第85話
交易を担うドワーフ達は、物価の変動、商人の噂話等から、このフォードル帝国の動きを探ってる。
では人の町ではどうしても目立ってしまう僕には、一体どんな諜報活動ができるのか。
その答えは、そう、数字や噂話ではなく、もっと確実な役人や軍の将官らが口にした言葉を集める諜報、要するに盗み聞きだ。
もちろん僕には領主の館や軍の施設に忍び込み、情報を見聞きするような隠密の技術はない。
しかし僕はできない事を代わりにこなしてくれる頼もしい友人が、何時も身近に存在していた。
「あぁ、今日も寒いねぇ。今年の冬は特に寒く感じるよ」
「芋も麦もまた値上がりしてるじゃないか。一体どうなってんだい」
「帝都に行った兄ちゃん、ちゃんと兵士やれてるのかなぁ」
……多くの声が、僕の耳に聞こえて来る。
外の空気は冷たいが、僕は隠れ潜む屋敷の窓を目立たぬ程度に開けて、多くの声に耳を澄ます。
当たり前の話だが、幾らエルフの耳が大きく尖ってるからといって、町中の会話を聞き取れる程じゃない。
この声は、風の精霊がコルトリアの町中から、僕のもとに運んで来てくれた物だ。
まずは広い範囲から、声を集めた。
町の見取り図はドワーフを通して入手したから、その会話がどの場所で行われたのかも、風の精霊を通して把握ができる。
一区画ずつ、無作為に抽出した声に耳を傾けて、特に気になる物があればその会話を集中的に拾って貰う。
或いは風の精霊がその気になれば、町中の全ての声を一度に集める事だってできるだろうけれど、僕の気が狂ってしまうから絶対にやらない。
風の精霊が声を拾う能力はとても高いが、それを処理する僕の頭の性能は、そんなに高い訳じゃないから。
同時に聞いて要不要をざっくりと判断できるのは、十が精々といった所だ。
「東地区で起きた強盗事件の担当は……」
「皇帝陛下は一体何をお考えなのか……」
「物資の集積状況は芳しくないな……」
町中から拾い集めた声の中で、重要な物が多いのは、やはり兵の駐留所や領主の館といった公的施設だ。
また大きな商家で交わされる会話も、フォードル帝国の動きを把握する上では重要だろう。
尤もこの情報収集の方法も、決して万能ではない。
夏の暑い時期なら兎も角、この寒さの厳しい季節はどこも部屋を閉め切っているから、風の精霊が侵入不可能な場所も少なくなかった。
それでもどうにか、隙間風が通れる壁の亀裂や通風孔、屋根裏や、或いは暖炉に繋がる煙突等から、何とか室内の声を拾う。
もちろんそれで直接苦労するのは風の精霊だけれども、彼、または彼女を宥め、心を同調させる僕にとっても、割合にしんどい作業なのだ。
それと並行して、重要な会話は紙に書き留め、その会話が成された場所を地図に示し、僕は情報を集めながら、手段の効率化も図る。
焦らず、急かず、少しずつ、少しずつ。
そんな日々が三週間も続けば、フォードル帝国の動きは、大分はっきりと見えて来た。
知り得た情報をドワーフと交換して補完し合った結果、フォードル帝国がルードリア王国への侵攻を準備しているのは、もはや疑う余地がない。
このコルトリアを含む南部の町に、侵攻に備えた物資、食糧や資材、武器等が小分けに運び込まれてる。
街道が雪に埋もれがちとなり、移動が厳しいこの季節にわざわざ物資を運ぶという事は、恐らく侵攻の時期は雪解けと同時なのだろう。
そして肝心の侵攻手段、要するに山道を切り開く方法なのだが……、不可解な事にそれを発案した一人の男に任されている事以外は、不明だ。
普通に考えたら軍を動かすような規模の話で、一般兵なら兎も角、物資の集積の責任者である領主までもが詳細を知らされていないなんて、ありえない。
何らかの手があるにしても、それを基に侵攻計画が練られ、それに応じた準備がされる。
山間を切り開くのに必要な資材、人手、それを養う食糧をどれ程に用意するのかは、侵攻の計画次第で大きく変わる筈。
しかしフォードル帝国内ではルードリア王国への侵攻準備が、詳細は不明のままに進んでいた。
これはこの国の、フォードル帝国の皇帝が、侵攻を発案した男を信任し、全権を与えている事が理由らしい。
詳細を明かされぬ侵攻手段であっても、それに疑問を呈して、あまつさえ反対の意思を表に出せば、それは皇帝への叛意と取られてしまう。
