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昔、鍛冶を教わった時は、『たのもう!』なんて言ってアズヴァルドの、クソドワーフ師匠の鍛冶屋に突撃したけれども、今にして思うと割と滅茶苦茶だったなぁって、そう思う。
よくあれで受け入れてくれた物である。
本当に我が鍛冶の師は、懐が広い。
今はもう亡き剣の師、カエハにも、やっぱり強引に弟子入りしたっけ。
魔術を教えてくれたカウシュマンは、あれは向こうから鍛冶を教えてくれって来たけれど……。
あの頃はそれが運命だと感じれば、迷わずに突っ走る事ができた。
しかし今の僕にあの頃と同じ真似は少しばかり難しいし、何よりもこの国の貴族であるマルマロス伯爵には、アポイントメントなしで会おうとすれば犯罪者として捕まってしまう。
だから僕は鍛冶師組合を通して完成した短剣、チンクエディアを献上し、目通りを願い出る。
そう、あの頃のように何も考えずに突っ走るのでなく、手順を踏む事は覚えたから。
チンクエディアを献上してから三日後、僕はこの町を司る中枢であるマルマロス伯爵の館へと招かれた。
どうやら僕の作品は、無事に伯爵の興味を惹けたらしい。
正直、少しホッとする。
いや、もちろん出来栄えに自信はあったのだけれど、それでも結果が出るまでは、万一があるかもしれないから。
まぁそれはさておいて、訪れたマルマロス伯爵の館は広い敷地に建つ、けれども豪奢というよりは趣味の良い、落ち着いた風情の建物だ。
だけど僕が使用人に案内されたのはその館ではなく、敷地の一角にある別の建物、恐らく工房であろう場所だった。
うぅん、これは予測になるのだけれど、マルマロス伯爵は僕と会うのに公的な時間ではなく、私的な時間の合間を選択したらしい。
あちらの館は確かにマルマロス伯爵の住む場所ではあるけれど、同時に彼の領主としての仕事場でもある。
でもこの工房は、彼が本当に好きな事、芸術に打ち込める私的な場所となるのだろう。
そして僕をその私的な場所に、また限られているのであろう私的な時間を使って招くというのは、……あのチンクエディアがマルマロス伯爵の心に響いたという確かな証左だ。
案内されて工房に入れば、作りかけの彫像に向かってノミを当ててハンマーを振るう一人の、作業着姿の男がいた。
年の頃は、四十を幾らか過ぎた程度だろうか。
熱心に製作に集中する彼の横顔からは、作業着姿ではあってもどことなく気品が感じられる。
使用人がその男に、躊躇いがちに声を掛けようとするのを、僕は仕草で制して、近くにあった椅子に腰を下ろす。
当主が招いた客の到来を報せるのが、使用人の役目である事に間違いはない。
けれどもここは貴族の当主の館ではなく、プライベートな工房だ。
僕は一人の、分野は違えど職人として、熱中してる彼の邪魔をしたくはなかった。
それに何より、来て早々に職人の技を見られるのだから、今は知識不足でその全てはとても理解できないにしても、ゆっくりと観察させて貰いたい。
もちろんそれでも使用人が、主人に来客を伝えねば怒られるからと言うのなら、それ以上は無理に止める気はないけれども。
すると使用人は、僕が納得するのならとばかりに、素直に引き下がる。
あぁ、やはり目の前の男、マルマロス伯爵は、貴族としては変わり者なのだろう。
使用人からも、プライベートの時間はなるべく邪魔をしたくないと思われるくらいに。
カンと硬質の音が響く度に、ノミが石を薄く削ぐ。
その様子は、削るというよりも寧ろ剥がすといった方が近いかもしれない。
一枚一枚、覆われた膜を丁寧に剥がして、その下に眠る本来の姿を取り戻させようとしてる……、そんな印象を僕は受けた。
そのまま暫く待っていると、やがてマルマロス伯爵は大きく大きく息を吐き、手を止める。
キリの良い所まで作業が進んだのか、それとも集中力が切れたのか、或いはその両方か。
彫刻を知らぬ今の僕には判断できないけれども、彼はくるりとこちらを振り返り、
「やぁ、すまない。待たせたね。いや、ちがうな、待ってくれてありがとう。丁度良い所だったんだ。……君があの、流星の短剣を献上してくれたエルフだね?」
そんな言葉を口にする。
その顔に浮かぶ表情は、驚きと敬意と興味、それらが混じり合って好意となった、屈託のない笑み。
