第84話


 進む山道はいつしか雪に白く染まり、足を踏み入れたフォードル帝国の領内は、ルードリア王国とはまるで別の世界だ。

 北から吹く冷たい風は高い山々に遮られ、ルードリア王国には届かない。

 しかしその分、フォードル帝国の空はやや薄暗く、地は降り積もる雪に覆われる。


 ……つまりとても寒かった。

 僕はあまり季節を気にしないけれど、そういえば今は冬か。

 鍛冶場の熱さどころか、雪の寒さにも動じないドワーフ達とは、既に別行動だ。

 僕は幸い精霊が見えるから然程の孤独感は感じないけれど、いやでも北風に宿る精霊も、雪に宿る精霊も、寒いからあまり戯れる気にならない。

 いや、彼ら、彼女らが嫌いって訳じゃないのだけれど、今はちょっといいかな。


 ドワーフ達は真っ直ぐ町へと向かったが、真っ当には町に入れない僕が目指すのは近くの森。

 まずはそこに隠れて数日を過ごし、それから闇に紛れて町への潜入を果たす。

 その後は先に町に入ったドワーフと接触して、彼らが用意してくれてるセーフハウスに潜む。

 ルードリア王国のように暖かな場所なら兎も角、これ程に寒ければ拠点なしの活動は不可能だ。


 雪の上を進んで、僕は森を目指す。

 柔らかい雪を踏んでも僕の足は沈まず、また雪上に足跡を残さない。

 当然、そんな風に雪上を歩く技術を僕が持ち合わせてる筈もないから、全ては雪の精霊のお陰である。

 だから雪はこの寒さの大きな一因だろうけれども、嫌う事なんてできなかった。

 何より一面の銀世界は、僕が見て来た景色の中でも有数に綺麗な物だったし。


 どうにか森まで辿り着いて、木々の懐に潜り込めば、寒さも大分と和らぐ。

 食料は持って来た保存食と、この寒さでも森なら探せば何らかの物は見つかるだろう。

 木の実の類は期待できないが、雪の下、土の中に眠る芋の類ならば、この時期にもある筈だ。

 たとえ見知らぬ地であっても、そこが森であるならば、ハイエルフの僕は何ら問題なく生きて行ける。



 そうして僕はその三日後、闇に紛れて最寄りの町、コルトリアへと忍び寄り、

「ヴィーヌング・フォス・ヌルース・ウン・ザーム」

 寒さに震えながらも声は揺らさず、正確な発声を行う事で浮遊の魔術を行使する。

 ゆっくりと浮き上がった僕の身体は高い城壁をふんわりと越えて、僕は門を使わずに町への進入を果たした。

 

 フードは目深に被り、万一姿を見られた場合でも、不審者ではあってもエルフだとは思われぬように。

 静かに、秘かに、人目を避けながら夜のコルトリアの町を早足で歩く。

 僕に隠密の技能なんてないけれど、森での狩りの時と同じように気配を殺して、人の接近は風の精霊が教えてくれるから、予め出くわさないように選んだり、身を隠してやり過ごす。


 夜の空気は非日常感があって、心が浮き立つのは何故だろう。

 何だか少し、そう、まるでゲームみたいでちょっと楽しい。


 隠れ潜みながら町を進み、辿り着いたのは先に町に入ったドワーフ達が滞在してる商館。

 既に灯りは消えているが、周囲を一巡りして全ての窓を確かめれば、その一つに布が挟まれているのが見えた。

 アレは鍵を掛けていないからそこから入って来いとの、ドワーフ達からの合図だ。

 故に僕は再び浮遊の魔術を行使して浮かび上がり、そっと木製の窓を押し開ける。


 取り決め通りに窓の鍵は掛かっておらず、僕は入った部屋の暖かさに、ホッと息を吐く。

 でものんびりとその暖かさに浸る暇は、今はない。

 ここはドワーフ達の滞在場所ではあるけれど、その所有者は取引相手である町の人間、商人だ。

 ドワーフに対して友好的だが、完全に信用できる訳ではないし、僕の存在は知らせていない。 

 椅子に腰かけたドワーフと目が合うが、彼は何も言わずに頷き、ジョッキに酒を注いでは飲み干す。

 つまり今は酒を飲んでいて、僕には気付かなかったって体裁を取ってるのだ。


 故に僕も言葉は発さず、テーブルに置かれた袋を手に取り、サッと中身を改めて、もう一度窓から外に出た。

 中身はドワーフ達が手配してくれたセーフハウスの位置を示す手書きの地図と、鍵。

 それからここ数日で調べた情報の纏めである。

 今日、僕が身体を休められるのは、セーフハウスに辿り着き、その情報を確認してからになるだろう。


 用意されたセーフハウスは、今は使われていない大きな一軒の屋敷。

 その所有者はドワーフだが、王を決める品評会に参加する為にドワーフの国に戻ってる。

 つまりは名工の一人だ。

 品評会の際に何度か話してるから、僕も顔や名前を知っている。

 なので空いた屋敷を誰かが勝手に使っても、その責任をドワーフが追及される事はなかった。

 屋敷の点検、補修は他のドワーフが定期的に行っているが、そちらとも話は付いているらしい。

 それから些かの食糧と水、ワインは、既に運び込んであるそうだ。


 至れり尽くせりとは、まさにこの事か。

 この扱いはドワーフも少しでも多くの情報を欲している面はあれど、多分そんな難しい話は考えてなくて、……まぁ単純に彼らが僕を身内として認めてくれてる証左だろう。

 だからこそ僕は、自らの働きでドワーフ達の好意に応えなきゃならない。

 それができなきゃ、彼らの、誰よりもアズヴァルドの友人として恥ずかしいから。


 まぁでもそれも明日からだ。

 誰も居ない屋敷に入り込んで荷を置き、用意された食料を口にして、こっそりと湯を沸かして身体を清めた僕は、ごろりとベッドに横になる。

 ドワーフの国を発って以降、硬い地面での野宿ばかりが続いたから、久方振りのベッドは実に心地が良くて、僕を眠りに誘った。

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