第29話 そんな考え方もあるんだ
調理実習が終わって教室に戻った。
いつもの昼休みならそれぞれ昼食を食べたりするが調理実習のあった今日はその必要がない為か昼休みはいつもと違い生徒は自由なことをしていた。
晶子は教室にいるよりも色々一人で考えたいと思い、校内に設置されている自動販売機のところへ行った。
何かお茶でも飲みながら一人になりたいと思ったのだ。
そして自販機の横にあるベンチに座り買ったお茶のボトルを開封し、一口飲んだ。
「ふう」
晶子は一人になれてようやく一息つけた。
今日は調理実習でずっと誰かと一緒だったからだ。
しかしこの学校に入学する時は生徒の年齢がバラバラだということは同じクラスの人とは話せないかもしれない、と思っていたが晶子は今日の調理実習で意外にも同じ班の人達としゃべることができた。
自分の中での「同じ年でなければ親しくできない」という常識を覆されたような気がした。
学校という場所は決められた学年・クラスの中で交友関係を作り、同じ所属の中から友人を作るというのを守る場所だと思っていた。
合わない人ともみんな仲良くするために合わす、それもまた集団生活の勉強だと。
しかし実際はこうして同じ年でなければ親しくできない、ということもないのだと実感した。
物思いにふけていると突然声をかけられた。
「清野さん。何してるの?」
自販機の場所へ来たのは栗山圭だった。
彼もまた教室にいるよりも一人になりたいと思ってここへ来たんだ。
「ちょっと休憩。ここ静かだから」
今までは年上ということで敬語を使っていたが最近はもう数少ない年の近いクラスメイトということで話す機会も増えたことにより彼とは友達感覚で普通にため口で話すようになっていた。
「ふーん。隣いい?」
「どうぞ」と晶子は横に座ることを許可した。
そういわれると栗山は晶子の隣に座った。
二人っきりになったことと、何か話さねばいけないかと気まずいと思った晶子は素直に今思ったことを言った。
「今まで言わなかったけど、私、摂食障害抱えてたんだ」
なぜ今までなるべく秘密にしていたこんなプライベートな秘密をクラスメイトに話そうと思ったのか。
その理由はわからないが調理実習も無事に済んだ今、晶子の中の鎖が緩み、誰かと話をしたかったのかもしれない。
「え、清野さんってそうなの?」
栗山はいまいち晶子がそうだと思っていなかったのかいきなり秘密を話されてきょとんとしていた。
「摂食障害ってテレビとかでたまに見るけど食べすぎてどんどん太るやつだっけ?清野さんはスマートだしそんな風に見えないけどなあ」
栗山のいう摂食障害とはいわゆる過食症で食べることがやめられなくてどんどん太るという知識のようだ。
「それもあるけど、私の場合たくさん食べた後に吐くの。お医者さんには過食嘔吐って言われた」
食べたものを吐く、そんな人間の生活において本来やらないことを告白されて栗山は「そんなのもあるんだ」と目を丸くした。
「今日調理実習してみて、料理を作るのってこんなに大変なんだって思ったら、今まで私は人がせっかく苦労して作り上げてきた食品をばかみたいに食べまくって、その後吐いたりしてさ。すごく無駄なことしてると思った。食べたものを吐くなんてせっかく稼いだお金を食べ物に使って食べても吐くんだからトイレにお金を流すようなもんだし」
晶子はこの前の給料日からずっと気にしていたことを口に出した。
食べ吐きは食べた物を吸収せずに外に出す、つまり無駄なことだと。
晶子は自分の過食嘔吐をダメなことだとばかり思っていて今はその責任の重さを感じていた。
晶子にとってはそれだけ今は自分がいかにこれまで愚かだったかを感じていた。
しかし栗山からは意外な反応が返ってきた。
「そうかな。俺はそう思わないけどね」
晶子はその反応に「?」と思った
普通の人ならどう考えても無駄なことをしているとしか思わないことなのだ。
「なんで?だって無駄なことじゃん。食べたものを吐くんだよ?お金かけてたくさん食べ物買って、それを食べたら吐き出す。実質お金をトイレに流してるようなものだよ」
晶子は今まで思ってきたことを言った。
しかし栗山はそれに対して「えー」と呟くと続けて返答した。
