「超」番外編 世界一厳重な金庫の御話
目の前にそびえ立つのは要塞か、はたまた刑務所か。
物々しい雰囲気のその建物は、昔の面影が僅かに残っているほど。
「
通称〈松金〉
その名の通り、巨大な金の倉庫である。
怜とナウザー、コニーの三人は、馬車と鉄道を乗り継ぎ、世界一厳重だと言われている蒼松国の巨大な金庫に赴いていた。
この国の管轄でありながら、王の命令にも背ける権限を持っている松之金倉庫。
王族は勿論、貴族や商人向けに運営され、巨大で厳重な、この国の得意な建築技術を用いて造られている。
尚且つ、魔法が得意な国から取り寄せた嘘を見破るための魔石と、科学が得意な国で作らせた血液鑑定、指紋認証、その他諸々……。
何故、〈松金〉がこれ程迄に厳重になったのか──。
元々は国に直接金を預けていたのだが、怜が当時三才のとき、王が貴族達の預けたお金を全て私的に流用していたのだ。
国に金を預ければ毎月5%の利息がつくと、貴族達を唆していた当時の王。
数ヶ月の間は確かに預けた金の5%の利息が振込まれていたようだが、悪徳詐欺師の手法など直ぐに発覚し、それはそれは貴族達の怒りを買い、やがて金庫の運営は独立した。
それからも何度か不正は続いて、そしてその度に厳重になっていった。
今では〈世界で一番厳重な金庫〉と知られる程だ。
他国からわざわざ大切な物を預けに来る者も居るらしい。
そんな世界一厳重な金庫の、敷地の門。
その門を通ろうとすると、両端に鎮座している甲冑を着た像が動き、行く手を阻んだ。
どうやら瞳には魔石が埋め込まれているようで、深く濃い紫色に光っている。
魔石という
しかし犯罪を犯すわけでもなく、ただ真実を証明するだけなので、「堂々としておけば良い」と不安がるコニーに主人である怜は言った。
『名を──』
機械のような声が何処からともなく聞こえてくる。
魂の宿らぬものと話すのは少々不思議な感覚だが、聞かれた通りに答えた。
後ろに控えるナウザーとコニーも確認されてから、ようやく門を潜った。
ホッと息を吐き出すコニー、嘘をつく者はこの門すら通る事を許されないのか。
きっとこの先も高度な技術が用いられているのだろう。
煉瓦造りの建物には、予想通り至るところに科学の国から取り寄せたであろう高価な防犯システムが点在している。
怜達は案内に従い個室へ入るが、インテリアとして置かれている物の中には、やはり魔石が埋め込まれているものがある。
不正がないか確認する為なのだろうか。
金倉庫を建造した
──コン、コン、コン、
部屋を一通り確認し終わったあとに「失礼致します。狼森、怜様……で、間違いないのですよね?」と、まるで異界の者でも見るような瞳。
無理もない。
100年経って現れたのが二十三歳の若い男性なのだから。
制服であるツイード生地のダブルスーツを纏い、四角く大きな眼鏡をかけた七三分けの三十代前半の男。
右のラペルには目立つ色のステッチと、役職によってカラーの変わるネクタイ、フラワーホールに付けられたバッチ。
いかにも不正を許さぬ真面目そうな職員である。
「史郎様御夫婦の伝言通り、100年経って現れるとは夢にも思いませんでした……」
「それはこちらも同じこと。まさか私とて100年後まで生きているとはな」
「ふふ! いやはや、わたくし名を申し上げておりませんでした。個室担当のルドルフ・ビーと申します。代々担当者から狼森様の金庫を引き継いで参りましたが、今回私の代でお会いできて大変光栄です」
「そうか……。此方こそ今まで守っていただき感謝する」
「いえいえ、滅相もございません! では本題に入りましょうか」
滞在時間を短くする為か、手際良くルドルフが取り出したのは一見普通の書面のようだ。
「こちらに血判をお願い致します。この書面は貴方が狼森怜様本人であるとの証明の血判です。科学技術を用いて血の羅列を分析し、狼森家の息子であることの決定的証拠です。親指をココに押し当てるだけで結構ですが、少々チクッとしますので悪しからず」
「押し当てるだけで良いのだな?」
「はい」
言われた通り親指を押し当てた怜。
するとチクッと針で刺された痛みと同時に、押し当てた部分から空間に文字や記号等が浮かび上がる。
それらはカシャカシャと勝手に動き、そして三秒ほどで答えが出たらしく、また書面に戻っていく。
「はい、もう指を離して結構です」
針で刺された痛みと出血していた指。
しかし不思議な事に傷ひとつない。
「これも科学のひとつですが、指の細胞を分解し繋ぎ合わせております。傷は出来ませんよ。それに貴族様の指に傷を付けるなど私達は許されておりませんので」
ふふふ、と笑うルドルフだが、まるでブラックジョーク。
血が出ているのだからたとえ目視で確認出来ずとも傷は付いているのだから。
「細胞を分解……私には理解しがたいな……」
「そうですねぇ。わたくしも頭では理解していますが……、私達の国ではかなり難解です」
「これは科学でオーランド王国の様な魔法とはまた違うのだろう?」
「現象自体は似ているのですがね。簡単に言ってしまえば魔法は妖精達の力……自然のエネルギーで、科学は自然のエネルギーから学んで人間の知識が生み出した技術です」
「自然そのものを操るのか、自然を元に生み出すのか。そもそも魔法は妖精に加護されていないと、使えないものだしな」
「えぇ。技術の点で言えばわたくし達の国も科学に分類されるのかもしれません。まぁ、テクノバイト連合国に比べたら私達なんてミジンコみたいなものですが」
