第五章(15) 妹
カイザロン谷を襲った『戦竜機』は、暴走の際に散り散りになったらしい。谷に残っていたのは、やって来たものの一部だけだった。
そして谷にいたはずの生きた竜も、皆どこかへと消えてしまった。逃げおおせたのか、生ける屍となってどこかへ消えてしまったのか。
ただわかることは、ここにはもう、生きた竜がいないことと。
――赤い月により、世界はおびただしい血の臭いと、殺戮の声に包まれたことだけだった。
赤く染まった月は、もう戻らない。夜が明け太陽が昇るものの、また夜になれば、憎悪の赤色は戻ってくる。
「……皆を、助けにいかなくてはいけません。この世界にいる竜、皆を」
太陽が昇り、血に染まった谷を照らす。高台に並んだ兄妹は、そこから世界を眺めていた。
「過酷な旅になります。いつ終わるかもわからない、辛い旅に……」
と、おずおずと妹は兄を見上げる。だから微笑んでメサニフティーヴは言った。
「私は、お前についていくよ。ついて行かない理由が、どこにある?」
頭を落として、兄は妹と目線を合わせた。
「お前が歩まなくてはいけない道があると言うのなら、私は共に行こう」
「兄様……」
服も肌も髪も汚れた妹は、ただ兄を見つめる。彼女は何か言いかけたものの、それを呑み込んで「ありがとうございます」と兄に抱きついた。
だからメサニフティーヴは言葉にする。
――仕方のない子だと思う。きっと、必死なのだ。
「フェガリヤよ……無理をするな」
言えば、妹は何を言われているのかわからない、と瞬きをする。兄は優しく諭す。
「――泣きたいときは、泣いてもいいのだぞ。いつまでも気丈な顔をしている必要はない」
銀色の少女は、目を大きく見開いた。
メサニフティーヴは気付いていた。小さな妹が震えていることに。ウースラが死に、ハイムギアが連れ去られたあの日から、一度も泣いていないことに。
そして赤い月の夜、ずっと言葉を呑み込んで気丈な顔を浮かべていたことに。
理由もわかっていた。
「本当は……怖いのだろう? そして、悲しいのだろう?」
「に、兄様、やめてください……」
彼女の声は大きく震えていた。銀の瞳は波打っていた。
「私は、泣いている暇なんてないのです。大きな使命があるのですから……」
女神の分身。竜を導くための存在。
だからこそ、毅然と進んでいかなくてはいけない。けれども。
「だが、お前はお前だろう?」
何者であれ。どんな使命を背負っていても。
「お前はお前で、いいのだよ」
――涙が一筋零れた。震える唇は、叫びを抑え込もうとしていた。
「に、にい、さま……」
けれどもついに、フェガリヤはわあわあと泣き出してしまった。
……実はとても怖いと、泣いていた。
……ウースラが死んだこと。ハイムギアがああなってしまったこと。そして里が滅んでしまったこと。その全てが耐えられないと叫んでいた。
……自分にこの使命が果たせるのか、不安でたまらないと震えていた。
けれども、そのために生まれてきたのだから。そのために来たのだから。
だが、何より。
「兄様……ごめんなさい……巻き込んでしまって、本当にごめんなさい……」
これから始まる過酷な旅。あまりにも辛い旅。
兄に死ぬよりも辛い思いをさせてしまうかもしれないこと、それが苦しくて仕方がなかった。
しかし、メサニフティーヴは微笑んでいた。
「お前は、本当に優しい子だな」
だからこそ、より守らなくてはいけないと思って。
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