第五章(06) 月の女神

 ――ある日、ウースラが家を留守にして、数日後に帰ってきた。


「買い出しと調べものをしに、街に行ってたのさ」


 ウースラが留守にしている間、一人では寂しいだろうと、フェガリヤは兄と共に竜の里で過ごしていた。老婆が帰って来て、メサニフティーヴに家まで届けられる。


「それにしては日数がかかったね? ここから一番近くの街だと、人間の足で二日で往復できるはずなんだけど」


 ついてきていたハイムギアが首を傾げる。するとウースラは苛立たしげに鼻で笑った。


「あたしはね、その街を追い出されちまった身なんだよ! だから街に用があるときは、ここから遠くの場所に行かなきゃならないのさ!」

「……何故お前は街から追い出されたのだ?」


 と、メサニフティーヴは尋ねてみる。フェガリヤから、そういった話は一度も聞いたことがなかった。恐らく彼女にも話していないことなのだろうが、大切な妹を預ける身として、知っておくべきだと考えた。


「……『戦竜機』に反対したのさ。竜は世界の守護者だって聞いたことがあったからね」


 人間よりも力を持った存在。遥か昔には、災害を起こすこともあったが、同時に奇跡を起こした。それを、ウースラは知っていた。


「そういったお伽噺を知っている人間は、あたし以外にもいたさ。けれど、信じてるのはあたしだけ。それであたしはいかれてると、追い出されたんだ」


 それまでメサニフティーヴは、この老婆がただの変わり者で偏屈な者だと思っていた。目を見開いて、改めて老婆を見つめる。

 ウースラは黒い竜に意外に思われているのが面白いのか、にやりと笑った。


「しかし……ここに来て実際に竜を見て、がっかりしたねぇ。確かに、竜が大きな力を持っていたのは昔のことさ。でも、まさかただの羽トカゲになってるとは、思いもしなかったよ。いまのあんた達は、草木を蘇らせたり、水を清めたりする力はある。息吹こそ吐ける。けど嵐を生む力や、他者の病を癒す力、地を割る力や未来を見る力は、もう跡形もないじゃないか」


 そこでフェガリヤが思い出す。


「長老様から、そういった竜の話を聞いたことがあります。でもそれは、竜が世界の王であった頃、人間にその座を譲る前の話だと……」


 いま、竜の力を使って特別なことができる竜はほとんどいない。この谷では、ハイムギアだけだった。しかもその能力は決して強力なものではなく、透明になれる、言ってしまえばそれだけの力だった。


「ほら、フェガリヤ。お前にお土産だよ……本をいくらかもらってきたよ」


 ウースラは荷物を解き、本数冊をフェガリヤに見せた。「ありがとうございます、ばば様!」と銀の少女は目を細め喜ぶ。

 対して、ハイムギアが羨ましそうな表情を浮かべた。


「いいなぁ……婆さん、俺にもお土産はないの? 俺も人間の文化や歴史について学びたいよ」

「ふん、チビ羽トカゲの分はないよ!」


 けれどもフェガリヤは、渡された本の中に、歴史書があることに気付いていた。ハイムギアが学びたがっていた分野の本だった。

 ばば様は素直ではないけれども優しい。後でハイムギアに教えてあげようと、フェガリヤは他の本にも目を通す。他にも、ハイムギアへの本があるはずだ。


 と、ふとウースラは、竜二体を見上げた。


「ところでお前達……月の女神について、何か知らないかい?」


 月の女神。二体の竜ははじめて聞く言葉に首を傾げた。ウースラは顔を歪めるが、フェガリヤへと視線を移す。


「この子が何者であるか、それを調べるためにも街に行ってね……月の女神、という言葉を見つけたのさ。ただ言葉だけしかみつけられなくてねぇ……月と竜には深いかかわりがある、なら、竜であるお前達が、何か知ってるんじゃないかと思ったんだけど」


 けれども竜達はぴんとこない。長老から様々な話を聞かされたフェガリヤも。

 その日、里に帰った二体の竜は、長老に尋ねてみた。


「月の女神……ああ、聞いたことは、ある、なぁ……」


 薄い雲が漂う夜。銀の月を見上げて、長老は思い出していく。


「……我々竜は、死したならばその魂は月に還る。その月に、女神がいるという話だ……だがそれ以上はわからぬ……わしも遥か昔に、それだけを聞いただけだ」

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