第163話


 僕が鍛冶場に出入りを始めてからも、ゴン爺は当たり前のように家に泊めてくれている。

 むしろ滞在が長くなり過ぎるからと出て行こうとすると、妙な遠慮をするなと怒られた。

 だから昼は鍛冶の技術を学び、或いは逆に披露し、夜はゴン爺と酒を飲んだり、月を見ながらミズヨと話したり。

 また鍛冶場に行かない日は、昼からゴン爺の鍛錬に少し付き合ったりしながら、日々はのんびりと穏やかに過ぎていく。


 ただそれでも、この国はずっと続く戦いの最中にあると、時々感じさせられた。

 例えば鍛冶場で作った武具は、前線の町である鎮守へと運ばれる。

 道場で自らを鍛え終えた者達は、鎮守へと戦いに赴く。

 逆に鎮守からは、もう戦えぬ身体となった負傷者が、この町に戻ってくる事もあった。

 それは戦う為に鎮守に赴いた者に比べれば、ずっと少ない数だけれども。


 ……ゴン爺の家は、ラセン流という名の槍の道場だ。

 ここからも、鎮守へと向かう若者は、決して少なくはなかった。



 ある日、中庭で僕が剣を、ゴン爺が槍代わりの棒を振っていると、バサバサと上空から一羽の鳥が、……否、一人の翼人が舞い降りて来る。

 カラスにも似た黒い羽を持つその翼人の名は、コタロウ。

 確か年齢は十三歳で、僕から見るとまだ子供に近いのだけれど、翼人としては既に一人前とされる年齢に達しており、彼が戦いの為に前線の鎮守に赴く日も、もう然程に遠くないだろう。


「よぉ、コタ」

 ゴン爺が鍛錬の手を止めて声を掛けたので、僕もそれに倣って手を止めた。

 翼人であるコタロウは、人間の身体に合わせて練られた槍術であるラセン流の、正式な弟子という訳ではない。

 武器を振るう為に身体を捻る際、翼人のその背にある大きな羽は、どうしても邪魔になってしまう。

 また翼人の戦い方は、上空からの槍の投擲、上空から急降下する勢いを活かしたチャージアタック、或いは空中でのドッグファイトが主となる為、翼人には翼人の為の武術があるそうだ。


 しかし武に熱心な翼人の一部は、人間の槍術からも得る物はあると考え、こうして道場に学びにやってくる。

 そんな中でもコタロウはとても気の良い若者で、翼人への興味が湧いて、ついつい色々と質問してしまった僕にも、丁寧に対応してくれた。


「おぉ、ゴンゾウ様、お客人の、エイサー殿、お手を止めさせてしまって、申し訳ありません」

 深々と頭を下げて、僕らに向かってそう言うコタロウ。

 といっても、彼には何の落ち度もない。

 この央都で翼人が降り立つなら、広い敷地が好ましいというのは当たり前だ。

 別に翼人が道に、或いは狭い場所に降りられない訳ではないけれど、互いに気付かなければ下を歩く通行人との、万に一つの事故もある。


 そもそも翼人の出入りも多い重要施設や宿なら、最上階に翼人用の出入り口が設けられていたりもするのだけれど、残念ながらこの道場は広い平屋の建物だから、そんな設備は備わっていなかった。

 故にコタロウが降り立つなら、中庭が最も適しているのだ。

 そんな当たり前の行動に文句を付けようと思う程、ゴン爺も僕も傲慢じゃない。


「いいや、俺達が勝手に手を止めただけさ。なぁ、兄ちゃん?」

 そしてそれ以上に、この礼儀正しい若者を、ゴン爺も僕も気に入っていたから。

 ゴン爺の言葉に、僕も頷き、軽く手を振る。


「かたじけない。己もこの度、鎮守に赴く事となりましたので、世話になったラセン流の方々に挨拶に参りました」

 頭を上げて溌溂と、誇らしげにそう告げるコタロウに、僕は内心で息を飲む。

 ……早い。

 いや、近くそうなるのだろうとは、思っていたけれど、それでもやはり、あまりに早く感じてしまう。


「おう、そうかい。そらぁめでたいな。コタ、俺はお前さんの師じゃねし、もうここの当主でもねえから、祝いの品は贈れねえが、その代わりに一言だけ助言するぜ」

 だけどゴン爺は、それをさも当然のように受け止め、祝いの言葉を口にした。

 あぁ、前線に赴く若者に祝いの品を贈るのは、近しい者の特権なのか。

 近親者や彼の師を飛び越して、僕やゴン爺が祝いを贈るのは、少しばかり失礼に当たるのだろう。

 この辺りは、扶桑の風習、価値観なのかもしれない。


「翼人の戦士が、一番死に易いのは初陣だ。誇りと攻め気とに逸ってな。だがよ、俺ら地を行く人間にとって一番頼もしいのは、長く生きて多くの鬼を屠ってくれる翼人だ。コタ、良い戦士になるんだぜ。お前さんにはその資質があるんだからよ」

 ゴン爺の言葉に、誇らしげだったコタロウの表情は引き締まり、神妙な顔で頷く。

 先人の言葉を素直に受け止める彼は、……きっと良い戦士になる筈だ。

 あぁ、ゴン爺の言葉通りに、初陣を乗り切りさえすれば。

 そうなって欲しいと、僕も思う。

 僕には何もできないし、かける言葉すら持たないけれども。



 コタロウは、今のラセン流の当主に挨拶する為、僕らの前を立ち去った。

 見送った後も視線を外せないでいる僕を、ゴン爺が手にした棒で突く。


「おぅ、兄ちゃん、そんな顔するもんじゃないぜ。兄ちゃんにどう見えるかはしらねぇが、これは俺らにとっちゃ名誉でめでたい事なんだよ」

 咎めるというよりも、諭すように、ゴン爺はそう言葉を口にする。

 あぁ、きっとそうなのだろう。

 これも恐らく、どこにだって転がってる話だ。


 あの大草原で、ジュヤルは同じく十三歳の頃にはもう、戦いの場に出ていた。

 人間と翼人の、少しばかりだが確実に存在する寿命の差を考えれば、コタロウの初陣だって早過ぎるって訳じゃない筈。

 少し見知っただけの、僕が感傷に浸る事でもない。


 僕は一つ息を吐き、再び剣を振り始める。

 今日は何時もより多く汗を流し、それから酒を飲もうと、そう思う。

 ゴン爺も、多分そうしたいと思ってる筈だから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る