第22話 克服

 そこは闘技場を見下ろすように作られた観客席よりもさらに上、天井付近に設けられた特別な空間だった。


 いわゆる関係者席とも言えるもので、通常は闘技場でなにかしらの催しが行われる際、運営や進行役、あるいは特別な招待客のみが入室を許される特等席だった。普通はたかが復学試験で利用されることはあり得ず、今日もしっかり施錠されているはずなのだが……そこにはリオーネとテロメアの二人が我が物顔で陣取っており、試験の様子を見守っていた。


「リオーネちゃんも酷いよねぇ。クロス君に内緒でこんな試験形式にするなんてぇ。わざわざ育成の合間に孤児院時代のこと聞き出したりしてまでさぁ。ほらぁ、クロス君ガチガチになっちゃってるよぉ」

「アホか。冒険者ってのは不測の事態に遭遇するのが普通だろ。特に駆け出し時代はな。だったらモンスターの巣窟でそうなる前に、命の危険がない場所で慣らしといたほうがいいだろ」


 そう。


 今回の試験が公開形式になっているのも、クロスの受験が人々に知れ渡っているのも、その対戦相手がジゼル・ストリングであることさえ、すべてはリオーネの仕込みだった。

 

 リオーネは冗談交じりなテロメアの言葉に反論しつつ、「それに」と荒々しい笑みを浮かべる。


「クロスのやつは少し自信がなさすぎるからな。うぬぼれはよくねーが、自信がねーのはもっとよくねー。だからあいつの自尊心を奪ってきた猿山のボスと戦わせて、自信を取り戻させてやりてーんだよ。身の丈に合った自信は成長に繋がるし、なによりこれでクロスがもっと戦うのを好きになってくれりゃあ、あたし好みだ」


 まあここでクロスの対戦相手に孤児院のボスを指名し、その上公開形式にしたのはもっと別の狙いもあるが……と言葉を飲み込むリオーネに、テロメアは肩をすくめる。


「自信があったほうがいいっていうのは賛成だけど……リオーネちゃんはやり方も男の子の好みもちょっと野蛮だよねぇ」

「あ? じゃあてめーはどんな男がいいんだよ」

「わたしはね~、1人になりたいときは放っておいてくれるっていうの前提でぇ、毎日朝起きたらちゅーしてくれてぇ、一緒にいる間はずーっとなでなでしてくれてぇ、夜寝るときもおやすみのちゅーしながらぎゅーって抱きしめてくれて、わたしのことをずーっと甘やかして慰めて全肯定してくれる人とかがいいなぁ」

「キッッモ」

「は~~~~~~???」

「ああ……!?」


 ビキビキビキビキッ!


 男の好み談義で意見を違えたS級冒険者の殺気が激突し、関係者席がビリビリと震える。


(……っ。なんでもいいから早く帰ってはくれないだろうか……!)


 そんな一触即発の雰囲気を見て冷や汗を流しているのは、リオーネたちから関係者席を開放するよう強要されたサリエラ・クックジョー学長だった。


 サリエラは化け物二人を刺激しないよう関係者席の端で身をすくめながら、「まったくどういうつもりだこいつらは……」と心の中でリオーネたちに呆れた声を漏らす。


(「いらねーならもらってく」と一か月前にクロスを連れ去っていったかと思えば、急に復学試験を受けさせろなどと馬鹿げたことを)


 退学から1か月で復学試験を申請してきただけでも信じがたいというのに、その上こんなにも酷い試験形式を要求してきたときは本当に正気と人格を疑った。

 

 中堅冒険者でも気後れするだろう公開形式。さらに対戦相手にはあのジゼル・ストリングをご指名ときた。いやご指名どころか、ジゼルを出さなければ学校を吹き飛ばすとまで言われた。完全に常軌を逸している。


 ジゼル・ストリング。

 

 彼女は間違いなく逸材だ。

職業クラス〉を授かったばかりでまだまだ発展途上ではあるが、本人のレベルは既に17。

職業クラス〉授与と同時に発現した10のスキルも満遍なく鍛えており、早くもそのうちの幾つかはLv2。〈職業クラス〉授与前に早期発現していたスキルに至ってはすでにLv9に達している。