「だってさ、食べ物は食べて喉を通った時点でもう活躍しているんじゃないかな。食べたいって欲求を満たすために食べるんでしょ?口に入れた時点で噛んで味を楽しむことはできるし、それだけで十分食べ物の役割は果たしているし、それで飲み込むんだから喉を通っているのならそれだけでも「食べたい」という欲求はかなっているんじゃないのかな。だからそれを達成できたのならもうその時点で十分に食べ物の役目は果たしてるから食べた物を吐くからって無駄にしているなんてことはないんじゃないかな」
晶子はその発言を聞いて目から鱗だった。
今まで食べた物は胃に入って吸収されることで役目をはたしていると思っていたので食べて喉を通った時点で役目を過ごしてる、なんて考えたことはなかった。
栗山圭はあくまでも自分の思ったことを言ってるだけなのかそれとも自分を励まそうとしているのかわからないがその表現に晶子は少しだけ心が軽くなった。
今まで自分で自分を追い詰めていたのかもしれない。
人によってはそういう考え方もあるのだと、気づかされた。
「そう自分を責めない方がいいよ。清野さんにとっては食べること自体が必要なことだったんじゃないのかな。それならその役目として今まで食べた物は無駄じゃないよ」
その言葉に救われような気がした。
自分がダメだとマイナスに思い込んでいたことを前向きなプラスな考え方をする、それは今までの晶子にはなかった発想だ。
「でも、私は今まで自分のわがままで多くの人に迷惑かけちゃったなって思う。この学校に来たのだって以前通ってた学校を辞めちゃったからだし」
晶子は続けてその話をした。
この学校に来てから新しく知り合った人には前の学校の話などしたことはなかったのだがなぜかこの栗山圭のペースの勢いでリミッターが外れたのかもしれない。
「清野さんは清野さんだよ。俺にとっての清野さんはこの学校に入学して初めて知った清野さんしか知らないし、前の学校でどんなだったとかそんな昔のことなんて関係ないよ。俺から見た清野さんはアニメにも詳しくて、バイトも立派にしていてちゃんと今までの行いにも反省するし、学校にもちゃんと行ってるいい子だよ」
晶子はその時、またもや目から鱗が落ちたような気がした。
今までは自分には太っていると価値がないと思い込み、前の学校を辞めた自分にとっては高校を中退した摂食障害の女、という悪いイメージでマイナスしかないと思っていたのだ。
しかし栗山圭をはじめこの学校の生徒から見た晶子はあくまでもこの高校に入学してから初めて知り合い、こうしてクラスメイトとして言葉を交わすようになった。
そこには以前の晶子など知る由もなく、栗山にとっての晶子は「高校を辞めた摂食障害の女」ではなく「この高校に入学してから知り合ったクラスメイト」なのである
新しく知り合った関係なので今まで共に過ごしていた時間の中での関係に以前女子高に通っていた頃の晶子は含まれていないのだ。
「以前がどうなんだっただろうとそれは今がOKならオールオッケーなんだ。過去には戻れない。未来はこれから作るものだし。それなら今が精いっぱい生きていれるならいいんじゃないかな。今が大事だよ」
栗山圭はさらにそう言った。
今まで自分のことなんて見ていなかった
ただ周囲に流されるままで自分のことを体型で決めつけてダメだとか痩せていないと価値観がないと思い込んで自分には痩せていないと誰も見てくれないと思っていた。そうやって現実から逃げていたのかもしれない。
うまくいかないと自分の何かがダメだと決めつけて変えようとすることで乗り越えようとしていた。
自分自身の本来の姿や本当の気持ちなんてちっとも見ようとせずに、ただ体型にこだわっていた。
だがこの学校に来て晶子は確実に変わり始めていた。
自分のことを心配してくれる家族、親身になってくれる友人、圭や通信制のクラスメイト、みんな自分の本当の姿を見ていてくれる。
自分のここがダメだとか、自分は何をしなければみんなが認めてくれないとかそんな固執した考えばかりに囚われてしまい自分自身を見ようとせずにただ変えようとするばかりでその結果は摂食障害になっていた。
何もかもが自分の思い込みによる子供っぽさと身勝手なわがままで周囲を振り回したのだ。
さらに晶子は今まで誰にも言わなかったことを栗山圭に言った。
「私、一度死のうとしたことあるんだ。摂食障害で学校辞めることになってもう人生に絶望して、生きる目標もなくて、ただ親に迷惑をかけるだけで何もできない自分は死んだ方がいいと思ってだけど死ねなかった」
栗山圭は自販機で買ったジュースを飲みながら黙って晶子の話を聞いていた。
