第134話


 ……という訳で、僕は酒場のテーブル席に案内されて、椅子に腰かけた。

 いや、ほら、情報収集といえばやはり酒場だと思うのだ。

 まぁ久しぶりに心行くまで酒を飲み、美味しい物を食べたいって気持ちが皆無だとは言わないけれど。

 あぁ、こちらでは酒場ではなく、酒家と呼ぶらしい。


「はい、異国の兄さん、何飲むね?」

 テーブルにやってきた給仕の若い女性に問われて、彼女が指差す壁を見れば、酒の種類らしき物が書かれた札が掛かってる。

 黍酒、米酒、葡萄酒、林檎酒、杏子酒。

 前の二つは穀物の酒で、後ろ三つは果実酒か。


 少し、迷う。

 酒場に置かれた酒の種類が豊富である事は、その町が豊かである証拠でもあった。

 というよりも、多くの国では酒と頼めば、大体はその国で最も飲まれる酒を出してきて終わりだ。

 敢えて頼めば別の酒を出してくれる場合もあるが、それが輸入品だと支払額が跳ね上がる。


「……飲んだ事ない酒が多いね。君のお薦めは?」

 この国には来たばかりで、どれも飲んだ事がないから、判断が付かない。

 葡萄酒がワイン、林檎酒がシードルと原料は同じだろうけれど、果実の産地と作り方で、酒の味なんて全然変わるし。

 だから迷った時は人に聞く。

 特に店の人間は、一番合う組み合わせも知ってるものだから、彼らの言葉に従えば外れを引く可能性は、……皆無じゃないが低くなる。


「ん? 奢ってくれるね? そうね、アタシは杏子酒が甘くて好きよ」

 笑みを浮かべていう彼女に、僕も思わず苦笑いを浮かべた。

 この地に生きる人々は、国境を超える時も、町に入る時も、宝石を両替する時も、そして今も思ったが、悪く言えば欲深で抜け目がなく、良く言えば逞しい。

 良い印象を受けるか、悪い印象を受けるかは、その時によって様々だけれど……、

「じゃあ取り敢えず杏子酒を二つと、それに合う美味しい物を。それからこの国には来たばかりだから、白河州の事、教えて貰える?」

 この給仕の女性から受ける印象は、決して悪くない。


 それに一つ分かったのは、相手が利を求めてこちらに踏み込んで来た時、ただそれを受け入れるだけでは食われるだけだ。

 故にその時は、こちらも利を求めて相手に向かって踏み込む。


「兄さん話がわかる人ね。いいね。何でも聞いて。アタシは気前が良い人と、顔が良い人は好きね」

 すると互いに利を交わし、交流が生まれる。

 多分この地に住まう人々は、そうした交流を好むのだろう。

 そんな風に考えると、何だか少し楽しくなってきた。

 これが理解だ。


 いやまぁ、給仕の仕事中に飲む気満々なのは、どうなのかなぁって思うけれども。

 どうやら彼女はこの酒家の店主の一人娘で、給仕の仕事さえしてれば、その辺りは割と自由らしい。

 実に緩い店である。



 それから小一時間、彼女は合間に僕のテーブルに来ては、色々と摘まんで、話して、客に呼ばれればまた給仕の仕事に戻ってく。

「へぇ、兄さんはエルフっていうね。アタシはスゥっていうよ。え……、名前じゃないね? 種族? 森人じゃなく?」

 スゥと名乗った彼女の話は、かなり興味深い物が多かった。

 例えば東部では、エルフは森人と呼ばれてる事とか。


 ……そういえば、以前にあった堕ちた仙人、吸血鬼のレイホンは、僕を森人と呼んだっけ。

 ならばやはり彼も、東部の出身だったのだろう。


 さておき、何でもその森人は、黄古帝国の真ん中の州、黄古州に住むそうだ。

 滅多に外の州に出て来る事はなく、やはり東部でも珍しい存在になる様子。

「アタシ達は黄古州には入れないから、森人を目にする事は滅多にないね。田舎の老人には、兄さんきっと有り難がられるよ。あ、次は茹で鳥がお薦めね」

 ……お薦めと言いつつ、自分が食べたい物を頼まれてる気がしなくもないが、聞かされる情報は有益なので受け入れよう。

 実際、スゥが運んで来る食べ物は、どれもが酒に合って美味かった。

 僕は箸を使って、皿に残った牛の炙を口に運ぶ。

 そう、ここらでは食事に箸を使うのだ。


 黄古州にはエルフが住むが、その周囲は城壁に囲まれ、外の者は立ち入れない。