テクノバイト連合国とは、分野は違えど科学を得意とする国々が集まって出来た国だ。
怜達が住む大陸から船で二週間程の場所に位置する、然程大きくない大陸。
その大陸には小さな国が三つあり、20年ほど前に連合国になったばかりの筈だったが、ここまで発展するのかと怜達はまた驚かされた。
ルドルフはと言うと、その書面に刻まれた文字をまじまじと見て「むぅ……確かに、本人……で、間違いないですねぇ……」と呟いている。
ご確認下さいと差し出された書面。
そこには記号なのか文字なのかも分からないものと、その下には『父:狼森史郎 母:狼森セレナ』と記されている。
「これで証明されたのか? あまり実感は無いが……、ひとまず安心だな」
「実はまだ少しばかり疑っておりました……。けれどここまで突き付けられると納得しない訳にはいかないようです」
「信じられんのも無理はないな」
「では確認できましたのでお次は金庫の方に」
ルドルフは入室した扉とは別の扉を開け、怜達を誘導する。
その先にはいかにも古そうなエレベーターがあるが、恐らくこれも見た目だけで性能は最新なのだろう。
エレベーターは地下二階で停止し、ドアが開いた。
「100年振りに開けますので金庫作業員も同行させていただきます。ガルディ、頼む!」
名を呼ばれ床下から出てきたその人物。
背は怜の腰丈ほどで作業服を着て油にまみれた頑固そうな、正にオヤジ。
昔の怜ならば「近寄るな」と言っていただろう。
「ガルディ、此方が狼森家ご子息の怜様です。怜様、此方はガルディ、この階の全ての場所を把握し、金庫が錆びぬよう手入れをしている者です」
「宜しく頼む」
「なっ! こいつが史郎の息子か!? はぁ~……、確かにセレナにそっくりだな」
「両親を知っているのか……?」
「ったりめーよう!」
「ガルディ! 言葉遣いに気を付けなさい!」
とても長い間金庫番担当であるため怜の両親の事もよく知っているという。
身長の低さから見て、彼はドワーフなのかもしれない。
「綺麗で愛想も仲も良い夫婦だったからなぁ。ココに来る貴族共は汚ねー格好したワシを毛嫌いする連中ばかりだが、あいつらは……、最初から人の善さが滲み出てたな」
「ふふっ、そうだな……その通りだよ。誰にでも優しくて、誰の目線にも立てる……。私は、そんな両親を見て、もっと貴族らしく在るべきだと、100年前の私は、両親とは正反対だったよ」
ふふ、とコニーとナウザーもつられて笑う。
振り返ればなんと醜い人間だったか。
もし己が醜い事にも気付かず、あのまま歳だけとっていたらと考えると恐ろしい。
「それに気付けたのなら、大人になったっつー事だ! 中には歳をとれば大人になると勘違いしてる輩も居るが……、そう思っている奴等ほどガキなんだよな。
ガルディは「あー、ヤダヤダ」とぼやきながらとある金庫の前で足を止め、扉の蝶番に油を挿した。
「この金庫が狼森家の金庫だ。なんてたって100年振りだからな……すんなり開くかどうか。いささか心配だな……」
「怜様。こちらの扉の、この部分。また親指を押し当てて下さい」
金庫の真ん中には柔らかそうな金属。
先程書面で捺した血判は血液の情報と共に指紋も取っており、その指紋は同時にこの金庫にも共有されていて、途中で人間が掏り替わる事を予想してのものらしい。
最後まで抜かりがないなと思いながらも、その金属にむにっと、指を押し当てた。
『照合──、確認──、 怜様初めまして。お待ちしておりました』
ガッチャン──……
またもや魂の宿らぬ声の後、施錠が外れる音がした。
「どうやら開いたようです」
「ふむ……」
扉自体は年代物だ。
取っ手を持ち、グッと力いっぱい手前に引く。
ガルディも蝶番に油を挿し、ギギギ、ギ──……と古びた音を響かせながら、金庫は開いた。
「おぉお! わたくし感激です……! 開かずの金庫が目の前で開かれた……! この日の事は忘れません……!」
「ちゃんと開いて良かったぜ……」
「あぁ。開いたな。次は王に提出する書類だ」
「え。左様で御座いますか。そうですか……」
少々どころかかなり残念そうなルドルフ。
きっと怜達が感動する所を見たかったのだろう。
ルドルフにとっては大昔の記憶だが、怜達にとってはただの人生の思い出だ。
写真や現金等々、何が保管されているか大方予想はつく。
そして血判を捺した書類を、血液の情報や指紋を悪用されぬよう加工した特殊な複製紙を受け取り、ルドルフやガルディと別れ松之金倉庫を後にした。
「は〜〜〜……はーーあ。息が詰まるかと思いましたわ!」と、止めていた息でも吐くかの如くコニーが言うので、男二人はジトリと視線を向けた。
何せ〈松金〉に入ってからひとつも言葉を発していないのだ。
「なんですか二人して。慣れぬとこでは目立つなと僅かに残る犬の本能がそう申しておりましたので。何か問題ありました?」
「ふん、全く都合が良い本能です」
「ナウザーはお黙りなさい。貴方だって嗅覚フル活用しているではないですか!」
「ふぉっふぉ、私めは元々鼻が優れているのですよ」
「お前ら、主の前で言い争うなよ……」
はぁ、と怜が色っぽい溜息をつけば、周りの女性達が子宮を疼かせよろめく。
馬車の中から涼しげな視線と無駄な色気だけを残して、怜達は王宮へと馬を走らせたのだった。
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