第34話 神と悪魔

「また随分な街を、国を築いたものだな」

「ここまで築くのに300年以上かかった」


 あの日、ベルゼブブが立っていた神殿のテラスに俺たちはいる。そこから幻想的な街並みを俯瞰していた。


「俺に見せたいもの、とはこれか?」

「地獄に生まれ、はじめて何かを築くという経験をした。それまでの俺様は、破壊しか知らなかった」

「悪魔なのだから当然だろ? むしろ、これを築いたことに驚きだ」


 感慨深げに街を見渡すベルゼブブの横顔はとても穏やかで、刻まれたしわの奥の瞳には、悪魔の面影は感じられなかった。

 悪魔も、関わる相手や環境によって、心の在りかたが変わるのだろうか。すごく不思議だった。


「気になる点は幾つもあるけど、俺もいい国だと思うぜ」


 これから街を、国を築き上げていこうとする俺からすれば、ベルゼブブが築きあげたこの国は称賛に値する。


「すべては夜の妖精王ティターニアの、アルドラのためか?」

「……幸せになりたかった。悪魔がそう言ったら、笑うか?」

「……いいや、幸せになりたいと願うことに、悪魔も神もあるもんか。心あるものなら誰もが望む当たり前なんだよ。お前は当たり前を望んだ、ただそれだけのことなんだよ」


 当たり前、そんなことすら望んではならない悪魔こいつを不憫に思う。

 ただ、悪魔に生まれ落ちたというだけで。


「――ククッ」


 ベルゼブブの乾いた笑いが耳を撫ぜた。


「お前は、変わった……神だな」

「天才だの最強だの云われていたお前とは違ってな、俺は天界むこうでは腰抜けのクズと蔑まれてきたからな。変に見えることもあるんだろうさ」


 ……そうか。

 呟いて黙り込むベルゼブブ。

 何度も街を見渡し、左手薬指にはめられた指輪に触れる。

 クレアに買ってやった紅蓮石の指輪と同じタイプの指輪だ。


「悪魔も、誓うのか?」

「……これは誓いではない。絆だ」

「絆……?」

「俺様も、アルドラも、目に見える絆に憧れていたのだろうな」


 孤独を生きてきた二人、だからこそなのかもな。

 そんな両親を見て育ったクレアは、無意識に憧れていたのだろう。


 ベルゼブブはそっと瞼を閉ざし、静かに言った。


「一思いに、頼む……」

「………」

「悪魔から、天界の連中から逃げ隠れること300年。いつかこの日が来ると思っていた。しかし、まさか神自ら乗り込んでくるとは思いもしなかった。俺様の負けだ」

「逃げようとは思わなかったのか?」

「逃げる? 一体何処に? 条約を破り、追放されたこんな俺様が一体何処に逃げるというのだ」

「もっと上手くやる方法だってあっただろ?」


 例えば、領主に悪魔を召喚させ、取引をさせることだって出来たはずだ。

 願いを叶えたあとに魂を貰い受けることは条約違反ではない。

 だけど、ベルゼブブそれをしなかった。


 彼ほどの大悪魔が、そこに思い至らなかったなどありえない。

 彼はきっと、心の何処かで、自分の手で男を殺したかったのだ。


 愛とは、悪魔までも狂わせてしまうらしい。


「アルドラに貸し与えている力を解除すれば、多少はマシになるんじゃないのか?」

「……だったらどうだという」

「死を受け入れる以外にも、選択肢が生まれるだろ?」

「お前と戦う……俺様が?」


 それもまた、悪魔らしい選択肢だと思う――いや、むしろその足掻きこそが悪魔なのだ。


「――ククッ」


 けれど、彼は笑った。

 馬鹿馬鹿しいと言った。


「……ここを、壊したくない」


 それが、答えだ。

 ベルゼブブが最期になぜ俺にこの光景を見せたのか、それは彼の最初で最後の神への祈りだったのだ。

 自分が消え失せても、アルドラと共に築いたこの国だけは、彼女がこれから築こうとする楽園だけは、取り上げないでくれと。


 なんという悪魔。

 見上げた男だ。


「アルドラを、本当に愛しているのだな」

「笑いたければ、笑え。悪魔が誰かを愛するなど、愚かだとな」

「…………」


 暴食の悪魔がはじめて陥った恋の病は、いずれベルゼブブ自身を死へと誘う呪いへと変わる。

 それを知りながらも、彼は愛することをやめなかった。

 彼女を愛したが故の、死に至る病。

 悪魔とは、不憫な生きものだとつくづく思う。


「一つだけ、頼みがある」

「なんだ?」

「叶うのならば、アルドラと娘には俺様が老衰で亡くなったようにしてくれないか? これ以上……あいつに誰かを恨んでほしくない」


 古の時代から神と悪魔は敵同士。

 その法則とルールが変わることはない。

