第210話


「……よし、割といい出来だね」

 打ち上がった小ぶりの刀……、より正確に言うならば脇差を、上下左右、あらゆる方向から確認して、僕は頷く。

 まだ研ぎは終わってないし、鞘や柄も拵えなければならないから、本当の意味での完成はまだ先だけれど、今日はここまででいいだろう。


 アイハが魔物狩りの試練を終えてから、半年が経つ。

 彼女はもう、十四歳になっている。

 冒険者になる為の、アイハが望んだ生き方をする為の最後の試練は、実はまだ果たされていない。

 尤もそれは彼女に何らかの問題がある訳じゃなくて、トウキの手配に時間が掛かっただけの話だ。


 当たり前の話だが、人を斬る場を整える事が、そんなに容易い筈もない。

 だが先日、トウキが道場で盗賊の討伐に赴く人員を募っていたから、その時はもう間もなくだろう。

 そしてその試練を乗り越えたなら、アイハは十五歳で独り立ちをし、冒険者としての道を歩む。

 この脇差は、その少し早い祝いの心算だった。


 魔物狩りの試練の時、刀以外にも予備の武器があったなら、彼女の立ち回り方はもう少しばかり変わった筈だ。

 あの時、アイハが待ち構えて敵を突き刺さなかったのは、武器が抜けなくなり、手から失われる事を避ける為である。

 仮に予備の武器を持っていれば、彼女は傷を負わずに場を切り抜けられた可能性も、決して低くはなかったと思う。


 アイハは喜んでくれるだろうか?

