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 そこは不思議な空間だった。

 周囲の全てが、もちろん上も、絡み合う木々と葉に覆われてる。

 つまり外からの視線は完全に遮られているのに、明るい光に満ちているのだ。

 ……それからこの中は、外に比べれば随分と暖かい。

 いや、いっそ暑いと言ってしまってもいいくらいに。


 でもそんな事が気にならないくらいに圧倒的に目立つのは、その空間の中央に据えられた、とても大きな卵。

 どの位の大きさかといえば、僕が三人程いれば、両手を精一杯に伸ばして繋いで、卵の周囲を囲めるか否かといったところか。


 いやまさかこうくるとは少しばかり、いや、大分と予想外だ。

 確かにサリックスは、不死鳥に会う許可をくれた時、僕の望みが叶うかどうかはわからないって言ってたけれど、それは出会う為に何らかの試練があるのだとばかり思っていた。

 あぁでも僕らハイエルフだって、不滅の存在の一つに数えられながらも、肉体的には普通の生き物と決して大きくは変わらない。

 肝心なのは魂の不滅性であって、不死なる鳥も同一存在として成体から卵に、孵って雛に、それからまた成体にとサイクルを繰り返しているのなら、不死の存在で間違いはないのだろう。

 ……いや、実際にそのサイクルを繰り返してるのかどうかはわからないけれど、他に考えようがないし。


 しかし困った。

 この卵は不死なる鳥に間違いない。

 だけどこれでは、雲の上に運んで貰うどころか、対面する事さえ不可能だ。

 謂わば不死なる鳥は、今は休眠期にあるようなものなのだから。


 だが、一つおかしい事がある。

 サリックスはあの時、『望みが叶うかどうかはわからない』と言った。

 今のこの、不死なる鳥の現状を知っていて、それでも可能性がある事を否定しなかったのだ。


 ハイエルフは、迂遠な物言いはするけれど、それでもあまり嘘は弄さない。

 そんな事をする必要がない生き物だから。

 つまり不死なる鳥が今の状態でも、少なくとも対面を果たす方法はあるのだろう。

 そしてその方法に気付くか否か、実行できるかどうかが、僕に課された試練という訳だった。


 本当に、実に回りくどい話だけれども。

 まぁ、なんというか、故郷に帰ってきたなぁって気分にはなれる。

 思わず笑ってしまう程に。



 さて、考えようか。

 僕は地にどっかりと腰を下ろし、それからもう一度辺りをじっくりと見回す。

 丁寧に観察して行けば、幾つか気付く事もあった。


 まずはやはり、この深い森の中とは思えない暑さ。

 鍛冶場の熱に慣れてる僕は、この程度ならって思えるけれど、他のハイエルフにとっては割と辛い環境だろう。


 うん、この暑さの源は、卵じゃない。

 この中の空間を暖める熱が発せられるのは、僕が腰を下ろした地からだ。

 ならばこの熱は、卵を暖める為の物だと考えて、恐らく間違いがない筈だった。


 しかしそうであるならば、一つ疑問も湧いてくる。

 この空間は、ハイエルフの長老達か、或いは僕のようにその許可を得た者しか立ち入れない。

 でもそれは逆に言うと、一部のハイエルフは出入りが可能という意味だ。

 そこをもっと突き詰めて考えると、その一部のハイエルフは、何らかの理由でここに出入りしなければならないんじゃないだろうか?