 恐らく、永遠に……。


 悪魔は見つけ次第捕らえるか、殺すものだと教えられてきた。


 しかし、だからといって、俺に今のベルゼブブを殺せるだろうか。

 彼はただ、愛する者の幸せを願っただけではないか。

 それは罪なことなのだろうか。


 だが、残念なことにそうしなければならないのも、また天界の掟。

 哀しいが、それが現実だ。


「それは……無理だ」


 悪魔の願いを神が聞き入れたとあっては、神審判は免れない。問答無用の輪廻送り確定だ。


「……そうか」


 弱々しい声。

 頼むから、そんなにしおらしくするなよ。悪魔らしくいてくれ。

 でないと――俺が、困るだろ?


「……」


 遠くを見つめるベルゼブブ。指輪を、左手を握った手がぎゅっと音を立てた。


「これまでにお前が犯した罪をなかったことにすることはできないし、なにより俺たちは敵同士だ。アルドラ彼女には罪はないが、だからと言ってお前が安らかな死を願うのは、余りに身勝手だとは思わないか?」

「……ああ、理解している」


 理解……? なんだよ、それ……?

 そこは悪態ついて反論するところだろ。

 んっでぇ、俺がこの野郎って思って……。


「逃げる、なら……追わなくも、ない」

「……」

「俺は、その……今は領地を賭けた神々の戦いゴッドゲーム中だからお前にかまっている暇がないからな」

「……」


 なんだよ、なんで黙ってんだよ。ささっと逃げるって言えよ。言ってくれよ!


「……逃れられない運命さだめならば、ここで、この地で……朽ちたい」

「…………っ」


 ふざけんなよ。


「神、ウゥルカーヌスよ」


 そんな顔で見んじゃねぇよ。


「手数を、かける」

「…………」


 やめてくれよ……。

 悪魔が神に頭なんて下げるなよ。

 これから、自分を殺す相手だぞ? それ、わかってんのかよっ!!


 怒鳴りつけてやりたい気持ちを抑え込み、俺はコートに手を入れる。


 察したベルゼブブは受け入れるように小さくうなずき、やがて瞼を閉じる。


「……すまん」


 俺は取り出したそれを頭上に掲げ、くそったれって気持ちで振り下ろす。


 ――パンッ!


 短い破裂音が幻想的な街並みに響き渡る。


「………」


 すると、眼前の老人は驚きに目を丸くする。


「これ……は?」


 手の中で輝く黄金のブレスレットを、嘘と偽りフェイクリューゲを見つめるベルゼブブに、俺はいう。


「それは、神の存在を消す、神をあざむくためのアイテムだ。神が作る道具は、基本的には魔の存在には扱えない――が、例外はある。詐欺師ウソつきが作ったアイテムは、魔でも扱える」

「……どういう、ことだ」

「お前は今日から、ただのベルゼブブだ! 俺が魔族街ワンダーランドで出会ったこの国の王は、ただのベルゼブブ。……だから、それを付けて悪魔の存在を消せ!」

「ッ!? なぜ、助ける?」

「俺だって知るかっ!」


 でも、気がついたらそういていたのだから仕方ない。

 すべての言動や物事に理由をつけるのは、ナンセンスだと思う。

 それでもあえて、どうしてだと尋ねられたなら、自分の心に従っただけ、そういうしかない。


 しかし、俺がやったことは立派な犯罪行為。

 天界の盟約第19条、悪魔に加担することを固く禁ずる。

 これに違反している。

 バレればただではすまない。


 それになにより、ロキには申し訳ないと思う。


 俺がベルゼブブにやった嘘と偽りフェイクリューゲは、ロキが作り出したもの。今回のベルゼブブの件が天界にバレたなら、間違いなくロキも同罪になるだろう。

 本当にすまないと思っている。


「ただ! 俺は偉大なる慈悲深き神だからな。どのような愚か者だろうと、改心するならばチャンスを与える。それがたとえお前みたいな悪魔でもだ!」

「チャンス……か。俺様は何をすればいい?」

「そんなもん俺が知るかっ! 俺は俺で色々と忙しいのだ!」


 今は領地を賭けた神々の戦いゴッドゲーム中、打倒トリートーンのことだけ考えねば。


「神よ、感謝する」


 遠くの方を眺めながら、ベルゼブブが小さく口にした。


 いつか、きっと今日の自分を馬鹿だった思う日がやって来るだろう。

 されど、この行いを俺が悔いることは、ない。それだけは、自信を持っていえる。



 そしてこれが、歴史上初となる神と悪魔――俺とベルゼブブの友情のはじまりだった。

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