しかし流星の短剣、彼にはあれが、そう見えたのか。
僕が献上したチンクエディアは、魔力を流せば彫られた溝が光を発する。
その際に魔力の流れに応じ、つまり根元から切っ先に向かって光るので、マルマロス伯爵にはそれが流星のように見えたのだろう。
何というか、随分と詩的な感覚だなぁとは思うけれど、そう評されるのは悪くない。
ただ実際には光ると言っても、単純に光を発するだけでなく、魔力の流れや強弱に応じて揺らぐように光るので、使い方次第では相手を大いに惑わす代物だ。
揺らぐ光は、実際の剣身の幅や長さ、つまりは間合いを曖昧にさせる。
武人があのチンクエディアを見れば、間違いなくそちらの惑わす効果に発想が行くのだろうけれど、マルマロス伯爵はあくまで芸術品としてあの短剣を評した。
どうやら本当に、彼は聞いていた通りの人物らしい。
魔道具としての機能は、正直なところ野暮だったかもしれないと不安になってたから、気に入ってもらえて何よりだ。
マルマロス伯爵自身に魔術の心得があるとは思えないから、短剣を光らせたのはお抱えの魔術師辺りだろうか。
まぁ何にせよ、魔道具としての効果も含めて、彼にあのチンクエディアが評価された事を、僕は嬉しく思う。
そしてここまでマルマロス伯爵の作品、評判、実際にあった印象、それから何よりも目の前で振るわれた技を見て、僕の心はもう既に決まっていた。
「お気に召したようで幸いだよ。あのチンクエディアは、うん、自信作だから、喜んで貰えたなら嬉しい。今日はマルマロス伯爵、貴方に弟子入りをお願いしにきたんだ」
貴族を相手にする、礼儀正しく、だけど回りくどい態度ではなく、まっすぐに用件を切り込む。
驚きに、マルマロス伯爵の目が丸くなる。
僕の態度も、それから言葉の内容も、彼にとっては予想外の事だったのだろう。
けれども、うん、やはりこれが僕のやり方だ。
「僕はもう亡くなってしまった友人達の姿を、この手で正しく残したい。僕の記憶の中にあるだけじゃ、全く違う似姿や石像を見た時、皆がそれを信じてしまう。僕にはそれが、彼らが違った何かになってしまったようで、悲しく思えるんだ」
相手が口を開く前に、僕は思いの丈を、言うべき事をぶつけていく。
押したり引いたりの駆け引きでなく、マルマロス伯爵の心に訴える為に。
「この町で、僕は貴方の作品を見た。冷たく孤高で、なのに生きてるかのような温かさを感じさせる狼の像だ。僕もあんな風に、友の姿を残したいと思う。だから貴方の技術が欲しい」
真っ直ぐに彼を見詰めて、視線に、言葉に、この胸に宿った熱を乗せる。
普通の人間なら受け止めがたい圧が、僕の視線や言葉には込められていただろう。
しかしマルマロス伯爵は、それを一歩も下がる事なく受け止めて、
「知っての通り、私はこの地を治める貴族でね。その統治の合間を縫って、こうして作品を手掛けてる。君の気持ちは伝わったけれど、弟子なんてものの面倒を見る時間が、私にはないのだよ」
……それから首を横に振る。
あぁ、それは確かに、至極尤もな言葉だった。
そこで統治を疎かにする領主なら、公園で出会った老人は、この町の住民は、マルマロス伯爵を慕いはしないだろう。
またそこで自分の作品を手掛ける時間を疎かにするなら、僕の心に刺さる像は存在しなかった筈だから。
彼の言葉に、僕は何も言うべき事が見付からない。
「でも、あの短剣は素晴らしい物だった。これまで武器の類にあんなに感情を揺さぶられた事はなかったよ。次に武器を帯びた像を手掛ける時、その像が帯びる武器は添え物では決してなくなる筈だ」
けれどもマルマロス伯爵は、そんな僕に笑みを向ける。
初めにこちらに向けた物と変わらない、好意に満ちた屈託のない笑みを。
「だからね、エルフ君。私には弟子の面倒を見る時間なんてないけれど、君があのように私の感情を揺さぶってくれるなら、それは私にとって有益だ。ならばそれを授業料として、私は君の教師になろう。弟子ではなく、労働契約なら、私は君と交わしてもいいと思ってる」
そして互いに名乗り合う事で、僕らの契約は結ばれる。
差し出されて握った手は、力強くて皮の分厚い、文弱呼ばわりされる貴族らしからぬものだった。
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