5話


ドロドロのお粥をひふひふ言いながら食べ切り、きっちり35分後に食器を取りに来た宇久森の気遣い力の高さに目を焼かれながらも、那緒はこの世界の書物を手に入れることに成功していた。書物、といっても20ページもない薄いブランケット判の紙。生前では新聞と呼ばれていたそれは、この世界の情報を得るためにはうってつけのアイテムである。


「まだなにも分からないんだよね」


己が“なお“という名前であることしか情報は無い。

部屋の内装から生前の文明レベルとさほど上下しないことは分かるが、言ってしまえばそれだけ。国同士の抗争も名前も家族関係すら、那緒は分からないでいた。

知識と情報は力だ。

無知が罪とは言わないが、知らないだけで己の利は恐ろしいほどに減っていく。知ることは生きること。せめて世界観だけでも把握せねば。

那緒はベッドの端に積まれていた新聞を手に取る。


「悪役令嬢とかじゃないといいけど」


折り畳まれた新聞を開く。

政治家の不正が一面を飾っていた。裏には地球温暖化の記事に、ここ最近の異常気象、牛の品評会、疫病の注意勧告と見慣れた見出しが載っていた。今日も今日とて変わりばえしないラインナップに那緒はふうと息を吐き出し、新聞を畳んだ。

そして冒頭に戻る。

那緒は真っ赤な顔を両手で覆った。


「え、いや恥ずかしい、凄く恥ずかしい。は?なにがドSの国の女王様だよ、誰だよそんなこと言ったの」


那緒である。

宇久森の証言をもとに人物像を作成したが、イメージしたのは本人である。それが途方もなく恥ずかしかった。リアルに二次元を投影するなど小説の読みすぎだ。恥かしい。誰かに言う前で良かったと那緒は心の底から思った。


「.......ん?じゃあ、あの人は本格的に誰だ?」


転生したなら許嫁、婚約者、兄、友人などさまざまな候補に上がるが、生憎と金花那緒の人生に顔面国宝の知り合いはいない。


「会社の人じゃないし、取引先の担当でもないし、警察には見えないし.....あ、医者か?」


いいや違うな。あれの甲斐甲斐しさは医者じゃない、介護士だ。間違いないと頷く。

目の前で己の寝具にリバースした人間に翌日笑いかけられる鋼鉄のメンタルは、日常的にヒトの世話をし慣れている寛大な人間しか持ち合わせていないだろう。

うんうん、と那緒はひとり頷く。

あとお粥の味付けは最高だったし、彼の役職は介護師に違いない。まぁ、どちらにしても


「監禁されてるんだけどね」


言葉にすると一気に現実味が増す。

ここでの暮らしは快適だ。快適すぎて実感がまるで湧かないが、ちゃんと監禁されている。


セミダブルベットが余裕で入る広い部屋。

軽くて柔らかな羽毛布団。

冷暖房に完備に防音まで備えた壁。

隙間風の吹かない立派な部屋。

部屋ひとつ取っただけでも那緒の暮らしていたあの部屋とは、月とすっぽん程の格差があった。茹だるような暑さの中、保冷剤をタオルで包んで首に巻き扇風機の前から1ミリも動けなかった日々が遠い昔のように感じる。今まで己は地獄で生活していたのか。そう錯覚してしまうほど、宇久森家での生活は天国だ。

意識を取り戻してから1日しか経っていないのにも関わらず、那緒はそう感じていた。


「とんでもなく快適だわ.......」


監禁されているのに。

日がな一日仕事もせずに、寝て起きたらイケメンがご飯を部屋に運んでくる生活。これを天国と言わずしてどこを天国というのか。

確かに行動は制限された。

この家を出ることは出来ないし、トイレと風呂は鎖が邪魔をして扉がうまく閉まらない。移動のたびにチャリチャリと喧しいが、言ってしまえばそれだけだ。

それだけしか不便さはなかったのだ。

しかも那緒は出不精。仕事と買い物以外で家を出ることがゼロに近いため、監禁されているという感覚すら薄い。監禁とはただの長期休暇のことだったのではないか。そんな気さえしてきていた。


「鎖を付けるだけでこんな快適ライフが手に入るなら、喜んで腕を差し出すでしょ。相手は顔面国宝だし」


しかも、タダ。

何十万と貢いでも笑顔ひとつでオプション料金が発生しそうなイケメンなのにタダ。衣食住に年頃のイケメンがついてるのにタダ。

世界中の金持ちが黙ってないだろうなと那緒は思った。老若男女を魅了する顔だ。たとえマルチ商法か怪しい宗教であっても、釣り上げられる魚は大きくて多いに違いない。

だからこそ分からなかった。


「なんでこんなことやってんだろう」


それも知り合いなどと嘘までついて。


(お金か名誉か、それとも偽善かしら)


慈善事業•奉仕精神という選択肢は、はなから那緒の頭には無い。無欲な人間などいない。優しく手を差し伸べる者ほど、知らないところで欲や金が絡んでいるのを彼女は良く理解していた。


