第209話
「えーっ、……なんでエイサーは付いて来てくれないの?」
そしてやってきた魔物狩りの日、アイハは唇を尖らせて、僕に対する甘えを口にする。
だが彼女の瞳に、試練に対する不安の色はない。
単にじゃれるように、甘えてみてるだけだろう。
だから僕は首を振ってアイハの言葉を黙殺し、森を指差す。
緊張がないのはいい事だけれど、されど油断は彼女の足元を掬う。
アイハはこれから、森に入って指定された魔物の群れを追って狩り、その素材を持ち帰らねばならない。
魔物の痕跡を追跡して、群れを発見するには、恐らく数日は掛かる筈。
つまり肉体的にも、精神的にも、疲弊した状態で戦闘になるのだ。
しかも群れとの戦いである以上、相手は複数。
四方から襲い来る相手と戦うには、常に位置取りを判断して動く必要があった。
彼女は魔物狩りに挑むに十分な実力を身に付けたと判断されたが、しかしそれを平時と同じく発揮できるかどうかが、この試練の要である。
故に僕は、アイハに同行しない。
魔物との戦いに手を出さないとしても、親しい誰かが傍にいるだけで、精神的な助けとなるから。
この魔物狩りは、アイハが一人で挑むべき試練だった。
もちろん僕も森には入るし、付かず離れず彼女を見守るし、命に関わる事態となれば手出しもする。
だけどその時は、魔物狩りの試練は失敗という扱いだ。
シズキもトウキも、アイハが冒険者の道を選ぶ事を、もう許さないだろう。
越えるべき時に試練を乗り越えられぬのなら、早晩に命を落とすだけである。
一応、もしも仮に、万に一つもあり得ないと思うけれど、森の中でアイハが、木々や精霊の助けを借りる僕を見付けられたなら、それでも試練は合格だ。
森の中に身を潜めるハイエルフを見付けられるなら、斥候としては超が付く程に一流……、というか、むしろ人間である事を疑う。
その手の神術、感知系の超能力を秘めているなら、可能性はなくもないけれど。
そんな異才を持つのなら、もう試練なんて関係なく、彼女は望む道を歩めばいい。
尤もアイハは身体能力に優れ、年の割に剣の腕も達者だけれど、そんな異才を隠している風はないから、これは単なる余談であった。
アイハが森に入って十分程待ってから、僕は追跡を開始する。
別に待たずに森に入っても、彼女に気付かれずに隠れ潜む事もできるのだけれど、まぁ一応は慎重を期して。
魔物を追うアイハと、それを追う僕。
風の精霊や森の木々の助けを受けて彼女の動きを把握しながら、一定の距離を保って追い掛ける。
正直、まだまだ森に関して学び始めたばかりの、尚且つ人間であるアイハの動きは、僕にとってはもどかしい。
僕が一日で移動できる距離も、彼女には数日、或いはそれ以上の時間が掛かるだろう。
でも口出しも手出しもせず、黙って見守る事が、今日の僕の役割だ。
……ある意味で、これは僕にとっても試練であった。
今回、アイハが狩るべき魔物は、大牙イタチの群れ。
大牙イタチは、その名の通り大きな牙が特徴のイタチの魔物で、成体のサイズは大型犬程になるだろうか。
動きは素早く、殺傷力が高い牙を持ち、尚且つ頭も悪くない。
但しそれでも魔物としては、決して強い部類には入らない程度だ。
群れを相手にするなら多少は厄介。
それが大牙イタチの評価だった。
また群れと言っても大牙イタチは、特定の時期を除けば三匹までしか集まらない事で知られてる。
特定の時期とは繁殖、子育ての期間であり、それは数年に一度、三ヵ月程度の短い時間だ。
つまり今回はそれを気にする必要はないだろう。
何故大牙イタチが、三匹までしか集まらないのか、理由は解明されていなかった。
その内の二匹は番として寄り添っているが、残る一匹はその関係に割り込まないにも拘らず、ずっと行動を共にする。
余る一匹は、雄の場合もあれば雌の場合もあるそうだ。
もしかすると、子を残す番を守る護衛、或いは群れが窮地に陥った際の、囮の役割を担うのかもしれない。
尤も、魔物の事情なんて考慮しても、単に狩り難くなるだけである。
取れる素材はその特徴である大きな牙と、毛皮。
特に牙は鋭く頑丈で、それなりの値段で取引される。
肉に関しては、一応は食べる事も可能だが、天日に干したり、薬草の絞り汁に漬け込む等しなければ、臭みが強くて食べ辛い。
処理の手間さえ考えなければ、味は悪くないそうだけれど、肉を求めて狩られる類の魔物ではなかった。
まぁアイハが森の奥から肉を担いで戻れるとも思わないから、首尾よく大牙イタチを仕留めても、牙を持ち帰るのが精々だろう。