 だったら黄古帝国の皇帝はエルフなのかと言えば、それはどうも違うらしい。

「……皇帝? えっと、黄古帝国の皇帝は、竜翠帝君。年を取らない仙人って話ね。あ、信じてないね? だめよ、兄さん。皇帝を信じない、偉い人にバレたら捕まる罪ね」

 彼女は小声で囁いて、そして笑う。


 いや、信じてない訳じゃないのだけれど、自然との一体化を目指す仙人が、大きな帝国の皇帝であるという事に、違和感を感じただけである。

 仙人の存在自体は、信じてるというよりも、知っていた。


 他にも、この白河州では、二股の尻尾を持つとされる白い霊猫が信仰されてる話とか、黄古帝国には冒険者って職は存在しなくて、魔物の討伐は兵士、または自警団の仕事になるとか。

 スゥの話を聞いただけでも、この地は僕の常識が通用しない場所である事が、良く分かる。

 因みに中央部では冒険者になるような、力を持て余した若者は、兵士や自警団の他、遊侠や侠客と呼ばれる武辺者になるらしい。

 この遊侠というのが、僕には少し理解の難しい存在だったのだけれど、単なるチンピラの類じゃなくて、仁義を重んじ、強きをくじき、弱きを助ける人になるそうだ。

 その為には時に法を破る事さえ厭わないとされる。


 ……話を聞く限り、冒険者とヤクザの中間みたいな存在に思えたが、まぁこれは僕の勝手な印象に過ぎないから、口には出さない。

 義侠心を持っている事が遊侠の一番大切な条件で、そうでないのは紛い物だとスゥは力説していたけれど、わざわざそんな言葉を口にするのは、彼女にとっての紛い物の遊侠がそれだけ多いって事なのだろう。

 或いはその紛い物の遊侠に、何らかの被害を被ったのか。


 そして彼は本物だと彼女がいうのが、酒場の隅に陣取って店の全体を見渡している一人の男、酒場の用心棒であるジゾウだった。

 ただ遊侠とかそんな事を別にして、僕がジゾウに興味を惹かれたのは、彼がどう見ても人間じゃなかった事だ。

 ジゾウは、そう、黄古帝国でも主に北の、黒雪州に住む種族、地人である。


 地人は、薄い鱗のような岩や鉱物、宝石を身体に張り付けた種族で、力が強く頑丈な身体を持ち、飢えや渇きにも強い。

 故に厳しい環境であるらしい黒雪州に住めるのだ。

 また彼らは身体に張り付く鱗状の物質が、岩であるか、鉱物であるか、宝石であるかで身分が決まり、前から順に、一般階級、戦士階級、貴族階級となるという。

 尤も岩と鉱物、宝石の区別は境目が曖昧な為、他の種族が簡単に判断できる事ではないらしい。

 そもそも定義的には、複数の鉱物の集合体は岩石という扱いになったりするのだし。


 ジゾウは一見、岩が身体に生えてるように見えるけれど……、あれは恐らくオブシディアン、黒曜石だ。

 だから石扱いなのか、宝石扱いなのかが、いまいちよく分からない。

 黒雪州を出て白河州で、酒場の用心棒なんてしてる以上、貴人扱いではないと思うのだけれども。


 まぁ機会があれば、直接本人に尋ねてみよう。

 怒らせるかもしれないけれど、それはそれで会話の切っ掛けになるだろうし。


 スゥとの話でそちらを見ていると、ふとジゾウと目が合った。

 すると彼は、スッと目線を伏せて礼をする。

 僕は確かに店の客だけれど、見てたのはこちらなのに、なんというか、丁寧な印象を受ける人だ。

 それから多分なんだけれど、……かなり強い。



 時間が経つにつれ、酒家の客は徐々に増えてくる。

 もうすぐ食事時なのだろう。

 給仕であるスゥも忙しそうで、僕のテーブルにやって来る事も減っていた。

 そろそろ潮時、いい塩梅だ。


 まだ少しばかり飲み足りない気はしなくもないが、腹はそれなりに満ちていた。

 まぁこういうのは、完全に満足するよりも、少し足りないくらいが次を期待できて丁度いい。


 僕は勘定を済ませて店の外に出ると、くぁっと大きな欠伸を漏らす。

 腹が満ちると、眠気が出てくる。

 早く宿に帰って、ゆっくりごろごろするとしよう。

 多分、今、僕の吐く息は、とても酒臭い。

 それを咎める誰かがいない事は、ほんの少し、寂しかった。

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