さがしものは何ですか。


「ステラのこと、気になります?」

「えっ、あ、そのっ……申し訳ありません……」

「謝ることなんてないですよ。だってわんこって可愛いですもの。ね!」



 アオイのキラキラした瞳を見て「ふふ」と笑みが溢れるアリス。

 青白い頬にほんのり色が付く。



「ねぇステラ。ちょっと頭貸して」

「はい?」



 突然のお願いに嫌な予感がしますねどういう意味ですかと顔に出していれば、「アリス様! どうぞ! 存分に撫でて下さい!」なんて勝手に許可を出すアオイ。



「は? アオイ様? 本当に何言ってるんですか??」

「えっ、いやそんな……!」



 人ん家の犬をそんな簡単に撫でれませんよとあちらも顔で訴え口でも否定しておきながら、撫でたそうに己を見つめるアリスのまなこに、ステラは「はぁ」と溜息。



「もう、仕方ないですねぇ。アリス様、どうぞ私を存分に撫で回して下さいませ」

「い! 良いのですか!?」

「はい。私は犬ですからね。撫でられるの大好きですから。えぇ」

「そ、そうね……あはは……」



 ステラの言葉に苦笑いするアリスだが、頭にそっと手を伸ばした。

 掌に柔らかな毛の感触が伝わってきて、味わうようにゆっくり撫でていると、顔の筋肉も緩み解けていくようだ。

 身体全体でその至高の生き物を感じれば、全身に血が巡るような感覚。

 アリスは久し振りに感じた。

 これが癒しだと。



「動物って本当に可愛いですよね。このもふもふと言葉の要らぬ心の通い」

「はい……!」

「まぁステラ達はめちゃくちゃに喋るけれど」

「ちょっとアオイ様。まるで私がお喋りみたいに言わないで下さいませ! シェーンよりよっぽどマシです!」

「あら失礼」

「ふふふっ!」



 微笑むアリスは血の巡りを取り戻し、唇は桃色に染まりだす。

 だが、アリスお付きのメイドは涙ぐみながら「こんな風に笑われるのは何年振りでしょうか……」と口を開いた。

 そう言えば笑っている印象はあまり受けないですねとステラは答える。

 警備犬や怜以外の使用犬たちは、用でもない限り本邸には近付かない。

 何故なら、クリスが犬嫌いだからだ。

 それを聞いたアオイは「こんなに可愛いのに!!」と衝撃を受けるが、誰しも嫌いなものはある。

 アオイだって自分勝手でマイナス思考な人間は嫌いだ。



「大変失礼かとは思いますが、原因は怜様でして……」

「そうなんですか? 怜が何かしたの……?」

「旦那様は顔面も図体も凶器ですからね。脅かしたりでもしたんでしょう。全く。私達までとばっちりですよ」

「そんな事……、怜様は強くて頼りになる御方です」


 

 アリスお付きのメイドが言うには、どうやら小さい頃に出会った大伯父、つまり怜についてのトラウマが原因の一つらしい。


 今から36年前──、狼森おいのもりクリス、五才の春。

 それは父と共に出掛けた帰りの事。

 森でいきなり馬が暴れだし、父が「どうしたんだ」と御者に聞くと、「大きな獣が!」と焦った様子。

 馬車から降り外に出た父に、子供ながら(何故出てしまうのか、喰われてしまう……!)と思ったそう。

 なかなか帰って来ないので、馬車の窓から恐る恐る覗いてみると、なんとも大きな狼が父に噛みつこうとしているではないか。

 そこでクリスは気を失った。


 後から聞くと、勿論噛みついてもいなく、大きな獣が怜だと分かっていて外に出たのだ、そして少々世間話をしていた。

 クリスがもっと小さい頃から『大伯父は恐い人だぞ』と教え育てられ、実際に会ったのがアレである。

 大きな獣が大伯父様だと知っても尚、あの時の光景と衝撃がトラウマになってしまったのだ。


 それから10年経ってクリス十五歳の冬──。

 そこに二つ目のトラウマがあった。


 仲が良かった貴族の家に遊びに来ていたクリス。

 邸では小型犬を飼っていたが、無駄吠えもせず友達にとても懐いていて言うことをよく聞く犬だった。

 それを見ていると、(もう子供ではないのだから犬嫌いも克服しているだろう。あの時は自分も小さかったから……)と、友達が飼犬におやつをあげ少し離れている間に、頭を撫でてみようと恐る恐る手を出してみた。

