第118話


 それから僕は二週間をバーダスの町で過ごして色々と情報を集めてから、大湿地帯、人喰いの大沼へと足を踏み入れた。


 水の精霊の力を借りて、水面を歩いて旅をする。

 短時間なら兎も角、長時間の水面歩行は、ずっと水の精霊に支えて貰わなきゃいけないから、割と気を遣うし消耗もする移動だ。

 でも湿地帯の全てが水に浸かってるという訳ではないけれど、湖沼を避けて陸ばかり通れるような生易しい場所でもないから、そこは耐えるより他にない。

 水際付近に生えるリードが揺れ、同時に水の精霊が僕に警告を発した。

 水中から僕を狙って、グイグイと近付いて来る何かが居ると。


 接触までは後……、3、2、1。

 タイミングを合わせ、僕は水面を蹴って大きく跳ぶ。

 同時にバクンと、眼下で巨大な鰐の口が閉じた。

 僕は空中で魔剣を構え、魔力を流して、そして落下しながら振るう。

 魔剣はサクリと、硬い外皮を物ともせずに、鰐の魔物の首を刎ねる。

 まぁ鰐の首と胴って、あんまり区別がつかないけれども。


 水面に降りた僕はそのまま、魔剣を使って上向きに浮かんだ鰐の魔物の尾を切り取り、引っ掴んで大急ぎでその場を離れた。

 急がなければ、切断された首や身体から流れる血が水中に広がり、匂いを嗅ぎつけた肉食魚があっという間に集まって来てしまう。

 巨大な、本当に大きな鰐だったけれど、でも食欲旺盛な肉食魚達にかかれば十分もすれば骨だけだ。


 しかし、うん、鰐の尾が手に入った事は、実に幸運だった。

 鰐型は、この湿地帯で狩れる魔物の中でも特に食用に適してる。

 毒はないし、怖い寄生虫もいない。

 泥臭くも獣臭くもない淡白な肉なので、削った岩塩を振って焼くだけでも、十分以上に美味しく食べられた。

 尤もこの湿地帯では肉を焼く場所や燃料の確保にも、些か苦労するのだけれど。


 そう、この湿地帯では陸地であっても、地面が濡れている場合が非常に多い。

 だから僕はたとえ陸地を歩く時でも地の精霊に頼んで足場を固めるし、休む時は岩場を出して貰ってその上で寝そべる。

 食材を焼く時も、平らな岩を炎の魔術で熱して、鉄板代わりにする事を覚えた。


 もちろん、その場を離れる時は元通りの環境に戻してる。

 森では少しばかり偉そうな顔をできるハイエルフも、この湿地帯にとっては踏み込んできた侵入者、異物でしかない。

 そして異物には異物なりに、この大きな力を持った命に溢れる場所への敬意と遠慮は必要だと思うから。

 僕はこの場所を、頭を下げながら通して貰う立場なのだ。


 コツさえつかめば、人喰いの大沼と呼ばれる危険地帯での生活も、それ程に悪い物ではない。

 だって水の精霊や地の精霊はそこら中にいるし、風だって吹いてる。

 精霊たちの力を借りて、ついでに身に付けた技術や魔術を駆使すれば、然程の不便は感じなかった。

 この湿地帯にだって、時には樹木も生えてるし。


 魔物は確かに多いけれど、それは言い方を変えれば、食材には困らないという事でもある。

 僕は水面を跳ねる魚を弓矢で仕留めたり、蟹の魔物の手足を魔剣でバラバラにしたり、巨大カワウソの群れから走って逃げたりしながら、湿地帯を東に進む。

 いやぁ、水辺も陸地も問題なしに追いかけてくる巨大カワウソの群れは、少しばかり怖かった。

 敢えて狩りたいと思う程に美味しそうじゃないし、捕まると頭からバリバリ食べられてしまいそうなくらいには大きかったから。



 さて、そんな風に一ヵ月くらい湿地帯を進んだところで、僕は視線を感じて足を止める。

 獲物を狙う魔物の視線、……ではないだろう。

 明らかに知性を感じさせる、警戒と好奇が入り混じった視線。

 警戒はされているが、敵意を向けられてはいない。


 僕は周囲を見渡すが、特にそれらしき姿は見当たらなかった。

 という事は水中か、或いは生えた草の影に隠れてる。


 噂の蜥蜴人だろうか。

 水の精霊に問えば、水中から顔だけを出して、草の陰からこちらを窺ってるらしい。

 姿を見てみたい気はするけれど、……下手に近付いて敵対する心算だと思われるのも嫌だし、まぁ、いいか。


 滅びたと思われた種族が、まだここに存在してると確認できただけでも十分だ。

 なんだか、言い表せない嬉しさを感じる。

 存在さえしてるなら、縁があれば関わる機会もやって来るだろう。

 焦って無理矢理に繋がりを持とうとする必要は、今はない。


 僕はそちらに手を振ってから、再び東へ歩き出す。

 人より大きなサイズのザリガニだか手長エビだかの魔物をやり過ごしたり、食用に適したカエルの魔物を追い掛けたり、巨大なまずを踏ん付けて足場にしたりしながら。

 後は陸地だと思ったら地の精霊がどこにもいなくて、よくよく見れば馬鹿でかい亀の魔物の甲羅だった事もある。


 因みに魔物の体内に寄生する生き物は、やはり魔物である場合が殆どだ。

 故に多くの場合はサイズが大きく、うっかり食べてしまったりする可能性は低い。

 但し魔物化した寄生虫であってもその卵は見分け難く、誤って食べてしまった場合は、時に排出前に体内で孵って内臓を食い荒らされてしまう。

 だから下手な毒よりも厄介だった。


 火を通せば多くの場合は死滅するが、稀に熱への耐性を持つ種もいるので、魔物を食べる際には、特に内臓を食べる場合には充分な注意が必要となる。

 町なら専門の解体業者がその辺りの処理もしてくれているが、野外で、自分で狩った魔物は、自分で処理をするより他にない。

 仮に魔物化した寄生虫の卵が体内に入った場合は、孵る前なら卵を体外に排出する薬を、もしも卵が孵ってしまった場合は、早急に魔物が嫌う薬を飲んで体内から追い出し、その上で心得がある魔術師等に内臓の治癒をして貰う必要があるだろう。

 一応、僕もその薬は所持してるし、回復の魔術の心得もあった。

 尤も僕の場合は、明らかに食べて害のある物は、口に入れる前に精霊が警告を発してくれるから、それを必要とするのは本当に万一の事があった場合だけだろうけれども。


 それから更に一ヵ月以上が過ぎ、歩き続けた僕の足元からは湿り気が消え、湿原が草原へと変わった。

 そう、僕は遂に人食いの大沼と呼ばれる大湿地帯を抜けて、大陸の東部へと足を踏み入れたのである。

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