「でも好美……友達がこの学校のことを教えてくれて、そしてここに来ていろんなことを知った。バイトでも苦労もあったけど、世の中にはいろんな人がいるってよくわかったし」
そう言うと圭はぐぐーっとジュースを飲み干し空になったボトルをベンチの横のごみ箱に捨ててから言った。
「清野さんが摂食障害で苦しんだって気持ちはわかるよ。俺も、そういうコンプレックスなものとか持ってるしね」
栗山は言ったのだ。
「え?栗山くんが?そんなの持ってるように見えないけど……」
栗山圭はなんの悩みも持っていなさそうに思えていた。
いつも暗い話などしないし、そんな雰囲気もない
晶子の摂食障害のように痩せ気味もしくは太りすぎといった体格もなければどこか悩みを抱いているようには見えなかった。
「見た目ではわかんないけど、まあ前の学校でちょっとね」
普段の栗山の話し方や素振りなどではとてもそんな悩みを抱えているようには思えなかった。
「俺も以前通っていた高校を辞めたんだ」
晶子はその告白に衝撃を受けた。
彼もまた、晶子と同じように元は別の学校に通っていたがそこを辞めてここへ来たのだ。
通信制高校にはそれぞれの事情で全日制の高校に通えない人が来る、とはいうがまさに栗山圭もそうだった。
「前の学校では勉強もできなくて。話すこともアニメのこととかで、周囲と合わせられなくて。そうしてるうちに学校行くの嫌になって。自分は普通じゃないって周りとのコンプレックスに悩んでそれで学校休んでるうちに出席日数足りなくて進級できないから高校辞めたんだ」
晶子が前の学校での栗山圭と似たような悩みを抱いていたように、栗山もまた同じく学校でうまくいかず、そして高校を辞めたという過去を持っていたのだ。
「だから俺には接客業のアルバイトなんて絶対できない。ただでさえ学校もそれだったんだから臨機応変な対応を求められたり、人の相手をするお仕事なんて絶対にできない。もし俺なんかがお店でバイトしたら確実にお客さんに怒られるし、きっとすぐクビだろうなあ。だから家業を手伝うだけが精一杯なんだ」
以前言っていた「バイトができてすごい」という意味には自分には絶対にすることができない能力を持っていたという意味も含まれていたのだった。
栗山圭がバイトをできない、と言った意味にはそういった理由も含まれていたのである。
晶子は知らなかった事実を次々と知ったことでまるで鈍器で頭を殴られたくらいに衝撃を受けた。
摂食障害という病気になって、まるでこの学校では自分だけが不幸で以前の学校をやめるほどになるまで追い込まれていたと悲劇のヒロインぶっていたのかもしれない。
しかし自分だけではなかったと知ったのだ、
「みんなそれぞれ学校のことや家庭のことで自分のことで悩んでいたりするんだね……。自分だけじゃないんだ」
晶子は今まで自分だけ世の中で不幸なのだと思っていた。
自分だけが太りやすい体型で摂食障害になったり、自分のメンタルの弱さで学校を辞めたりしていた。
そういった自分勝手な事情で高校を辞めて別の高校へと再入学したのは自分だけだと思っていた。
栗山は普段明るいことを話したり、特に人の事情も聞いてこないのでその手の悩みを抱いたりしている。
しかし実際はそうではない。皆様々な悩みや事情を抱えていてもそれは目に見えないだけなのである。
よりによって太りやすい体質で生まれてきたために必死でダイエットをしてでもなんとか自分を保とうとしたり、無理やり合わないところで居場所を作ろうとしていた。
しかし実際はそれも子供の発想でしかなかったのだ。
体型のせいにしてそこを変えてなんとかみんなに受け入れてもらおう、と無理やり偽物の自分を作っただけである。
本当の友達とは本当にその人自身を見てくれる人等気が合う人こそが一緒にいて楽しいと思えるのだ。
自分が不幸がっていたこともなんて子供だったのだろうかという恥を持った。
世の中悩んでいるのは自分一人ではないのである。
晶子はまたここで生きていくとはそういうこともあるのだと思った。
「栗山くん。ありがとう。なんか私、今日すごく人生観変わった気がするよ」
栗山のその発言は晶子を変えるターニングポイントになっていた。
「どういたしまして。別に大したことはしてないけどね」
昼休みも終わりの時間に近づいたので二人は教室に戻ることにした。
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