相手を食い物にしたい

誰かを一生独り占めしたい

己の存在を周囲に認めさせたい

一生遊んで暮らせるお金が欲しい

人が言葉だけで平伏すだけの力が欲しい

万人を振り向かせる美人を見せびらかしたい


欲の形は十人十色だが、各々に欲はある。彼が持つのはどの色の欲だろうか。

トントンと指で顎を叩く。


(考えられるのはお金だけど、それだとわたしを狙う理由がよく分からないんだよね)


女性というだけで食い物にしようとする人間は多いが、怪我人を、それも死にかけをわざわざ連れ去るだろうか。どう考えても無傷な家出少女を誘拐した方がリスクは少ない。年若い彼らは数日なら家出で処理されるし、親が無頓着ならそもそも捜索願だって出されないのだから。


(最近のニーズは怪我持ち女性? まぁ、だからって白昼に往来で刺された人間を持っていこうなんて普通は考えないけど.....)


はて、那緒は首を傾げる。

知り合いを装って得られる物とはなんだろう。那緒には誇れる学はないし、身代金を出してくれる親はいない。特別な血液型でもなければ、溢れ出る才能があるわけでもない。そうなると那緒自身に価値があるとは思えない。


(連帯保証人とかかな)


世話を焼いて信用させたところで契約を結ばせる算段が、今のところ最もしっくりくると思った。なんにしろ逃げ出すために、目的をはっきりさせておきたいところだ。



と、コンコンと扉を叩く音。


「那緒さーん、お昼をお持ちしました」

「あ、はい」


時計を見ると針は12時を指していた。

もうそんな時間か。

那緒は返事をすると、ふらふらと扉に近寄り宇久森を迎え入れた。


「ありがとうございます」

「くたくたのお粥です」

「くたくたの」

「咀嚼では身体が痛まないようなので、今朝のモノよりかは粒を残してみました」

「餡子みたいですね」

「餡子ですか?なら8割殺しくらいですかね」

「お粥の8割殺し」


いっきに物騒になったお粥を受け取る。

今朝食べたスープ状とは異なり、茶碗を覗くと原型を辛うじて留めたお米が浮いていた。なるほど8割殺し。

ベッドにゆっくりと腰掛ける。

いただきます、と手を合わせてから一口含んだ。ふわりと甘い塩味が口内に広がる。


「......美味しい!」

「お口にあったようで良かったです」


今朝も食べたはずなのに飽きることはない。もしかしたら、味付けを変えているのかもしれない。ごくりとお粥を飲み込む。

一口すくって口に運ぶ。またすくって一口。視線。スプーンの上にお粥を乗せる。視線。スプーンを傾けて器にお粥を戻す。視線視線。おかわりをよそってもらう。視線視線視線。


「.......食事まだですよね?気にせず食べてきて下さい」

「いえ、後でいただきますので」


苦笑い、社交辞令が伝わらない。

会話中は視線が合っていたのに、止まるや否や下がる視線が痛い。にこにこと笑ってこそいるが、瞳は獲物を狙う肉食獣のように鋭い。

お粥を口に入れ、咀嚼し、喉を通って胃に落ちていく。ただそれだけの過程を恍惚とした表情で眺める宇久森に、背中がゾクゾクする。

「食事でヒトを笑顔にするのが幸せ」と話す料理人はいるが、それとは別種の視線だ。あれではまるで獲物が丸々と太るのを待っている魔女のようだ。

思って、スプーンが止まる。

青褪めた那緒の顔を宇久森が心配そうに覗き込む。


「内臓か」

「まだ内臓系は消火に悪いので駄目ですよ」


唐突な一言に宇久森から的確なツッコミが入る。違う。食べ物の話ではない。


(監禁してたくさん食べさせて太らせるなんて、ヘ◯ゼルとグレ◯テル的展開じゃない?)


