第204話
夕暮れ時、虫の声が聞こえ始める頃合いに、僕はカエハの墓の前に座り、目を閉じた。
毎日そうしている訳ではないけれど、ここに来ると、考え事はよく纏まるから。
そう、今僕は、少しばかり、悩んでる。
あの後、アイハの話をシズキやトウキ、彼女の祖父と父にしたのだけれど、二人とも僕を責めはしなかった。
なんでも彼ら曰く、それはアイハの生来の気質で、僕と出会えば当然そうなるだろうというのは、二人の共通認識だったらしい。
そもそも、その生来の気質を曲げぬように育てたのは自分達なのだから、僕を責めるのは筋違いだという。
「私達は、皆が形は違えど、貴方に惹かれ、貴方の影響を受けている。私もミズハもそうだったし、トウキもソウハもそうだった。だから孫達とて、そうであっても不思議はない。これも母から受け継いだ血ですかね」
シズキは皴の多くなった顔に笑みを浮かべてそう言うけれど、僕はふと、『呪い』との言葉を思い出す。
そんな意図でシズキが言った訳じゃない事は、わかってはいるけれど。
血に刻まれた縁なんて、少し呪い染みている。
でもたとえ呪いであったとしても、きっと僕はそれを受け入れるし、嬉しく思う。
我ながら、度し難い。
「いずれにしてもあの子の気質なら、やがては冒険者の道を選んだでしょう。そのうち弟子の誰かと恋仲になってくれれば、また話は違ったかもしれませんが、……多分無理でしょう」
トウキの笑みは、シズキとは違って苦笑に近かった。
あぁ、確かにアイハなら、僕がジゾウや遊侠の話をせずとも、冒険者の道を選んだかもしれない。
だが今のあの子が、そのまま育って冒険者になるならば、それは非常に危なっかしい話だ。
「エイサーさん、私はね。今回の件は、あの子があの子のままで世界を知る、いい機会だと思うのです。何故ならあの子の傍には、今は幸運にも貴方がいる」
どうか力を貸して欲しいと、シズキとトウキは、揃って僕に頭を下げる。
その言葉に、僕は黙って頷いた。
もしも僕が、彼らを他人だと思っていたなら、その願いは単なる甘えに感じただろう。
どうしようもなく窮した状態ならともかく、今のシズキやトウキには余裕がある。
彼ら自身で、アイハを導く事は十分に可能だ。
それでも二人が、アイハの教育に僕を関わらせようとするのは、……僕を身内だと思ってくれているからに他ならない。
そして僕も、同じ気持ちである。
ただ僕を悩ませたのは、続いて行われたシズキからの、もう一つの頼み事だった。
それはある意味で、アイハの件よりもずっと大きな頼み事だったから。
「それともう一つ、エイサーさんに頼みたい事があるのです。生前、母には相談しましたが、生憎と反対されました。それでも私は、やはり貴方に頼みたい」
そんな風に切り出された、シズキのもう一つの頼み事。
カエハが生きている時は、彼女が僕に頼ませなかったというその頼み事は、
「エイサーさん、ヨソギ流の、相談役となって欲しい。王都の道場だけでなく、ヴィストコートの道場も含めて。もちろんミズハや、今のあちらの当主とも既に話は付いております」
単なる弟子の一人でなく、正式な役職に就いて、これからのヨソギ流を見守って欲しいとの話だった。
今の僕がヨソギ流で特別な扱いを受けているのは、カエハの一番弟子だったからだ。
……まぁ、それだけではないのだろうけれど、カエハがあっての僕の立場という事に違いはない。
シズキが生きてる間は、或いはその教えを受けたトウキが生きてる間も、その特別な扱いは続く。
しかし更に代が変われば、もはやその肩書に意味はなくなる。
僕がヨソギ流に関わる理由も、ヨソギ流が僕を受け入れる理由も、やがては消えてなくなるだろう。
もちろん、それは止む得ない事だった。
想像すると寂しくなるが、永遠に僕が、ヨソギ流の人々と歩める訳じゃない。
生きる時間の違いは、十分に理解をしている。
だがそれでも、シズキは僕にヨソギ流を見守って欲しいと、そう望む。
ヨソギ流は安定して一族が増え、弟子が増え、更には別の町に新たな道場ができた。
今のヨソギ流は互いの繋がりが強いけれども、それもやはり永遠の物ではないのだ。
一族が増えれば、当主の座を巡って後継争いが起きるかもしれない。
弟子が増えれば派閥もできる。
或いは王都の道場と、ヴィストコートの道場の間に、対立が起きる可能性だって、決して低くはなかった。
だからこそシズキは今の間に、僕にそれらの問題に有無を言わさず関われるだけの、ヨソギ流の中での強い立場に就けたいと、そんな風に考えているのだろう。
カエハがその案を、受け入れなかった理由は何となくわかる。
恐らく彼女は、僕に荷物を背負わせなくなかったのだ。
もしもカエハが望んだなら、僕はその荷を喜んで背負うと、そう知っていたからこそ、余計に。
ふと気付けば、僕は座り込んだままに夢を見ていた。
そう、これが夢だと、自分でも自覚してわかる、明晰夢。
いや或いは、悩みと願望が見せた幻だろうか。
ずっと未来のウォーフィールを訪れた僕は、ヨソギ流の没落を知る。
関わる理由を失って、関わらなくなってしまって、随分と経ってからの事だけれど。
僕はそれに、本当に僅かに胸の痛みを感じるだけで、この王都を発とうとした。
だけどその時、出会うのだ
今の僕から見てもあまりに未熟だけれど、……それでもとても美しい剣を振るう、一人の少女に。
僕はその少女に、失われた剣を一つずつ教えていくだろう。
あぁ、なんて、なんて甘い誘惑で、浅ましい願望なのだろうか。
今、ヨソギ流は目の前にあって、手を伸ばせる道も示唆されているのに、全てが失われてしまった後を、夢見るなんて。
目を開く。
日はとっくに沈んでいて、辺りはもう随分と暗い。
僕は手を伸ばし、それに触れる。
冷たい、石の感触。
大きく大きく、ゆっくりと息を吐く。
それは誘いだったのか、それとも背中を押してくれたのか。
彼女ならきっと、僕がどうするかなんて、最初からわかっていただろう。
「責任重大だね」
僕がそう呟けば、辺りの空気が、少し和らいだ気がする。
まるで彼女が笑みを浮かべた時のように。
薄雲の掛かる夜空の月が、今日はとても綺麗だった。
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