第160話


「おぅ兄ちゃん、意外とにあっ……、にあ……、やっぱり、あんまり似合ってねぇな」

 少し迷いながらも、結局はストレートな言葉を吐く、ゴン爺。

 そう、今、僕が身に纏っているのは、いつもの服じゃなくて、この扶桑の国では一般的な家着だった。

 僕の感覚で言うなら、甚平に良く似てる。

 腕も足も風通しの良い七分丈で、麻の肌触りと相俟って、実に涼しい。


 僕がゴン爺の家、或いは道場に泊まり始めて、もう五日になる。

 人魚であるミズヨの話は、一日や二日では到底聞き終えられる物ではなくて、毎日でも聞きに通う心算だった僕を、

「面倒臭い事を言わずに暫く泊ってけ。どうせ客間は空いてんだ。その代わりミズヨの話ばかりじゃなくて、俺の酒にも付き合えよ」

 なんて風に言いながら、ゴン爺は快く滞在させてくれていた。

 

 ただこの国の人間であるゴン爺にとって、普段の僕の格好はとても暑苦しく見えたのだろう。

 先日、この道場に留まる間くらいは扶桑の国の格好もしておけと言われ、手渡されたのがこの涼しい家着だった。

 この手の服は、以前にカエハの道場でも着てた事があるから、特に着方に困りもしない。


 残念ながら、僕にはあんまり似合わないらしいけれども。

 まぁでもこの道場の中にいる分には、多少見た目が浮いてても気にならないし、何より動き易いので気に入っている。

 外を歩くなら、もう少し何かの工夫をしよう。



「そういや兄ちゃん、ミズヨの話は面白いかい?」

 ふとそんな風に、庭で槍に見立てた棒を振っていたゴン爺が、僕に問う。

 あぁ、もちろん人魚であるミズヨの話は、面白い。

 博識だし、語りも丁寧で、何より響く声も美しいから。


 流石にずっと話を続けるのは疲れるからと、夜の涼しい時間にだけ、少しずつ語ってくれているけれど、この一週間で扶桑の国の成り立ちが、僕にも何となくだがわかってきた。

 昼間はこうして、ゴン爺と一緒に軽く鍛錬をしたり、ヨソギ流の手掛かりを探して他の道場を見回ったりしてるけれど、やはり夜を楽しみに思う。


「そうかい。そりゃあ何よりだ。じゃあここは一つ俺も、客人を持て成す為に、兄ちゃんに面白い話をしてやろう」

 まるで悪戯小僧のような表情で笑い、棒を立て掛けると、縁側に腰を下ろすゴン爺。

 一体、何の話だろうかと、僕も彼に並んで、縁側に座る。


「この道場はよ、弟子入りしたいなら、誰でも歓迎って感じだろう? いや、兄ちゃんが見て回ってる、央都の道場は大体どこでもそうだった筈だ」

 確かにそうだった。

 ヨソギ流の手掛かりを探す僕が見て回った道場は、どこも排他的な雰囲気はなかった。

 でも多分それは、鬼との戦いを担う強者を、一人でも多く育てたいという、この国の意向を汲んでの物だ。


「だがよ、この国の武術の流派が、昔からそうだった訳じゃねぇんだ。鬼との戦いが始まる前は、人間と翼人が争う事もあったし、何より人間は人間同士で、幾つもの国に分かれて戦争をしてた」

 それはゴン爺が生まれるよりも、ずっとずっと昔の話なのだろう。

 彼はまるで、見た事のない昔に思いを馳せるように、言葉を口にした。

 僕はその語りに、黙って耳を傾ける。


「といってもこの扶桑は大陸みたいに大きくないからよ。国同士の争いっていっても小さな物さ。数十人や数百人がぶつかって、それを戦争って呼んでんだ」

 成る程。

 何となくだが、ゴン爺の言いたい事が見えてきた。

 恐らく彼は、僕にヨソギ流の話をしようと、してくれているのだろう。


「だから武術ってのは、時にその戦争の結果を左右するくらいに重要な物でな。技の一つも他国に知られないよう、国内で秘匿するのが当たり前だったんだ。鬼が出て来て、国が統一される前はな」

 争いの規模が小さければ、個人の武力が結果を左右し易くなる。

 武術の秘匿は、当然といえば当然の話だ。

 であるならば、やはりそうなのか。


「つまりな、この扶桑の国が今の形になる前に滅んだ流派は、秘匿されたままに消えたのよ。俺はよ、今の扶桑の国に存在する流派は、刀も槍も、無手だって全部把握してる。だけどその中に、ヨソギ流って名前の流派も、兄ちゃんの動きと共通した技を持つ流派も、存在はしねぇ」

 ゴン爺は、そう言い切った。

 もうこの国に、ヨソギ流の源流は、どこにも残ってないのだと。

 まぁその可能性は想定してたし、道場を見て回りながら、もしかするとそうなんじゃないかとも思ってた。

 だけど改めて突き付けられると、その事実を寂しく感じ、少し落ち込む。


 しかしゴン爺は、そんな僕の様子に、本当に悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「だがよ、俺はヨソギ流って名前の流派は知らねぇが、実はヨソギって名前は他に心当たりはあるんだ。兄ちゃんの探し物に関係あるかは、わからねぇけどな」

 意地の悪い前振りをしてくれたゴン爺を、僕は思わず軽く睨む。

 そんな反応をしたところで、悪戯好きの彼を喜ばせるだけだとわかってはいても。


「はっはっは、すまねぇすまねぇ。じゃあ、俺の心当たり聞いてくかい? この国が今の形になる前に、鬼の侵攻に抗った、ユズリハ・ヨソギの話をよ。実はこっちが兄ちゃんに話したかった面白い話なのさ」

 ゴン爺は胸に手を当てて、先程までよりも強い声で、語り始めた。

 もう知る者も少ないという、一人の女剣士の物語を。



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