僕は狩った獲物は可能な限り無駄にせず、できれば肉も食べたいと思う方だけれども、その流儀を他人に押し付ける心算はない。
そもそも僕は、どうせ狩るならもっと美味しそうな獲物を選ぶ。
アイハは以前に教えた事を守りながら、油断なく森で一泊し、二日目には大牙イタチの群れが移動した痕跡を見つける。
これは中々に優秀だ。
単身での野営は、周囲の警戒が必要だから、完全に熟睡する事ができない。
故に森の中で過ごす時間が増えれば増える程、体力を消耗して不利になってしまう。
だが森での野営が一泊で済むのなら、消耗は最小限に抑えられたと言っていい。
痕跡の発見には運も絡むが、調べる要点を忘れずに、注意深く見落とさなかったのは、十分に褒めるに値する事だ。
しかし痕跡を発見したからこそ、彼女はより慎重に行動し、その後を追いかける。
移動の痕跡が見付かるという事は、つまりは相手との距離が縮まっているという証左。
アイハが群れを見付ける前に、大牙イタチが先に彼女に気付く可能性も、皆無じゃない。
故に行動にはより慎重さが求められ、アイハはそれを怠らなかった。
そして夕暮れを前に、彼女は大牙イタチの群れに追い付く。
アイハは獲物を認識し、されど大牙イタチは彼女に気付いていない。
それは本来ならば大きなチャンスの筈だった。
何しろアイハは刀以外にも、狩猟用の弓を持ち込んでいる。
上手く急所に当てられたなら、三匹のうち一匹を、戦いの前に減らせるかもしれない。
けれども彼女は、弓を手にせず地に転がった石を拾い、大牙イタチに向けて放り、注意を惹いて刀を抜いた。
アイハは自ら、不意打ちの利を捨てたのだ。
だけどその判断も、決して誤りとは言えないだろう。
慣れぬ弓を放ち、矢で仕留められずに慌てるよりも、最初から刀で戦うと決めて、少しでも己が有利な場所に相手を呼び寄せる。
並の獣は驚かせば逃げてしまうが、己が強者であると知る魔物は、逃げずに襲って来ると確信して。
今の彼女が立つ大きな樹木の前ならば、少なくとも後ろに回り込まれる事はない。
己を正しく分析し、アイハは冷静に判断をしていた。
まだ十三歳の少女がだ。
迫り来る魔物を待ち受ける表情に、森に入る前に彼女が見せた甘えの影は、微塵も見えない。
シズキやトウキが、アイハなら大丈夫だと太鼓判を押した理由が、僕も漸くわかった気がした。
だって彼女は今、紛れもない剣士の顔をしているから。
石を投げられた、最も近かった一匹は、他の二匹に先んじて彼女に向かって飛び掛かる。
でもその大牙イタチの頭部は、真っ向から振るわれたアイハの刀に叩き割られた。
綺麗に、真っ二つに。
仲間の凄惨な死にざまに、残る二匹の動きが変わった。
単独で襲い掛かれば死んだ仲間の二の舞だと、一瞬で理解したのだろう。
そうなれば大牙イタチ達が取るべき行動は決まってる。
残る二匹で連携しての、挟み撃ち。
だがアイハは大樹を背にしており、回り込む事は不可能だ。
ならば取るべき行動はもはや一つしかなく、二匹の大牙イタチは左右から、タイミングのズレなく襲い掛かる。
けれどもその大牙イタチの動きは、そこで迎え撃つと決めた彼女にとっては、予測していた通りのものに他ならない。
右に飛び出し、刀を振るうアイハ。
左の大牙イタチには背を向けて、右の一匹を確実に仕留めに走った。
そして、血飛沫が舞う。
彼女の刃は、狙った通りに右の大牙イタチを仕留める。
しかし血を流したのは、アイハも同じだ。
左の大牙イタチが振るった大きな牙は、彼女が身に纏う鎧替わりに重ね着した厚手の服を裂き、その下の肉にまで届く。
でもそれは、ごく浅く。
アイハが思い切りよく飛び出したから、それを追って振るわれた牙は、浅くしか彼女に届かなかった。
振り向きざまの一撃が、最後の大牙イタチの息の根を、止める。
それでもアイハは気を抜かず、残心を怠らず、三匹の大牙イタチの死を、確認していく。
傷口から血を、流しながらも。
その姿からは既に、一流とは言わずとも、駆け出しは通り過ぎた風格を発してた。
全ての大牙イタチの死を確認してから、漸くアイハは大きく息を吐き、自らの血止めの処置を行う。
傷口を洗い、ここまでの移動の最中に摘んでいたのだろうか、薬草を取り出し、傷口に当てて布で押さえて縛ってる。
僕は飛び出して魔術による治療を行いたい気持ちを堪え、大きく息を吐く。
自らの手当てまで含めて、今回の試練は文句なく合格だ。
その終わりを、僕の手出しで汚してはならない。
帰り切るまで、見守ろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます