第三章(05) 檻

 次に目を覚ました時、フェガリヤは暗闇の中にいた。


 ぺたりと床に手をつけば、ひどく冷たい。上半身を起こして辺りを見回すと、鉄格子が目の前にあり、息を呑む。


 ここは――檻だ。

 昼間『戦竜機』がいれられていたようなものと同じ檻。手を伸ばせば、すぐに天井に触れた。大きな獣をいれるためであろう、檻。


 後頭部を殴られ気を失ったものの、身体に異変はなかったし、殴られた箇所に痛みも残っていなかった。もとより怪我をした際、治りは早い方である。


 そもそも死ぬほどの傷を負っても、その場合は時間がかかるものの、それすらも回復する。

 死なない。死ねない。課せられた使命があるから。


 ここはどこだろう、と闇に慣れてきた目で辺りを見回す。少し寒い、と感じてマントを身に巻きつける。かすかな光が見えた。扉。少し開いている。存在に気付けば、隙間から漏れ出る声が聞こえてくる。


「旦那、本当にあいつを観賞用にするのかよ?」

「それよりも、あの上質な服を奪えなかったこと、どう説明するよ」

「そのまま言えばいい! あれは気味が悪い。見たか、うなじの鱗を!」


 うなじの鱗。そっとフェガリヤが髪を分けて自身のうなじに手を伸ばせば、つるりとした温もりに触れた。


「あれは……病気か何かか?」

「まさか移るんじゃないだろうなぁ……俺、あいつに触っちゃったよ」

「おお怖い……そもそも人間なのか? 確かに美人で綺麗だが……俺は怖いよ」


 うなじにあるのは、黒い鱗。兄と同じ。そしてこの目で見ることのできなかった母と同じ色の、竜の鱗。


「母様……」


 守られたのだと、自身の鱗を指先で撫でる。これがなかったのなら、どうなっていたかわからない。この貰った服も、奪われていたかもしれない。


 それにしても「観賞用」とは。

 髪の色目の色は珍しいものの、姿そのものは人間だとフェガリヤは自覚していた。そうであるにもかかわらず「観賞用」だなんて、まるで物のような扱いだ。


 心優しい人間がいることは知っている。ばば様や、この服を作ってくれた人間のように。他にも、旅の中で出会った人々のように。


 だがそうでない人間がいることも、十分にわかっていた。

 だからこそ戦争が起きた。だからこそ『戦竜機』が生まれた。


 とにかくここを出ないと。這うようにして檻を内から調べる。鍵がかかっている。鉄格子はびくともしない。竜の妹であるものの、竜のような怪力は持ち合わせてはいない。出られない。


 どうしようもなく、静かに溜息を吐く。鉄格子の向こう、カーテンの閉められた窓が見えた。赤い光が漏れ出ている。夜らしかった。


 街に入る前、もしかすると数日は戻れないかも、と、メサニフティーヴに伝えておいた。だから兄は、心配こそしているものの、何事も起きていないと信じているだろう。


 もし。

 もしこのまま兄に会えなかったら、どうしよう。


 不安が鎌首をもたげる。

 ……いや数日で戻らなかったなら、兄は間違いなく街に乗り込んでくる。自分を探しに来てくれるだろう。

 それがメサニフティーヴだった。

 けれどもそれはあまりにも危険だ。これほどに大きな街を、竜一体で相手にするのは。


 『カイザロン谷の守護者』――かつてそう呼ばれ、襲い来る『戦竜機』を何度も払ったことのある兄。十分に強い。だがいまは竜一体。そして竜に力を与えていた銀色の月も、ない。


 諦めている暇はない。このままでは兄に危険を冒させてしまう。兄が無茶ばかりをすることを、よく知っている。そんなことはできる限りさせたくない。


 優しい兄だが、本当に心配ばかりさせるのだ。こちらの気も知らずに。時にあきれそうになるほどに。

 そこで、気付けばふつふつと勝手に怒りがわいてきていることに気付き、フェガリヤは溜息を吐いた。

 微笑む。早く兄に会いたくなった。


 大丈夫。何とかできる。

 気を引き締めて、フェガリヤはもう一度辺りを見回す。何か、使えそうなものはないか。


 十分に闇に慣れてきた目は、近くに並んでいた檻の姿を映した。大小さまざま。そして捕らえられているのは多数の動物。全く息遣いを感じなかったものだから、フェガリヤは驚いた。夜だから寝ているものもいるが、どの動物も、どこか疲れているように思える。


 そして見つけた。血の臭いがしたのだ。

 それはフェガリヤの檻の、すぐ隣だった。

 弱々しい駆動音を捉えて、目を見開いてしまった。


 隣に並ぶ檻。それは昼間に一度見たものだった。中に横たわるは、形こそ蝙蝠のような翼を持った、トカゲに似たもの。

 『戦竜機』。その身体は、未だ数本の『竜血鉄』の槍に貫かれている。ぐったりと伏して、動かない。


「……かわいそうに」


 思わずフェガリヤは手を伸ばした。鉄格子の間隔はフェガリヤの手が抜けられるほど。距離は手を伸ばせば何とか『戦竜機』の鼻に触れそうなほど。


 しかし鼻に触れる寸前で『戦竜機』が飛び起きた。吠え、口を開く。とっさにフェガリヤが手を引っ込めれば、がきん、と牙が宙を噛む。


「ごめんなさい、ひどいことをしようとしたわけじゃないの」


 フェガリヤは口にするものの、もとより『戦竜機』に言葉は通じない。ずるずると『戦竜機』は檻の中を這えば、フェガリヤに体当たりを繰り出す。だが竜は檻の中、鉄格子にはねられた身体が傷つくだけ。檻の外から刺され、そのままになっている槍が、鉄格子や天井にぶつかってかんかんと音を立てている。


「……おいクソトカゲ! 静かにしろ!」


 乱暴な足音が聞こえてきたかと思えば、突然扉が開いた。光の奔流が闇に突き刺さる。

 すぐさまフェガリヤは気絶したままのふりをした。その方が都合がいいと思ったのだ。目を瞑り、動かない。


「全く、玩具が足りないのかねぇっ!」


 鉄が床をする音。続いて槍が鱗を割り突き刺さる音と『戦竜機』の悲鳴。間をおいて、扉が閉まる。遠のいていく品のない足音。


 重い血の臭い。しばらくが経ってフェガリヤが目を開けると『戦竜機』は元のようにぐったりとしていた。身体を貫く槍が一本増え、三本になっている。


 あまりもの痛々しさに、銀の少女は悲しみを通り越していっそ恐怖を覚えて震えた。どうして、ここまでされなくてはいけないのだろうか。


 ところで、この槍。

 ――この槍、『竜血鉄りゅうけつてつ』の槍が『戦竜機』を弱らせ続けているのだ。本来『戦竜機』というのは、子供であってもそこそこの力があるはずだ。

 それこそ、この檻を壊せるくらいに。


 だが『竜血鉄』の槍が、竜を弱らせている。大人の竜でも五本も刺されてしまえば、動けなくなるほどの槍。竜にとって毒の槍。『戦竜機』にとってもそれは変わらない。


 目の前の『戦竜機』に刺さっている槍は三本。体格が小さな子供だからこそ、数本の槍で抑えつけられてしまっているのだ。


「――ねえ、ごめんなさい。我慢、できる?」


 フェガリヤは賭けに出ることにした。


 もしこの槍を抜いたのなら。

 すぐに怪我は治らないし、力だって一瞬では戻らない。しかし抜いたのなら。

 ――この『戦竜機』は自力で檻を壊せるかもしれない。


 幸い、一本の柄が、手の届く場所にあった。暗闇の中、少女の小さな手がそれを握る。ひどく虐げられた竜は気付かない。


 いま、ここで子守唄を歌えば、魂を月に還すことは十分にできた。きっと、聴いてくれるはずだった。

 だが歌声に人間が気付いてしまえば、自分の身が危ない。不気味がられてはいるらしいが、何をされるかわからない上に『戦竜機』から離されてしまうかもしれない。


 ならば、どうするか。

 この『戦竜機』と共にこの街から出るしかない。

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