終章 終わりは遥か遠く

終章(01) 兄妹の旅

 まさか人間が通るとは思っていなかったのだ。それもこんな早朝に。


 ――どうやらあの馬車は、海辺の街から、少し陸に入った街へと向かうものだったらしい。海の匂いがした。それから魚の匂いも。恐らく、海の魚を売りに行くのだろうと、フェガリヤは言った。


 ……木陰で夜を過ごしていたのだ。日がしっかり昇ってから、旅立つ予定だった。

 けれども物音が聞こえてメサニフティーヴが目を覚ませば、すぐ近くに人間の馬車があった。そして自分達を見て驚き戸惑う人間達の姿も。


 兄は慌てて妹を乗せて、その場から飛び立った。相手は武器を持ってはいなさそうだったが、どうなるかはわからない。


 ……それにしても、人間とは逞しいとメサニフティーヴは思う。

 『戦竜機』と『屍竜』が彷徨う世界だが、それでも彼らは生活を続け、生き続けている。

 時に彼らは狂った竜と戦い、住む場所や家族を守る。そうして命を紡いでいく。


 これが人間の秘めた可能性なのだろうか、と、メサニフティーヴは考える。すると、妹が何故人間の姿で生まれたのかも、理由が見えてくる。

 過酷な使命を背負った彼女。その使命を全うするために、彼女は人間の可能性を秘めて生まれてきたのかもしれない。


 ――日の出が近づく、深い青色の空。もう赤い月はなく、世界は太陽を待っていた。眼下では草原が波打ち、彼方では広がる海がきらめいている。

 ついに地平線から、光が溢れる。


「見てください兄様! すごく、綺麗ですね……」


 海から昇る太陽に、全てが輝きだす。まるで色付いていくかのように、朝がやって来た。

 それはとても鮮やかで。そして冷たい風は生まれたてのようで。


「ああ……美しいな」


 黒い竜も朝日に照らされる。光を反射して、白くなる。

 ゆっくりと滑空しながら、昇っていく太陽を見つめた。


「……随分遠くまできましたけど、どこにいても、太陽は昇るものですね」


 つと、フェガリヤが言い出す。


「思えば私達、どのくらい遠くまで来たのでしょうか」

「距離はわからないな……だが、あれから百年は経っているのではないか?」


 百年。長寿である竜でも、決して一瞬とは言えない年月。

 鳥の鳴き声が聞こえた。大きな鳥の群れが、メサニフティーヴを囲み、共に空を滑空する。


「……彷徨う竜は、あとどれくらいいるのでしょうか」


 と、フェガリヤは笑みを消して、口にする。


「私は、使命をちゃんと全うできているのでしょうか?」

「――しているではないか。私は全てを、見て来たぞ」


 これまでに、数え切れないほどの竜を救ってきた。

 数え切れないほどの歌を歌ってきた。

 それを全て、見て来た。


 兄がそう言えば、妹は微笑む。


「……私も、兄様が頑張るところを、何度も見てきましたね」


 そして改めて、太陽を見つめる。世界を温かく照らす光。

 月は赤色に包まれてしまったといえども、竜は狂ってしまったといえども、世界はまだ続いていく。


 そこで突然、フェガリヤがふふふ、と笑い出した。


「どうした、フェガリヤよ」


 兄が尋ねると、妹はぱっと顔を明るくして何か言おうとした。だがすぐに迷って「何でもないです」と誤魔化した。


「いえ、その……これはきっと、ふさわしくない言葉なので」

「聞かせてごらん」


 そう催促しても中々答えてはくれなかったが、しばらくして、銀の少女は答えてくれた。


「……こういった美しい景色を兄様と共に見られること、それが嬉しくて」


 過酷な旅ではあるものの。


「私にはとても重大な使命があります。そしてそのために、兄様が傷つくことも多いです……でも、旅って、楽しいなと、思って……」


 明日は一体何が見られるだろうか。この広い世界を、より見ていきたい。

 彼女はそう思ったらしかった。けれども同時に、不謹慎だと思ったようだ。


 ――だからメサニフティーヴは、笑ってしまった。


「……私も、楽しいと感じているよ、フェガリヤ」


 大きく翼を羽ばたかせる。風を切る。鳥達を置いて、空の向こうへと飛んでいく。


「決して、辛いだけの旅ではないのだ」


 それを聞いて、フェガリヤはまた微笑んでくれた。兄も笑う。


 世界がどれほどに広いのか。彷徨う竜があとどのくらいいるのか。兄妹には見当もつかなかった。

 旅の終わりは、まだずっと先かもしれない。かと思えば、もうじき終わるかもしれない。


 ただ、わかることが、一つだけあった。


「フェガリヤよ」

「はい、兄様」

「――これからも共に行こう」

「もちろんです、兄様!」


 これから先も、共に進む。

 未来へと向かって、より竜は羽ばたいた。背に妹を乗せて。朝日の中を、突き進む。


 やがては赤い月が支配する夜が来るけれども。

 その夜が終われば、また朝日が昇るのだから。

 そして、銀の月はまだ存在しているのだから。

 ――兄と妹、共にいるのだから。



【終章 終わりは遥か遠く 終】

【竜なき世界に響く歌 竜なき世界に響く歌 ―それは月の子守歌、あるいは彷徨う者への鎮魂歌― 終】

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竜なき世界に響く歌 ―それは月の子守歌、あるいは彷徨う者への鎮魂歌― ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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