食べて、寝て、ちょっと運動して、食べて、寝て。将来食べられる家畜となんら変わりない生活を送っていることに、食事中に那緒は気づいた。

これは売られる。

家畜を育てるのは食べるためだ。なら赤の他人育てるのはなんのためか。売るためだ。

外見的に問題がある那緒が売れる中で最も高値が付きそうなのは内臓。施設育ちな彼女は一般的な家庭で育った人間より健康だ。綺麗なピンク色で健康そのもの。高値がつく。


「くっ、その手には乗りませんよ!」

「どの手ででしょう?」

「わたしを美味しいご飯でまるまると太らせてからバラバラにして内臓を売る算段なんでしょう。知ってるんですからね」

「........食事がお口にあったということでしょうか?それは良かったです」

「あ、はい。高級料理店並みに美味しいです。行ったことないけど」


猫のように目を細めた宇久森に笑顔で返答する。このお粥だけではなく、今まで出されたお粥は大変美味だった。


「明日は鶏肉入りのお粥にも挑戦してみましょう。お好きでしたよね」

「はい!.......って、違いますよ!駄目です。あまり美味しいものを出さないで下さい。たくさん食べると出荷日が早まります」


騙されませんからねと憤慨する那緒に、宇久森は困ったように眉を下げて顎に手を当てた。だがその顔はどこか楽しげだ。


「太りたくない、ということでしょうか?」

「まとめるとそうです」

「茶碗一杯程度の食事では早々太りませんから安心してください」

「わたし二杯食べました」

「その鍋にご飯は一杯しか入れてません」


那緒は首を傾げた。

宇久森が小鍋を傾ける。

くたくたのお粥はまだ半分も残っていた。


「まだ食べられますか?」


言われて胃の辺りをさする。もう一口も入りそうになかった。ふるふると首を振る。


「お茶碗一杯も食べずにお腹がいっぱいになってしまうような人は、太ったりしませんから安心してください」


それにですね、と宇久森は続ける。


「まるまると太らせててしまうと、高血圧や内臓脂肪が増えて健康な内臓とは言えなくなると思いますよ」

「そうなんですか?」

「はい。脂肪肝とか知りませんか?」

「名前だけは」

「暴飲暴食、運動不足などの不摂生を繰り返していると肝臓に脂肪が溜まってしまう病気です。もし僕が那緒さんの内臓を売る気なら、無理にでも食べさせて運動させます」

「........運動してないです」

「でしょう?」


言われて気付いた。

たしかに内臓が欲しいなら那緒の機嫌など取る必要はない。食事や運動を治療と称して強制し、規定値に到達した時点で捌けばいいだけだ。どんなに嫌悪されても最後には殺すのだから、那緒の感情などどうでもいいはずだ。こんな風にお喋りに付き合う必要だって、本当はない。


「それに健康な臓器が欲しいなら、もっと簡単に継続的に続けられる方法を取りますよ」


那緒の手から茶碗が取られる。

反対の手に持っていたスプーンも回収されて、トレーの上に置かれた。


「効率を考えるなら孤児院を経営するなり家出少女を捕まえるなりします。ひとりに時間をかけてお世話なんてしませんし、臓器売買が露見した場合を考えて僕は表に立ちません」


タオルを手に取って那緒の口元を拭う。家で使っている固いタオルと違って柔らかく、花のいい匂いがした。きっとお高い柔軟剤を使っているのだろう。


「日本の臓器提供者は年間で100人にも満たない。子どもともなればさらに貴重です。那緒さん、悪い大人はどちらを商品にすると思いますか?」

「......子どもの方」

「正解です。当然、お金欲しさに人殺しをする連中は単価の高い子どもを選びます。では、僕はどうでしょう」


タオルを置いた宇久森が那緒の手を取ると、甘えるように頬を擦り付けられる。物騒な会話の内容とは裏腹に、その仕草は恋人に接する時のように甘い。


「那緒さんは確かに健康的な生活を送っていますが成人女性です。子どもと比べれば単価は安い。悪い大人が単価の安い方に投資すると思いますか?」

「それは、」

「臓器売買は法律で禁じられています。高い利益に比例して負うリスクも大きい。それを踏まえたうえで臓器を売るために那緒さんを治療していると、本当に御思いですか?」

「..........」


疑いはした。刺されて目が覚めたら軟禁されていたのだ。疑うなという方が無理な話だ。だが、甲斐甲斐しく世話を焼く彼を見て悪い大人とは思えないでいた。

名前を呼ばれ、伏せていた瞼を上げる。

ふたつの黒真珠と目があった。


「僕は、悪い大人に見えますか?」


見えない、と言いかけて唇を噛んだ。

たった数日世話を焼いた人間をそう安易と信用できるほど、那緒はいい暮らしをしてはいなかった。

でも、と小さく呟く。


「でも?」

「それならどうして、宇久森さんはわたしなんかの世話をするんですか?」

「........なんか、なんて言わないで下さい」


寂しいじゃありませんか、と宇久森は言う。那緒の目元を指でなぞった。


「あなたほど魅力的な方を僕は知りません」

「そういうお世辞はいいんですよ」

「いいえ、本心からです」


言葉はなかった。ただその瞳には、真っ黒な真珠のような瞳には那緒に向けた好意がありありと映っていた。愛おしい、雄弁に語りかける熱のこもった視線にひゅっと喉の奥が鳴る。


(ああ、この瞳をわたしは知っている)


ゴクリと唾を飲み込む。

手馴れていると那緒は思った。見当違いだったとも。宇久森は臓器のバイヤーなんて可愛いものではなかった。このヒトはもっと執拗で悪質で粘着質で多額をむしり取る夢売り他人だ。


「...............でしたか」

「那緒さん?」

「ホストの方でしたか」

「.........おやおや」


幼き頃に見た欲の色をした瞳を思い出す。

宇久森の瞳はその悪質な方のホストとよく似た色をしていた。あれは死ぬまで、いいや、死んでも金を毟り取っていた。

那緒は静かに後退した。





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