第三章(06) 脱出

 お互いの鉄格子が邪魔でうまく動かせないものの、何とか槍を引いてみる。ぐちゅ、っと音がして傷口から血が流れ出る。竜はびくりと震えて、弱々しく唸る。


「ごめんね、ごめんね……これを抜いたら、少し楽になるはずだから……」


 ゆっくりと引き抜いていく。その間『戦竜機』は暴れることはなかったものの、耐えるかのように、あるいは威嚇するかのように唸り続けていた。時折震える。


 やっとのことで穂先が見えてきた。ぬるりと輝くその切っ先。垂れる粘り気のある赤色。フェガリヤは深く溜息を吐けば、一本目の槍を置いた。


 そっと抜けば、暴れない。これなら。


 『戦竜機』は槍が抜けた跡を気にしているようだった。鼻先で傷に触れている。その間に、フェガリヤは二本目の槍に手を伸ばす。少し距離がある。指先に触れると、少しだけ傾けて握る。すると『戦竜機』は危害を加えようとしていると勘違いしたのか、フェガリヤに向かって威嚇の牙をむく。


「大丈夫、私はひどいことしないわ……ね?」


 なだめて、再びそろそろと槍を抜いていく。少しでも間違えれば暴れるかもしれない。

 だが二本目も少女は抜き切る。一本目の隣に並べて、安堵と疲労の溜息を吐く。


 残るは一本。だがその槍は『戦竜機』の背中に刺さっていた。柄はフェガリヤがいくら手を伸ばしても届かない。


 考えて、フェガリヤは抜いた槍の内の一本を手にした。穂先が自分側に来るようにして、安全な柄で『戦竜機』をつつく。なんとか身体の向きを変えさせられないだろうか。


 と、うっかり柄が『戦竜機』の傷に触れた。次の瞬間竜は吠え、身体をねじる。


「あっ、ごめんなさい……」


 けれども『戦竜機』が身体をよじったことにより、最後の槍の柄がフェガリヤに差し出された。傷を刺激してしまったのは事故だが、これで抜くことができる。

 だがフェガリヤは緊張して扉を見つめる。


「さっきからうるさいぞ、あのクソトカゲ……」

「槍、一本追加したんだろ? もう一本刺しておくか?」


 男達の声が聞こえる。幸い、足音がこちらに近付いてくることはなかった。

 急いだ方がいいかもしれない。フェガリヤは最後の槍を掴む。深く刺さっている槍。先程と同じようにゆっくりと抜いていくが、何に引っかかったのだろうか、もう少しというところで抜けなくなった。


 どうする。一瞬の停止。しかしここまで来たのなら、何としてでも抜くしかないだろう。

 少し勢いを加えて抜くことにした。本当に少しだけのつもりだった。


 ぐちゅっ! と音がして血が溢れ出た。肉に埋もれていた切っ先がやっとあらわになるが『戦竜機』は悲鳴を上げて、痛みに悶え暴れはじめる。


「ああっ、ごめん、ごめんね――」


 フェガリヤが謝れたのも束の間。

 ばん、と乱暴に扉が開かれた。眩しい光の中、男が立っていた。


「――お前一体何をして……!」


 『戦竜機』の様子を見に来たのだろう、その男は兵器から槍の全てが抜けているのを見ると、驚愕に目を見開く。すぐさまフェガリヤの抜いた槍を手に取ろうとするが、フェガリヤは槍を奪われまいと抵抗する。だが大の男に少女はかなわない。わずかな抵抗の果て、槍の一本を奪われてしまった。


 しかし何かの破壊音が聞こえた。金属が折れたかのような。あるいは破かれたかのような。


「ひぃっ!」


 男が悲鳴を上げ、腰を抜かす。暴れ続けていた『戦竜機』が、鉄格子数本を破壊していた。傷ついた竜が外に出てくる。怪我は治ってはいないものの、槍が抜けたことによって、力を取り戻し始めたのだ。


 腰を抜かした男は、槍を手放し、何とか立ち上がれば逃げていく。騒ぎに気付いた他の男達が部屋にやってくるが、『戦竜機』が外に出ているのを見ると、情けない声を上げて逃げていく。


 しかし『戦竜機』は男達を追わない、追えない。怪我が身体を蝕んでいる。それでも、逃げない「標的」を見つける。


 他の檻の動物達が騒ぐ中、隣の檻で、銀色の少女が控えめに手を振っていた。


 『戦竜機』は口を大きく開けると、少女の檻の鉄格子に噛みついた。一回。二回。牙は鋭いものの、鉄格子に刺さることはなかった。だがそのあぎとが、鉄格子を曲げる。


 三回目の噛みつき。次の瞬間、フェガリヤは歪んだ格子の隙間からするりと外に出た。怪我のために動きは遅いものの『戦竜機』は少女を追って振り返る。そして突進するが。


 ――かつて、谷で竜の子供達と遊んだ。

 ――走る彼らの背に、飛び乗る遊びだ。


 ひらりと、銀の少女は突進を避ける。花弁のように跳ねれば、小さな竜の背に捕まる。首に抱きつく。乗る。


 竜は一瞬、少女を見失って固まってしまった。だが背にいるのだと気付いて、振り落とそうと暴れはじめる。その中でもフェガリヤはなんとか操ろうと抵抗し、果てに『戦竜機』は翼を広げると、カーテンから漏れ出る赤い光へと向かって羽ばたいた。


 窓が派手な音を立て割れる。欠片がフェガリヤの頬に一筋の赤を刻んだ。

 夜の冷たい空気に包まれる。『戦竜機』は羽ばたき続け、上空を目指す。人々の悲鳴。だがフェガリヤは気にせず、空高くまで来たところで、祈りを胸に抱く――月の光が、放たれる。赤い光と闇が包む夜。そこに清らかすぎる、銀の光。遠くからでも見える輝き。


 ――きっと、気付いてくれるはず。


 けれども『戦竜機』が宙でもがき、振り落とされまいとフェガリヤはしっかりとしがみついた。光が消え失せる。地上では人間達が、槍を網をと、武器を構え始めている。


「あっ……」


 と、ついにフェガリヤの手が『戦竜機』から離れてしまった。少女は剥がれ落ち、短い悲鳴を上げる。


「――兄様!」


 それは決して切羽詰まったものではなく、強く信じた声で。


 風が吹く。

 血色と闇色の夜に、艶やかな黒色の影が、走る。


 ――竜の里の一つ。カイザロン谷。そこを守る黒い竜は、かつて、固い鱗、鋭い牙と爪、長く戦い続けることのできる体力、そして飛行速度で恐れられた。


「――フェガリヤ!」


 流星のように現れたメサニフティーヴは、落ちていく妹の真下に滑り込んだ。フェガリヤはその鱗を掴む、身体を掴む。そして妹が背に乗ったのを確認した兄は、くるりと宙で身を翻し――弱り不安定に宙で羽ばたいていた『戦竜機』の首に噛みつく。


 そのまま、街から離れていく。


「竜だ、生きた竜だ! 捕まえろ!」


 地上で身分のよさそうな男が叫んでいた。

 だがすでに、メサニフティーヴの姿は夜の彼方に消えてしまっていた。

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