 すると途端にその犬は唸り声をあげ、牙を剥き出し、クリスの手に噛み付こうとしてきたのだ。

 「こらこらダメだよ」と唸り声を聞いた友達が戻ってきて怪我もせず済んだが、(やはりいくら小さかろうと獣は獣だ……!)とクリスは思ったそう。


 まぁ、食事の最中に頭上から手を出されると犬も嫌な気分になるものだ。

 そもそも今まで自分に良い感情を向けていなかった人間のことを、犬も好きになるはずがない。

 犬にだってプライドはある。

 クリスは、動物に対する接し方が根本から間違っていたのだ。

 一世代で済めばいいものを、犬嫌いは娘にまで影響を及ぼしてしまう。



「アリス様は、旦那様とは逆で犬や猫、動物がとても好きな子でした───……

 ……アリス様が十歳のある日、捨て犬が迷い込みアリス様は抱き上げ、そしてお風呂に入れご飯もあげ、「お父様が帰ってきたら飼ってもらうんだ!」と、とても不安そうにしながら期待に胸を膨らませておりました。

 勿論、旦那様が犬がお嫌いなのはアリス様も知っておられます。しかしそれでも捨てられた可哀想な犬に愛を与えたかった。

 病気で死んでしまった母親がくれた愛情を、自分も誰かに返したいと……、常に仰ってましたから。

 そして仕事から帰られた旦那様は、犬を抱いたアリス様を見るなり恐ろしい形相で近付き、アリス様から犬を乱暴に取り上げ、……床に叩きつけたのです。

 私達も止めに入りましたが、旦那様はそれはもう怒っておられました。

 何だこの汚い獣は家に入れるな、今すぐ捨ててこいと怒鳴られ、それでも涙ながらに反抗していたアリス様と、怯えた犬をみると、私達も辛くて……」

「それから……?」

「それから……、捨てるフリをしてこっそり飼っていたのです。その同時期にアリス様の体調が優れなくなってきまして、それはもう旦那様は心配しておられました。奥様の事も御座いましたので、アリス様まで居なくなっては……と言うお気持ちなのでしょう」



 それもそうだろう。

 愛しい我が子、大事な娘、たった一人の家族だ。

 だからと言ってクリスが子犬に対し取った行動は許されたものではない。



「……あの日も、ベッドから起きれないアリス様を心配し、旦那様が部屋に来られたその時、慌てて隠した犬が鳴いてしまい、こんな汚らわしい獣が居るからアリス様が病気になるんだと、また掴み上げ、そのまま馬で何処かへ……、そして犬は二度と帰ってこなかった」

「そんな……」

「私達も必死に追いかけましたが、旦那様は、ああは見えても辺境伯、とても追い付けませんでした」

「その子の名前は栗鼠りすって言うんです」



 アリスは寂しく微笑んで犬の名前を教えてくれた。

 家族の名前と、小さくてリスみたいな毛色だったからだという。



「可愛い私の栗鼠……何処へ行ったのかしら。生きて、いるのかしら。痛い思いをさせてしまった。それに、私のせいで二度も人間に捨てられてしまうだなんて……。私は守ってあげられなかった。私の可愛い栗鼠……ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……」

「あぁアリス様……お可哀想に……。旦那様が何処かへ栗鼠を連れていったあの日から、私達メイドは夜な夜な交代でこっそり森へ探しに行ってるのです。ですが……」

「見つからない、のね」

「はい。未だに……。短い時間で旦那様に見つからぬようにと探す範囲も限られてしまい、もしかしたらもっと遠くへ行っているかも、もしかしかしたら、あの時もう……」



 つつ──と、アリスの頬に涙が流れる。

 何度も泣いたような、そんな涙だった。



「私も、探すの手伝います」



 そんな涙を見せられれば自然と言葉が出てしまった。

 今日会ったばかりで巻き込むわけにはいかないと首を振るアリスと御付きのメイドだが、さがしものなら得意だ。

 それに犬好きを舐めてもらっては困る。


 くしてアオイは捜索願を承ったのだった。

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