 しかし僕が、その表情を見る事は、恐らくはなかった。

 彼女がトウキに連れられ盗賊の討伐に赴き、この脇差が完成すれば、僕はもうそろそろこの王都を離れる予定だから。


 向かう先は西。

 まずはヴィストコートに寄って、ミズハが築いた新しいヨソギ流の道場にも、顔を出す。

 相談役としての挨拶も、まぁしておいた方が良いだろうし。

 何よりも、ミズハはもう、あまり長くないかもしれない。

 シズキはまだまだ元気そうだが、ミズハは徐々に、寝床から起きられなくなりつつあるという。

 でも今なら、もう一度くらいは、顔を見られる。


 ヴィストコートの次は、プルハ大樹海の奥へと潜り、ハイエルフの聖域である深い森を目指す心算だ。

 そう、故郷への、里帰りと言ったところか。

 ハイエルフの長老辺りと顔を合わせると、小言を並べられる気がしなくもないけれど、それでも不死なる鳥の存在を確かめるなら、深い森をいずれは訪れなければならない。

 ……まぁ、ちゃんと手土産もある事だし、そこまでぶつくさ言われないだろうと、そう思う。



「エイサー」

 片付けを済ませて鍛冶場を出ると、僕を呼び止めたのは、アイハだった。

 少し、真剣な表情をしてる彼女に、僕は首を傾げる。


「ん、どうしたの?」

 そう問えば、アイハは僕の服の裾を掴み、引っ張って歩き出す。

 ……一体、何だというのだろうか。

 少し怒ってる風にも、見えるけれども。


 彼女に引っ張られて、辿り着いたのは道場の敷地の奥。

 植えられた木々が影を作る、涼しい場所。

 ついでに言うなら、カエハの、ヨソギ流の先人達が眠る、墓の近くだ。


 そこでアイハは、僕に問う。

「エイサー、もうすぐここを出て行くの?」

 ……と、そんな風に。


 あぁ、確かにその通りではあるのだけれど、どうして彼女がそれを知るのか。

 その話はシズキと、当主であるトウキ、それから鍛冶の責任者であるソウハくらいにしか、話してはいないのに。

 少しばかり、驚かされた。


「どうして、そう思うの?」

 否定するのは簡単だけれど、僕はできればアイハには、いや、シズキもそうだしミズハもそうだし、その子ら、孫らにも、カエハに連なる子達には、できれば嘘は吐きたくない。

 ただ僕の曖昧な言葉を、彼女は肯定と受け取ったのだろう。

 クシャリとアイハの、顔が歪んで横を向く。


「カイリ兄が教えてくれた。エイサーが、自分がいなくても大丈夫なように、色々と済ませて片付けてるって」

 だけどそれでも、彼女は僕の質問には、答えてくれた。


 あぁ、成る程。

 カイリだったか。

 確かに彼なら、鍛冶場での僕の行動から、それを予測する事もできそうだ。

 僕が道場を離れるにあたって、抜けた穴が塞がるように、色々と手配もしてきたし。

 しかしカイリにそれを確信させたのは、シズキかトウキ、ソウハの誰かだったのかもしれない。


 ……少し、困ったな。

 別れは幾度となく経験してきたから、慣れてはいるけれど、それを惜しみ、悲しまれる事に対しては、やはりどうにも対処に困る。


 だが僕が返事に迷っていると、

「ねぇ、エイサーって、ひいお婆様が、好きだったの?」

 ふと、そんな風に僕に問う。

 さっきまで横を向いてたのに、今はジッと、僕の瞳を見詰めて。


 また随分と、急な話だ。

 でもその話なら、先程の話題よりは、ずっと答え易い。

 僕の中の答えは決まってるし、揺らがないから。


「ちょっと違うね。好きだった訳じゃなくて、今も好きだよ」

 自信を持って、そう言える。


 その答えに、アイハは目を瞬かせた。

「もうずっと前に、私が生まれる前に、死んじゃったのに?」

 とても驚いたように。

 あぁ、そうか。

 アイハにとっては、自分が生まれる前の、遥か昔の事なのか。

 感覚の違いに、思わず苦笑いが浮かぶ。


 もしかすると彼女には、僕が過去に引き摺られてるように見えるのかもしれない。

 だけど決してそうじゃないのだ。

 何故ならアイハだって、やがては僕にとって過去になる。

 それでも僕は、過去を胸に抱いて前に向かって生きるしかないから。


「そうだね。でもここに在る。ここと、ここにも」

 僕はまず胸を押さえ、それから腰に吊るした剣を叩き、最後に両の手の平を、アイハに見せた。

 そう、僕はカエハの事を覚えているし、彼女の剣技は僕が受け継ぎ、ここに在る。

 その言葉の意味は、同じくヨソギ流の剣士であるアイハになら、わかるだろう。


「……だったら私達は、私は、エイサーにとって、何?」

 また随分と、難しい質問だった。

 シズキが僕を父のような存在だと言ったように、僕もシズキを子のように思う。

 しかし更にその子、トウキやソウハを、孫のように思うかと言えば、少し違うのだ。


 孫や曾孫といった感覚は、僕にはまだ、わからない。

 だからトウキもソウハも、更にその子供達も、僕にとってはカエハに連なる子供達だった。


「皆、僕にとって大切な子だよ。生まれたばかりの子供でも、大人になっても、老人になっても、ね」

 僕の言葉に、アイハの瞳は揺れる。

 彼女が一体どんな感情を、僕に抱いているのかは、ハッキリとはわからないし、追及もしない。

 憧れなのか、尊敬なのか、親愛なのか、もっと深い何かなのか。

 アイハがどんな感情を抱いていても、今の僕は、彼女を子のように想っているから。


「……なら、どこにいっても、家族ならここに手紙くらいは出してよ。私も冒険者になっても、時々はここに顔を出してエイサーの無事を確認するから」

 その言葉は、まるで絞り出されるかのように、アイハの口から出てきた。

 あぁ、家族だと言って、僕の身を案じてくれるのか。


 だったら、そうしよう。

 ウィンが僕に、今でも無事を報せる手紙を送ってくれているように。

 僕もアイハや、ヨソギ流の皆に、自分の無事と居場所を報せる手紙を送ろう。


 また会えるかどうかは、わからなかった。

 もちろんまた会えると良いとは思うけれど、それが叶う保証はどこにもない。

 実際、僕はもう随分と森の外で長く過ごしてるから、果たせなかった再会は幾つもある。

 人間よりも長い時間感覚であちらこちらを動き回っていると、気付けば零れ落ちてしまっていたものも、少なくなかった。

 特にアイハは冒険者になるのだから、万に一つの事態が起こらないとは決して言えない。


 だけどそれでも彼女は自らの道を決めたし、僕も自分の道を歩く。

 全く違う、別々の道を。


 僕は最後に、拳を突き出す。

 友であるジゾウとの別れにそうしたように、アイハが話を聞いて憧れた彼と同じように、僕は彼女と拳を合わせた。

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