニィは、あぐらを掻いて座っている俺にまとわりついて、器用に背中とかお腹とかをべたべた触り。シャツをずらして体臭を嗅いでいる。何がそんなに楽しいのか。


「それで、ここにいるのはなぜ?」


「入り口を見つけたからだ」


「入り口って、サイレンの俺の部屋に入ったってことか?」


「・・・なんじゃと? わしらは、王城からここに来た」


「王城? まさか、入り口が2つ?」


「う~む。夜も遅いがもう少し頑張るかの。ちょっと来い多比良。ジニィ、服を着よ」


・・・・


検証した。


このアナザルームの出入り口は、サイレンと王城の入り口、そのいずれか念じた方に出れる。


王城の入り口とやらは、案の定、王城の最初に入ったトイレの位置だった。

サイレンの移動砦にももちろん行けたし、一回連れていけばイセ単独でも行けた。


「何ということじゃ」


「アナザルームを二重にかけて入り口を増やしてるんですねぇ。ある種の空間移動が成立してます。すごい」


「ひとまず。多比良、こっちへこい」


夜の王城を歩く、途中、反重力でショートカットして、とある部屋にたどり着いた。


「ここは、マ国の大使館じゃ」


「大使館?」


「言っておらんかったかの? わしは、大使を仰せつかっておる。今はこの国の大使館暮らしじゃ」


「そうなんだ」


王城の中に大使館があるのか。


「ここでよいか。ほれ、こっちへこい。ここで、こっちを向いて、少ししゃがめ」


イセは、クローゼットの中身を全部ソファの上にほおり投げて、俺にしゃがむように指示する。


「こうか?」


「それでよい。少し操るぞ? 何、少しだけじゃ。安心せい」


そう言うと、イセは俺を後ろから抱きしめる。

その瞬間、魔力が同調して勝手に動き出す。


「もの凄い魔力。お主が一人ついておれば、大概の戦には勝てそうじゃ」


自分が自分ではないようだ。操る? 少し不用心だっただろうか。この世界には隷属魔術があるらしい。いや、そんなものを使う気があるなら、俺が負けた際にとっくに使っていたはずだ。ここはイセを信用するしかない。


魔力が少し抜ける。目の前のクローゼットの中に廊下が現われる。


「よし。あそこの入り口をここに移した」


そう言うと解放してくれた。一瞬ここの入り口消したら温泉をこいつらに使われないんじゃ? と思ったけど、もう諦めた。

力で勝てなかったのだ。


「さて、多比良よ。今日は遅いが、どうする?」


ここはリビングか? ソファ、クローゼット、椅子と机。いや、書斎っぽい感じかな?


「どうすると言われても。明日も仕事なんだ」


イセに両肩をつかまれ、ソファに座らされる。


「よいか? お主の魔術は異能じゃ。魔力も異常。それこそ、放っておくと国家のバランスを崩すほどの。悪いことは言わん。我らの保護を受けよ。そして、。わたしが、おまえを守ってやる」


「・・・な」


じっと目を見つめられる。思いっきり告白された気分だ。コミュ障を発症しそう。


「優秀過ぎる魔術士は下手をすると排除される。お前を仲間にしたい、と言った事は本心だ。決して悪いようにはしない。わたしを信頼して欲しい」


「・・・具体的にどうすればいいんだよ」


「明日もここに来い。まずはな、あの温泉のあるアナザルームを調査させてくれ。あの空間魔術は謎が多い。本国から専門家を呼んでおる。もうすぐ着くからの。それまでは、我らとお茶でもして過ごすぞ」


「お茶?」


「話を聞きたいと言ったのはお主じゃろ? 肉欲でもよいぞ? どうする?」


2体の鬼がじっと見つめる。


「・・・とりあえず、お茶かな」


鋼の意志で肉欲を我慢する。


「おじさんのいけずぅ~~」


「今日はもう休め。出来れば、明日もここに来い」


・・・・


サイレンの自室で泥のように寝た。鼻腔に2体の鬼の記憶が残っていた。

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