 普通は〈職業クラス〉授与から早くとも2年はかかるとされる中級職へのクラスアップも目前であり、その素質は上級貴族の若手と比べても遜色ないほどなのだ。


 この試合では使う機会もないだろうが、彼女の持つ固有ユニークスキルの存在も考慮すれば、皆が騒いでいるように将来はA級冒険者も夢ではない。

 そんな逸材と〈無職〉をぶつけるなど……サリエラはクロスが不憫でならなかった。


(どうも連中はクロスをなにかしらの目的で――信じがたいがもしかすると恋人候補として――育てているようだが、こんな無茶ぶりを強要されるところから推測するに、普段から連中の根城でどんな扱いを受けているかわかったものではない)


 サリエラはクロスのことが改めて心配になる。


(……だがもし勇者エリシアがこの街に滞在する数年間、あるいは私が学長を引退するまでの十数年間は連中がクロスの育成に夢中で大きな騒ぎを起こさないでくれるとしたら……)


 決して、決してイケニエというわけではないが! 

 それでこの化け物どもが大人しくなってくれるなら、クロスには頑張ってくれとして言いようがない。全世界のギルド職員のためにも!


 そうしてサリエラはS級冒険者の殺気がぶつかる関係者席でいたいけな少年を化け物に捧げる罪悪感に押しつぶされそうになりながら、眼下の復学試験を見守るのだった。


 どう考えても結果の見えている、その試合を。


      *


 僕の心臓が壊れたように脈打ち、全身から大量の冷や汗が噴出する。

 マダラスネークに睨まれた飛びガエルのように身体がガチガチになり、ショートソードを取り落としそうになる。頭の中が真っ白だった。


 そんな僕を見下すように睨み付けていたマダラスネーク――ジゼルは試合開始位置につくと、心底震え上がってしまいそうな低い声を漏らす。


「あの化け物騒ぎから1か月。誰もてめぇを見かけねぇっつーからくたばったんじゃねーかと思ってりゃあ……〈無職〉が退学から一か月で復学試験だぁ……!?」


 ジゼルは苛立ちを隠そうともせず、訓練用に刃の潰されたバスタードソードを地面に叩きつける。そしてその激しい打突音にびくりと肩を竦める僕に向けて、信じがたいことを口にした。


「しかも聞いたぜオイ……! てめぇが試験申し込みのときに、試合相手にこの私を強く希望しやがったってなぁ……!」

「は……!? いや僕はそんなこと……あ……?」


 瞬間、僕は完全に理解する。復学試験がなぜこんなことになっているのか。


(ちょっ、まさか、リオーネさああああああああああああああああん!?)


 僕は復学試験における手続きの一切を引き受けてくれたリオーネさんに心の中で叫んだ。


 いやちょっと! ちょっと待って!

 そりゃ確かに僕も厳しい修行を望んでいたし、リオーネさん本人も『修羅場を超えねーと壁を破って強くなれねー場合もあるってのは完全に同意だけどな』って言ってたけど! 


 これはちょっと修羅場とかそういうの超越してないですか!?


 頭上から降り注ぐのは僕の無様な敗北を期待する無数の視線と、バカにするような嘲笑。眼前で全力の怒気を放つのは、ずっと僕を敵視してきた孤児院の絶対的なボス。


 その実力は本物で、野次馬から聞こえる話によると、この1か月ですでにレベルが15から17に上がっているらしい。いくら下級職の成長が早いにしたって、異常な成長速度だ。

 

 こんなの絶対、勝てるわけない……!

 

 混乱しきった頭がそんな確信に埋め尽くされるも、審判の人に促された僕はふらふらと試合開始位置に立ってしまう。


 かろうじて握りしめたショートソードの先端が情けないほど震えるなか、


「舐めやがって……! 今度こそ二度と冒険者になりてぇなんて言えねぇよう、念入りにぶっ殺してやる!」


 ――試合開始!