いや実際にとある将軍は、ろくに計画も立てられないこの侵攻は兵の命を無駄にすると反対し、既に反逆の罪を問われて処刑された。
長くフォードル帝国に忠義を尽くし、皇帝からの信頼も厚かった将軍であるにも拘らず、その弁も周囲の擁護も一切聞き入れられずに。
この帝国に一体何が起きているのか。
それを知る為には、侵攻の発案者であるレイホンという名の男を調べるしかないだろう。
レイホンはフォードル帝国の民ではなく、数年前にふらりとこの国にやって来て、皇帝に気に入られて召し抱えられたそうだ。
それからあれよあれよという間に帝国内で実権を握り、国政に口を出し始めた。
当然ながらレイホンの存在を快く思わない者は多く、幾度となく彼を排除する動きは出たらしい。
けれども不思議とその試みは全て失敗し、レイホンに敵対した者は皇帝に遠ざけられたり、或いは不審な死を遂げている。
またこれは本当に単なる噂なのだけれど、レイホンは口さがない者達に、奴隷喰いと、そんな風に呼ばれていた。
フォードル帝国では奴隷の所有が違法ではなく、貧しい村から売られた人々や、戦争で捕虜となった他国人は、奴隷として売買される。
レイホンはそんな奴隷を大量に買い漁り、その多くの行方がそれ以降は分からない。
明らかにレイホンの屋敷で働くだけにしては多過ぎる数の奴隷が、買われてはその姿を消しているのだ。
故に人々はレイホンが、買った奴隷を喰っているのだと噂する。
それは皇帝に取り入った成り上がり者に対するやっかみや、得体の知れない余所者への恐怖が、そんな想像を呼んだのだろう。
でも実際に人を喰っているかどうかはさておいて、そんな噂が出る程にレイホンが嫌われていて、かつ謎の多い人物である事は確かだった。
結局は、実際にレイホンを見てみないと、全ての真相は掴めそうにない。
予想できる事は幾つかある。
例えば皇帝は、恐らく洗脳を受けてるのだろうって事とか。
尤も、洗脳といっても何らかの特殊な力で意識を操られているかどうかは、不明だった。
僕の前世の知識にも、怪しげな人物が権力者に取り入って意のままに操ったなんて話は、幾つも例がある。
その前世で生きた世界には、精霊や魔術なんて物は存在しなかったけれども、……それでも人を操る事は出来たのだ。
言葉だけで、或いは薬物を併用して、心の隙間に入り込む。
但し今回の話だと、敵対者の不審死や、ルードリア王国への道を切り開く手段を隠し持っていそうな事を考えると、レイホンはやはり何らかの力を所持してると判断した方が自然だろう。
皇帝を洗脳し、敵対者を密かに排除し、山に閉ざされた道を開く。
汎用性の高さを考えると、やはり魔術だろうか?
だが帝国にも魔術師はいるから、皇帝が魔術で洗脳を受ければ、気付かぬ事はない筈だ。
それに敵対者の排除なら兎も角、山に閉ざされた道を開けるような出力の魔術は、……あまり現実的じゃなかった。
もちろん僕が知る魔術なんて全体のごくごく一部だから、レイホンが他を圧倒して優れた魔術師だというならば、可能性がゼロとまでは断言できない所だけれども。
或いは、神術もあり得ない話じゃない。
精神力や強く信じる心が引き起こす奇跡、神術や法術と呼ばれる物は、いわば超能力の類である。
他人の心を読んだり、他人に思念を伝える類の超能力、テレパスの使い手なら、人を洗脳する事もできるんじゃないだろうか?
また強力な念動力、サイコキネシスの使い手だったら、敵対者の不審死を起こすくらいは容易い筈。
けれども流石に山を動かせるとは、ちょっと考え難いけれども。
うん、分からない。
いずれにしてもレイホンは、かなり危険で厄介な人物だろう。
だけどそれでも、フォードル帝国全体がルードリア王国への侵攻を熱望し、大勢のエルフを捕らえて精霊の力で山を切り開こうとしてる……、なんて事態に比べればずっとマシだった。
何せ全ての原因がレイホンにあるのなら、それを取り除くだけで、状況の解決が図れる。
要するに、必要な犠牲は最小限で済む。
……ふと、レイホンの人喰いの噂を聞いて思い出した事があるけれど、いや、まさかそんな筈は、ないと思う。
だってそれはあまりにも、最悪の想像だ。
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