第129話


 バルム族が幾つかの居住地を転々とするのに同行しながら、一年が経つ。

 遊牧民である彼らの移動に付き合うには、馬に乗れた方が便利だったから、この度、僕も無事に乗馬を覚える。

 もちろん生まれた時から馬に慣れ親しんでる彼らほどに上手くは乗れないが、その背に揺られて移動する分には、もう何の不自由もなかった。


 でもこの一年で成長したのは、僕だけじゃない。

 ツェレン、シュロ、ジュヤルの三人は、それぞれに成長速度は違うけれど、ヨソギ流の基礎をきちんと学んでいるし、ツェレンに関しては風の精霊の力を借りた攻撃法も、幾つか覚えてる。

 ただ教える側になって思ったのだけれど、ヨソギ流って実はかなり難しい剣術だし、その修練も厳しい。

 特にまだ八歳、あぁ、いや、今はもう九歳になったけれども、最年少のシュロにとっては苦しい躓きも多かった。

 そしてそんな時に助けの手を伸ばすのは、シュロの姉であるツェレンよりも、もう少し年上で余裕のあるジュヤルである場合も多くて、三人は同じ修練を積む事で少しずつ仲を深めている。


 ……しかしシュロに懐かれ、その影響でツェレンとも親しくなるにつれ、ジュヤルの悩みは深く、重くなっていく。

 何故ならそんな二人の父親を、バルム族の族長であった男を、戦で殺したのは他ならぬ彼だったから。

 いや、実際に戦場で、ジュヤルが二人の父親を手に掛けた訳ではないのかもしれない。

 けれどもその戦いが起きた原因は、自分の存在があったからだと、彼は思っているようだった。

 僕は決してそれだけが理由ではないと思うのだけれど、だけど同時に、それは確かに事実でもあるのだろう。


「エイサー、……俺は、一体、どうすればいい?」

 以前に一度、そんな風に問われた事がある。

 だけどそれは、ジュヤル自身が考えなければ意味はない。

 状況は少しずつ、時間と共に変わって行くから、誰かにとっての最善もまた変化していく。

 バルム族にとっての最善、ダーリア族にとっての最善、ツェレンにとっての、シュロにとっての、またジュヤルにとっての最善も。

 だから悩んで考えれば良い。


 但し、炎の子という脅威がなくなったなら、僕はこの地を去る。

 それは以前に、僕がバルム族の長老衆に言った言葉だった。

 だがそれは、バルム族がジュヤルを害した場合だけじゃなく、彼が自身を害した場合でも同様だ。

 僕がそう告げると、ジュヤルの表情は悲痛に歪む。

 どうやらそれも、考えてはいたらしい。

 それは本当に、つまらない結末なのだけれども。


 もちろん僕がこの地を去る際に、何をするかはまた別の話だ。

 ツェレンとその家族を攫って行くかもしれないし、今度は僕から、ダーリア族の居住地に襲撃を掛けるかもしれない。

 死人は出さずとも、力を振るって破壊を撒き散らせば、二度とこの付近の居住地には近寄りたくなくなるだろうし。


 まぁ精一杯に考えて悩んで、答えを見付ければ良いと思う。

 何も考えずに人を傷付けて来た時間が長いのだから、考え悩んで自分を傷付ける時間があるのは、仕方のない話である。


 長老衆はさておいて、バルム族がジュヤルに向ける視線は、本当に少しずつだが和らぎ始めた。

 バルム族だけがそうなのか、それとも草原の民がそういう気質なのか、彼らはとても単純だ。

 良い物は良い。嫌いな物は嫌い。凄い物は凄い。

 強きを貴び、弱者を嘲った。

 しかし強き者は戦士として相応の振る舞い、働きが求められ、弱者は庇護される。


 何というか、言い方は悪いが獣の群れに近いのだろうか。

 馬や羊等の家畜を、群れの一員とする獣達。

 そしてあまり彼らは遺恨を、長くしつこくは、引き摺らなかった。


 この一年でジュヤルがして来た事は、自身の剣の訓練だけじゃない。

 毎日の家畜の世話を含む居住地での仕事や、交易隊に加われば率先して荷を運び、また僕が冬の居住地に整備した鍛冶場ではその作業を手伝いもした。

 その行動で発生した利が、バルム族が失った物を埋めたという訳ではないけれど、自分が属する集団の為に懸命に働く人間を、嫌い続けるのは割と難しいから。

 ジュヤルの行動で、本当に少しずつだが、周囲を取り巻く環境は変わりつつある。

 尤もそれが、より彼を悩ませてる様子だったが。



「風は風のままでは人を傷付ける事は難しい。同じ強さで物をぶつけても、硬い物と柔らかい物じゃ痛さが違う。そして風は柔らかいどころか実体がないからね。でも本気で吹き荒れれば、容易く人を吹き飛ばす力はあるんだ」

 一方、僕の言葉に頷くツェレンの心は、未だに底が見えてこない。

 役割という仮面の下の感情は、頻繁に見せてくれるようになったけれど、未だにそこまでだった。


「だから風を攻撃に使うには、硬い実体を持たせるか、本当に強く吹き荒れるか、そのどちらかのイメージを強く持つ必要があるよ。風の精霊は僕らのイメージ通りに力を貸してくれるからね」

 僕が口にするのは、ツェレンには既に何度も繰り返した言葉。

 風の精霊に助力を得る事は、ツェレンは最初から高いレベルでできていた。

 実際の所、天気を知る位なら兎も角として、遠く離れた場所での出来事を風の精霊に教えて貰うというのは、普通に攻撃に力を借りるよりも難易度は高い。


 多分前にも言ったかも知れないけれど、細かな条件、複雑な条件を付けて精霊に動いて貰う事は、単純に目の前の相手を攻撃するよりもずっと難しいのだ。

 故にツェレンに足りなかったのは、攻撃のイメージだけ。

 草原に吹く風が、本当はどれ程に力を持っているのか。

 荒れ狂えばどれ程に吹き荒ぶのか。

 またその力を、どう変えれば破壊力を生むのか。

 それを知り、理解すれば、風の精霊は喜んで彼女の敵を打ち倒すだろう。


 だけど僕は、ツェレンがどうして力を求めたのかを、まだ知らなかった。

 父の仇を討ちたいのか、それともバルム族を守りたいのか、或いは力を持つ事で自由を得たいのか。

 またはその全てかもしれない。

 何れにしても彼女が得た力の向かう先を、僕は戦い方を教えた者として見届ける必要がある。

 戦う力を得たが故に不幸になりましたという結末は、僕にとってあまりに徒労であるから、できればツェレンには幸せになって貰いたいと思う。


 最後にシュロだが、彼はもう普通に一生懸命な少年で、とても可愛い。

 シュロは特別な力は持たないし、身体もまだ出来上がっていないけれど、毎日一歩ずつ、少しずつ強くなってる。

 家族を守ることを目標として、だけどジュヤルの事も思いやり、日々を積み重ねて行く。


 恐らく三人の中で剣の腕が最終的に一番伸びるのは、シュロだろう。

 習い始めた年齢が一番低かった為でもあるけれど、彼は成長する事に迷いがないから。

 シュロは特別な力を持たない子ではあるけれど、……それが故に一番眩い存在だった。


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