 ジゼルが長剣を構えて低く漏らすと同時、どこか遠くで審判の人の声が響いた。


「オラアアアアアアアアアアアッ! 剣技〈なぎ払い〉!」

「ひっ……!?」


 開幕直後。ジゼルが怒号を上げながらスキルを発動させて突っ込んできた。

 レベル17のステータスから繰り出される身体能力は圧巻で、一瞬にして距離を詰められる。


 瞬間、脳裏をよぎるのは孤児院時代にずっといびられてきた記憶。

 つい1か月前、徹底的にたたき込まれたスキルの痛み。恐怖。

 萎縮しきった身体はまったく動かず、僕は情けない悲鳴をあげながらとっさに剣を構えた。


(ス、スキル《身体硬化【小】》……っ)


 そして反射的に身体をぎゅっと固めてなんとか発動できたのは、一時的に物理的な攻撃への耐性を高める防御系スキルだった。けど、


「う、わあああああああああっ!?」


 ジゼルの攻撃を剣で受け止めた僕はあっけなく吹き飛ばされた。

 ただでさえレベル差がある上に、ジゼルの〈撃滅戦士見習い〉は攻撃のステータスに特化している。そこに攻撃スキルが加われば打ち負けるのは当然だった。


 ……けれど。


「……あれ?」


 吹っ飛ばされた先で何度も床を転がりながら、僕はふと違和感に気づく。

 思ったほど痛くない。


 攻撃を受け止めたせいで剣を握る手はビリビリしびれているし地面を転がった衝撃で体中が痛むけれど、防御スキルのおかげだろう。戦いに支障が出るほどじゃなかった。


 ……僕、ジゼルの攻撃を受けられてる……? そもそも、目で追えてる……?


 その事実に僕が驚きを隠せないでいたところ――僕とは比べものにならないほど驚いている人たちがいた。観客席の人たち、そして攻撃を放ったジゼル本人だ。


「……!? ああ? なにしやがったてめぇ……!?」


 多分、一撃で僕の心を折るか仕留めるくらいの気持ちだったのだろう。


 攻撃では完全に打ち勝っていたにもかかわらず、普通に立ち上がった僕を見てジゼルが目を見開いた。けどその驚愕した様子もわずか一瞬。ジゼルはすっと眼を細めると、


「……なるほどな。運良く防御系のスキルだけ発現して、浮かれて調子に乗って復学試験を受けに来たってとこか? けどなぁ、ステータスオール0のザコが、私の本気にいつまでも耐えられると思うんじゃねえぞ! 剣技〈捻り突き〉!」


 ジゼルはなにやら納得したように剣を構え直すと、再び僕に突っ込んできた。

〈身体能力強化【小】〉を併用しているらしく、先ほどよりもずっと速い。

 本気になったジゼルの強力な突撃だ。

 けれどジゼルの攻撃を一度受けてふと冷静になった僕は、あることに気づいた。


 なんか全然、怖くない……?


 最初はジゼルに対する恐怖の刷り込みで身体が固まってしまっていたけれど、実際に戦ってみるとわかる。


 日々の模擬戦で本当に少しずつ〈威圧〉スキルの出力をあげていたというリオーネさんの打ち込みに比べれば。そしてなによりあの凶悪な〈咆哮ハウル〉に比べれば。

 ジゼルの放つ怒気も殺気も、なんてことはなかった。


 ……いや、正直に言うとまだ少し手は震えるし、いますぐ逃げ出してしまいたい気持ちがないわけじゃない。染みついた恐怖はすぐに克服なんてできない。けれど、身体は動く。


 そして一度戦いが始まってしまえば歯車がかみ合ったかのようにそれ一つに集中することができた。頭上から降り注ぐ無数の視線など意識の外へ飛んでいき、楽しい楽しい殴り合いの世界へと意識が埋没していく。まるで条件反射のように。


 緊張のとれた身体がふっと軽くなる。

 そして軽くなった僕の身体は、先ほどよりもずっと速いジゼルの攻撃をどうにかギリギリで避けていた。


―――――――――――――――――――――――――――――

長いので本日は分割更新です。次話は既に投稿されていますので、そのままお進みください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る