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 ……いや、実際にアズヴァルドは、そう言っているのだ。

 思えば以前の、学校で子供達に外の話をした件だって、僕の顔が広くドワーフの国に知れるようにか。

 きっとあの頃から、アズヴァルドは王の座を退く事を考えていたのだろう。

 でも、一体何故、彼は僕をドワーフの王にしようと思うのか。


 黙ってしまった僕に、アズヴァルドは一つ鼻を鳴らして、

「王だのなんだの、大きな肩書を面倒臭がる事くらいはよく知っとる。だがな、エイサーよ。お前さん、儂が死んだ後は、この国に寄り付く理由もなくなるじゃろう?」

 そんな言葉をぶつけてくる。


 あぁ、実際その通りだろう。

 僕はドワーフという種族が好きだが、それは何よりも、アズヴァルドがドワーフであったからだ。

 ドワーフと気質が合う、価値観が近い、一緒に酒を飲んで楽しい。

 それらも確かに事実だが、それを教えてくれたのもアズヴァルドだった。


「故に儂は、エイサーをこの国の王にしたいと思う。お前さんの腕ならなれるだろうし、その権利はあるからな」

 彼は心の底から僕を案じて、そんな事を言ってくれている。

 それはひしひしと伝わって来た。

 僕は果報者だと、本当にそう思う。


 だから僕は目を閉じて、思いを巡らす。

 僕がドワーフの国で王を目指せば、どんな日々が待っているのかを、ゆっくりと考える。


 まずは王を巡る競争に勝ち抜けるのか。

 最近は、自分と他のドワーフの腕を比べたりしてないから判断が難しいが、アズヴァルドが言うなら互角以上ではあるのだろう。

 もし勝てなかったとしても、優秀なドワーフの鍛冶師達と腕を比べ合うのは、間違いなく楽しい筈だ。


 そして王になれたなら、僕はこの国をどうしていくだろうか。

 鍛冶をして鍛冶をして鍛冶をして、鍛冶に耽りながらも、僕はこの国に幾つも変化を齎すと思う。

 ドワーフは変化を好まない種族だから、その幾つかは彼らに拒まれもするだろうけれど、本当にいい変化なら、受け入れて貰えると知っている。

 あぁ、ドワーフの王は、きっと悔しい事も多いだろうけれど、喜びや楽しみもまた多くて、やりがいのある立場に違いない。


 うん、でも、だからこそ僕は、

「ドワーフの王には、僕はなれないよ。アズヴァルド」

 首を横に振って、彼に否定の意思を示す。


 ドワーフの王はやりがいのある立場だからこそ、僕は夢中になって、必死になって、この国で過ごすだろう。

 その結果、僕はずっと長い間、この国を支配し続けてしまうのだ。

 アズヴァルドの在位は、王の座を巡る競争が長引いたとしても、百年程になる。

 でも僕がドワーフの王となった場合、数百年間は、王の交代は行われない。


 自分から王座を退く事はもちろんできるが、その判断を僕が下せるかは、正直に言って自信がなかった。

 また老いた訳でもない王の引退を、周囲が認めるのかも、また難しい話である。

 民であるドワーフ達よりもずっと長く生きる僕が、彼らの王となる事が、どんな影響をこの国に及ぼしてしまうのか。

 黄古帝国の仙人達のようには、僕には振る舞える筈もない。


 ドワーフにはドワーフの、世代交代のペースがある。

 上が居なくなるからこそ、次の上を目指して研鑽を積み、試行錯誤する者がいる。

 例えば前の王座を巡る競争を見据えて、名工の一人であるラジュードルが魔術を研究して準備していたように。


 僕がドワーフの王になれば、その研鑽を、試行錯誤の芽を摘んでしまう事にもなるだろう。

 それどころか僕の在位が長すぎて、それを当たり前に思ったドワーフが、上を目指す心を忘れてしまうかもしれない。

 彼らは僕を同胞として受け入れてくれたが、それでも僕は、ドワーフとは異なる生き物だから。

 友となり、隣を歩く事はできても、その上に立つべきではない。

 このドワーフの国は、多くの種族が入り混じった国ではなく、ドワーフの国なのだから。


「……そうか。なら無理にとは言わん」

 アズヴァルドは少し肩を落としてそう言うと、座り込んで作業に戻る。

 だから僕も並んで座り、同じく作業を再開した。

 鍛える鉄の匂いを嗅げば、揺れ動いた心も落ち着く。


「うん、ありがとう。でも一つだけ、訂正したいんだけど、僕はクソドワーフ師匠が死んでも、墓参りには来るよ。この国に寄り付く理由はそれで十分にあるんだ」

 彼の気持ちは本当に嬉しかったから、僕は茶化すように彼をクソドワーフと呼ぶ。

 するとアズヴァルドはハッと笑って、

「そうかい。楽しみにしとるよ。その時の土産は、酒にせい。お前さんはクソエルフの癖に、本当にいい酒を選びよるからな」

 鉄を真っ赤に燃える炉の中へと入れた。


 炉の中では火の精霊が踊り、鉄を熱して加工し易くしてくれる。

 僕達はそこから先は何も言わずに、ただひたすらに作業に没頭した。

 それ以上の言葉は、もう不要だったから。



 そしてアイレナの手紙に記されていた時は過ぎ、彼女は約束通りにドワーフの国へとやって来た。

 今回はキャラバンを引き連れず、単身で。

 つまりは僕にも、旅立ちの時が来たのだ。

 到着したばかりのアイレナは旅の疲労が重いから、即座に旅立つ訳じゃないけれど、しかし長居をする用事はない。

 彼女の疲れが数日の休息で抜けたなら、僕らはドワーフの国を出る。


 旅立ちの日に、アズヴァルドは見送りはしてくれたけど、今回はお互いに、特に別れの言葉は交わさない。

 これが永遠の別れになる可能性も皆無じゃないけれど、たとえそうであっても後悔がないようにこの数年を過ごしたから。

 ただ、お互いに、相手の胸を拳で突いて、笑みを浮かべて背を向ける。


 空はどこまでも澄んでいて、山々はとても雄大だ。

 次に目指すはその山々よりも高い雲の上。

 そこでは何が、僕とアイレナを待ち受けているのだろうか。

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