第109話
ウィンが旅立ってから一年、つまり僕がこのヨソギ流の道場に再び戻って来てから六年が経った頃、道場の弟子の数名に鍛冶を教える事になった。
恐らくシズキも、僕がこの道場に滞在してるのはカエハの存在があってこそで、何時までも居続ける訳じゃないと察しているのだろう。
故に僕がこの道場を去った後も、鍛冶を担える人材を欲したのである。
しかし弟子としても、新たな技術を身に付ける機会は決して損な話じゃない。
幾ら道場で剣を学んだところで、その全員が剣で身を立てられる筈がないのは、至極当たり前の話だ。
また剣が好きでも、殺し殺される危険がある世界に飛び込む事を厭う者も居る。
生家に家業がない者や、三男四男で下働きを続けるよりは剣に夢を見た者、弟子達の事情は様々で……、まぁ鍛冶を学びたいという希望者はそれなりに多かった。
だけど僕もその全ての面倒は到底見切れないから、鉄に真剣に向き合える根の真面目な者、灼熱の鍛冶場に耐えられる体力のある者と、適性を考えて選別をして行く。
だがその中で一つ驚かされたのは、鍛冶を学ぶ希望を出して、適性があると思われた者の中に、十歳になったソウハが混じった事である。
ソウハはシズキの娘で、僕にとってはカエハの孫だ。
要するに場合によっては、次のヨソギ流の当主になる可能性がある人間だった。
まぁソウハはシズキの長女ではあるが、下には弟のトウキがいる。
剣を持って戦う場合、筋力、体格的にどうしても男が有利になり易いから、ソウハが当主になる可能性は決して高くないだろう。
でも先代の当主、カエハの例もあるし、或いはソウハの伴侶が当主になる事だってなくはない。
尤もそれを言い出したら、今はヴィストコートに住むミズハの子らだって、才覚を示せば当主の座を得られる可能性はあるのだけれども。
……うん、僕はヨソギ流には、カエハの孫達には跡目なんかで争って欲しくないし、考えたくもない話だ。
トウキが祖母や父の才覚を正しく受け継いでおり、それを発揮する事を期待しよう。
さて話を戻すが、要するにソウハはヨソギ流にとって重要な人間なので、鍛冶を仕込んで良いのだろうかと、僕は迷った。
鍛冶を学べば、剣に費やせる時間は当然ながら減ってしまう。
だってソウハはまだ十歳で、剣や鍛冶だけを学べばいいという訳じゃない。
文字や計算、国の歴史や社会の仕組み、料理や裁縫等の家事も含めて、学ぶべき事は多くあるだろう。
ウィンには人間の倍の時間があったけれど、人間であるソウハに在る時間は、当たり前だけど人並だ。
鍛冶を学ぶ事で、ソウハの未来は逆に限定される。
例えば、少なくともヨソギ流の当主の座からは、確実に遠ざかるから。
僕はソウハに鍛冶を教える事を躊躇った。
けれどもソウハの父であるシズキは、
「ソウハが自分で決めた事なので、話し合いは済んでますから、どうかよろしくお願いします」
なんて風に言うし、カエハに至っては、
「別に当主を目指すだけが生きる道ではないですし、鍛冶を通して強くなった人も居ます。でもエイサー、孫をたぶらかさないでくださいね」
そう言って笑うのだ。
そんなの一体どうしろって話である。
僕はあまり、他人の人生を引っ掻き回したくないのだけれど……。
しかし保護者達の許可が下りた以上、ソウハの希望を断る理由はない。
まぁこうなるのなら、特に真面目な者を選抜しておいてよかったと思う。
まだ十歳の子供とはいえ、ソウハはヨソギ流の当主の娘だ。
近付きたいと考える弟子も皆無じゃなくて、……万が一、彼女の気を引く為に共に鍛冶を学ぼうとする者が混じっていたら、鍛冶場で振るうのがハンマーじゃなくて僕の拳になっていた。
でも僕が鍛冶を教えると決めたなら、もう生まれは関係なくなる。
鉄に、金属に、ある時は魔物から得た素材に、どれだけ真摯に向き合って、作品を生み出せるか。
もちろん最初は何もできないのが当たり前だが、教えを吸収してできるようになろうとする事が重要だ。
それができるかできないかに、生まれは一切関係がない。
今思えば、ウィンは僕に鍛冶を学ばなくてよかったと思う。
アズヴァルドの方が鍛冶の腕も、教え方も上手いってのはあるけれど、それ以上に僕は、彼をどうしても贔屓目に見てしまっただろうから。
それはさて置き、実際に鍛冶を学び始めたソウハは、とても優秀だった。
誰よりも真剣に僕の話を聞き、僕の所作を見、考えるし真似る。
欠点といえば年上の男達に比べればどうしても体力が少ない事だけれど、年齢から考えればそれも上等すぎる部類だろう。
彼女が真剣に取り組むお陰で、他の弟子達も負けずと熱心に取り組む。
またついて来れない者は、早い段階で自ら鍛冶場を離れた。
基礎を積む事を厭わず、されど向上心には満ち、皆が僕の技術を吸収していく。
教え始めて二年、三年と経てば、僕は道場で使われる練習用の剣の修繕は任せるようになったし、彼らの為の仕事も鍛冶師組合から貰って来るようにもなった。
釘や農具、鍋釜等は、この王都でも需要が多く、仕事は幾らでもある。
そしてその中でも、やはりソウハは頭一つ抜けて優秀だ。
ただやはり、ソウハは鍛冶に打ち込んでいる分、剣の腕は伸び悩み、年下の弟であるトウキにも追い付かれつつあった。
だから僕は、余計なお世話かと散々に迷いはしたのだけれど、彼女に問う。
それでいいのかと。
鍛冶よりも剣に、今からでも集中して取り組むべきではないのかと。
だけど僕の問い掛けに、ソウハは笑って、
「師匠、大丈夫です。トウキは絶対に、父のような凄い剣士になって、この家を継ぎます。その時に私は、鍛冶で弟を助けたいんです。だって私は、トウキのお姉ちゃんですから!」
そんな風に言い切った。
堂々と、胸を張るその姿は、力に満ち溢れて輝いている。
成る程。
僕はソウハを充分に評価していた心算だけれど、どうやらそれでも足りなかったらしい。
だったら僕のすべきは余計な心配じゃなく、持てる技術をできる限り教えて、……この道場での鍛冶の役割を全て譲り渡す事だろう。
一度は潰えかけ、カエハが懸命に立て直したヨソギ流は、シズキが更に大きくして、頼もしい次代達に引き継がれて行く。
それは僕にとって、とても喜ばしい彼らの未来だった。
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