 ではその理由とはなんだろう。

 ハイエルフが、自らが留まる事を不快に感じる環境に、敢えて身を置かねばならない理由とは。

 当たり前の理由を想定するなら、不死なる鳥に対面したり、その世話をする為だ。

 だが今の不死なる鳥は卵であり、対面はあまり意味があるように思えないし、卵相手に世話って一体何をするのだろうか。


 ……んー、思考が詰まる。

 これは一旦措いて、次に行こう。


 他に気付いた事といえば、この空間は力強い存在感で満ちていてわかり難いが、その発生源もどうやら卵ではなさそうだという事。

 この卵こそが不死なる鳥である筈なのに、強い存在感を発するのは熱と同じく座った地からだった。

 あぁ、地が発するは存在感ばかりでなく、何らかの力も発していて、どうやら卵は熱とその力を糧に、成長しているように見える。

 その力とは魔力や、あぁ、あの黄金竜の空間に満ちてた力に近い。

 尤も、あの場所程に強い力が発せられている訳ではないけれど……。


 うぅん、だけどこれは、僕の想定が間違っていたのだろうか。

 僕はこれまで、この深い森、更にプルハ大樹海といった環境を支えているのは、不死なる鳥の存在だと思ってた。

 黄古帝国で、エルフの聖域を生じさせ、その他の特異な環境に影響を及ぼすのが、眠る黄金竜の存在であったように。

 もし卵である不死なる鳥が力を受け取るだけならば、その力は、更に深い森やプルハ大樹海に満ちる命の力は、一体どこから来ているというのか。


 その答えは、やはりこの地にある。

 僕が自分の考えを崩したくないなら、この地こそが、不死なる鳥という事になるのだけれど……、あぁ、うん、それでいい。

 馬鹿げているようだけれど、多分きっと答えはとてもシンプルで、その通りなのだ。


 恐らくこの場所は、不死なる鳥が卵を産み、その肉体を地に還した場所なのだろう。

 次なる自分、卵を守り、育てる環境を作る為に。

 その考えに至ると、長老達が何故、この場所に足を踏み入れる必要があるのかも、何となく察しがついた。


 ハイエルフとしての時を終えた後、僕らは肉体を脱ぎ捨て、精霊と成る。

 しかしそのハイエルフの肉体も、老いとは無縁の代物だ。

 これも想像に過ぎないのだけれど、僕らは肉体の寿命が尽きて、魂が精霊と成るのではない。

 魂が精霊として完成すれば、肉体に留まる必要がなくなるだけなんじゃないだろうか。


 ならその後、残った肉体、老いとは無縁の、朽ちぬ肉体をどうするのか。

 死んだエルフの骸は、木の下に埋める事で魔物となるのを防ぎ、その糧にする。

 だったら多分、ハイエルフの肉体も、何らかの糧とするのだろう。

 うん、つまりこの場所に、不死なる鳥の肉体と共に、卵を育て、深い森やプルハ大樹海の環境を支える為に、埋めるのだ。


 あぁ、だからこそ、肉体を離れる時が近い長老のみが、この場所に立ち入るのだろう。

 そういえば昔、霊木の種を抱えたハイエルフが地に肉体を眠らせれば、そこがどんな場所であっても芽生えて森が生まれるとか……、今はもう居ない長老が言ってたっけ。

 それを聞いた時は前世の常識がまだ色濃く残ってたから、そんな事がある筈ないと、年寄りの与太話でハイエルフの種族自慢の一つだと、思い込んで信じなかった。

 でもあの話も、今となって思い出せば、本当に真実を語っていたのだろうと思う。


 もしかすると今、大陸のあちらこちらに生えてる霊木は、灰となった世界を再生させる為に各地を旅したハイエルフから芽生えたのかもしれない。

 すると大きな森に霊木が生えるんじゃなくて、霊木が生えたからこそ、その後に大きな森が生まれた事になる。

 それならば、世界の各地に霊木の実が知られているのも、何となくだが理解ができた。

 だけどそれなら、実のならない霊木はどうしてそこまで成長しなかったのか。

 仙桃の木や、扶桑樹は一体どういう扱いになるのか、僕はあれらも霊木の一種だと思ってるのだけれど……。


 まぁさておき、全ての疑問は解けずとも、そこまでわかれば僕がするべき事も何となくだが、見えてきた。

 いや、別に長老達に倣って、僕もこの場所に埋まろうって訳じゃない。


 立ち上がって尻を払い、僕は卵に近付き、手を伸ばす。

 殻に触れると思った通り、何かを吸われる感じがする。

 あぁ、この感覚は、精霊銀に魔力を動かされ、吸い出される時に近い。

 だけどこの卵が吸うのは魔力だけじゃなくて、それを含めたもっと大きな、命の力とも言うべきものだ。


 もちろん、その全てを僕が与えて卵を孵そうとすれば、干からびるまで注いでも足りなそうではあるが、……別にそれを自分で賄う必要はない。

 一旦離れて、荷物袋を漁った。

 大量にアプアの実を集めてくれば、それを食べながら力を注ぐ事は、できそうな気もする。

 でもそんな強引で手間の掛かる方法を取らずとも、手は他にも思い付く。


 そして僕は荷物袋から一枚の鱗の破片を取り出すと、片手を卵に当てて、その腕に付けたミスリルの腕輪に、鱗の破片を擦り付けた。

 そう、黄金竜から貰った鱗の破片を。


 黄金竜の鱗は、ミスリルの腕輪に擦り付けると、あの黄金竜が放出していたのと同質の力を発生させる。

 それが黄金竜の鱗がミスリルに反応した結果なのか、そうではなく、黄金竜の鱗に負けない硬度を持つミスリルによって削れ、細かな粉末が力と化すのか、実は僕もよくはわかってない。

 だってミスリルの他に、黄金竜の鱗に負けない強度を持つ物質なんて、僕には心当たりもなかったし。

 尤も、今はその力を発生させる方法が一つでも分かっていれば、十分だった。


 僕の手を導管にして、凄い量の力が卵の中に注ぎ込まれて行く。

 さっきまでは静かだった卵が、目覚めたかのように脈打っているのが、手の平を通してわかる。

 伝わってくる感情は、これは歓喜か。


 まるで雛鳥が、巣に餌を運んで来た親鳥に、餌を与えられて喜ぶかのような反応で、僕もちょっと楽しい。 

 ただこの量の力を注いでも、どうやらすぐに卵が孵る訳ではなさそうだ。

 まぁのんびりと、……最悪の場合は年単位の時間を掛けて、卵に力を注ぐ事も覚悟をしよう。

 この方法が僕の取れる手段の中では最も、何もせずに待つ場合に比べれば比較にならない程に、卵の孵化を早める筈だから。

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