第73話


 それから更に二年が過ぎた。

 皆が悼みながらも、でも痛みを忘れるかの様に懸命に生きて行く。

 大切な人が欠けたとしても、過ごす日々に大きな変化はなくて、やがて時が喪失を過去の事にする。


 ウィンはあれから、一時期また僕にべったりになって、今はその反動でまた少し離れてしまう。

 ずっとべったりでも構わないのに!

 でもそれが正しい成長と言う物だった。

 ただ周囲の人々が、自分より遥かに早く死ぬ生き物だと知った彼は、色々と悩んでいるらしい。

 特にミズハとは仲がとても良いのに、ドンドンと時間の差が開いて行ってるから。

 シズキもミズハも既に大人に近い年齢で、そろそろ自らの将来を決めたり、或いは伴侶を探し始める頃合いだ。


 ……一度、旅に出るべきだろうか。

 そんな風に、僕が考えていた時だった。

 アズヴァルド、僕のクソドワーフ師匠から、一通の手紙が届いたのは。


 優秀な助手が欲しい、手隙なら頼む。

 簡単に言えば、そんな内容の手紙だった。

 もう少し詳しく言うならば、今、ドワーフの国では老齢の王に代わる次を決める為、鍛冶師同士が競ってるらしい。

 ドワーフの国では鍛冶の腕こそが最も重視され、鍛冶の腕が良ければ周囲の敬意も、社会的な地位も、全てが得られる。

 そう、王の地位さえも。


 でも鍛冶師の競い合いとは、即ち作品の出来の比べ合い……、要するに品評会で、作品の出来を左右するのは、鍛冶師の腕のみじゃない。

 鍛冶場の質、特に炉の性能は影響が大きいし、より良い素材を取り揃えるコネも重要だ。

 また優秀な助手、弟子を抱えている事も、作品への影響は決して少なくないだろう。


 だけどまさか、あのアズヴァルド、クソドワーフ師匠が、手助けを求めて来るなんて、あまりに想像の埒外だ。

 それは嬉しくもあり、また心配でもあった。

 まず、僕をそんなにも認め、評価してくれていたのだと言う事は、もう本気で素直に滅茶苦茶嬉しい。


 しかし彼の性格からして、僕に手助けを求めるのは、本当にギリギリの、それこそ最後の手段の筈である。

 寧ろアズヴァルドなら、独力で届かなければ、今は王になる資格がなかったのだと素直に諦め、更なる研鑽の道を選ぶ筈。

 なのにそうしなかったのは、……自惚れかも知れないけれど、僕との約束があるからだろうか。


 そう思えば、身体がぶるりと震える程に、幾つもの感情が胸の内で渦巻く。

 あのクソドワーフ師匠が追い詰められ、僕を必要として呼んだ。

 あのクソドワーフ師匠ですら、独力では追い詰められてしまう程の鍛冶師達が、ドワーフの国には存在してるらしい。

 あのクソドワーフ師匠が、僕との約束の為に戦ってるのだ。


 嬉しさと、焦りと、興味と……、何だかもう良く分からないけれど、兎に角、このままドワーフの国に向かって駆け出したい程の衝動に、僕は拳を床に打ち付け、大きく深呼吸を繰り返して、自分の気持ちを落ち着ける。

 あぁ、そう、この話は、今すぐにって事じゃなかった。

 ドワーフの次代を決める為の腕比べは、一度や二度の品評会じゃ、終わらない。



 だから僕は最初に、ウィンに問うた。

 僕はドワーフの国に行くけれど、彼はどうするのかと。

 勿論、ウィンはまだ子供だから僕の庇護の下にあるべきだけれど、……でもカエハやその子等、道場の弟子達だって、もう家族みたいなものである。

 仮に彼がどうしてもこの道場に残りたいなら、僕は他の家族にウィンを任せるだろう。


 何と言うか、そう、単身赴任みたいな感じになる。

 ドワーフの国は北の山脈地帯の中、人を寄せ付けない難所にあるが、……距離だけで考えたらそこまで遠い訳じゃない。

 人は兎も角、ドワーフは行き来して交易品等をやり取りしているし、僕だって頑張れば年に一度位は、何とか帰って来れる筈。


 僕の問い掛けに、ウィンは少し悩んだ。

 具体的には五分位、何やらブツブツ言いながら考えて、

「エイサーと行く。だってエイサーは、ボクが居ないと何するか心配だし……」

 それから彼は僕にぎゅうっと抱きついた。


 僕はウィンの下した結論と、彼の暖かさが嬉しくて強く抱き返して、……それからふと気付く。

 あれ、おかしくないだろうかと。

 僕って、ウィンの保護者だよね?

 何でちょっと、逆に心配されてる感じになってるんだろう。


 確かにウィンと言う重しがなければ、僕は少しばかり好き勝手する所が、百歩譲ってある気はするけれど、彼と出会ってからは割と大人しく生きて来た心算だったのに。

 ……うぅん。

 でも、まぁ良いか。

 ウィンが付いて来てくれるなら、それで良いや。


 ドワーフとハーフエルフに流れる時間は近いから、ウィンにも長く付き合える友が見つかるかも知れない。

 そうなるとまず必要なのは、拳と拳のコミュニケーションの取り方である。

 彼等は気の良い連中だが、直情的な傾向があり、またぶつかり合いを好む。

 そしてぶつけ合うのは、本音だったり拳だったりと様々だ。

 逆にぶつからずに退いてしまう相手に対しては、ドワーフ達も距離を取る。


 故にウィンには、要するに喧嘩の仕方を教える必要があった。

 僕と揃いでグリードボアの革の手袋を作り、腰と気合の入った拳の打ち方を教えて、そうしていると三ヵ月程の時間があっという間に過ぎ去ってしまう。



 けれども出発をするには、もう一人、ちゃんと話をしなければならない人がいる。

 いや、違うか。

 しなければならないじゃなくて、話したいのだ。

 僕の気持ちを理解し、旅立ちを納得して、ちゃんと送り出して欲しい人がいる。


 だから旅立ちの前夜、僕はカエハの部屋で、彼女と向かい合って言葉を交わす。

 するとカエハは、僕に向かってこう問うた。

「今生の別れですか?」

 ……と。


 あぁ、確かに、そんな風に思うのかも知れない。

 僕は今の段階では、真っ当な剣士としての成長を諦めてる。

 それにウィンもそれなりに、人で言う八歳か九歳にまで成長したから、急がずに準備をしっかり整えれば、旅も然程に苦にしないだろう。

 つまり安全に育てる為の場所を、以前程には必要とはしていなかった。


 そう考えれば、僕がここに戻って来る理由はもうないのだ。

 だけどそこには、僕の気持ちが入っていない。


 僕は自分で言うのもなんだけれど、自由な、と言うよりもいっそ我儘な生き物である。

 やりたい事をして、食べたい物を食べ、好き勝手に振る舞う。

 何より、行きたい場所へ行く。


「いや、戻って来るよ。僕は、人間と違う時間の流れる生き物だけれど、君の最期は傍に居たい」

 ここは、カエハの隣は、僕が居たい場所だから。

 あちらに、こちらに、うろうろとはするけれど、その場所が消えてなくなってしまうまでには、必ず戻って来るだろう。

 色々と気付くまでに、あまりに時間を要してしまったが。


 そして僕は知っている。

 死別は必ずしも、永遠の別れではないと言う事を。

 何故なら僕自身が、転生を経てここに居るから。


 違う世界に行くかも知れず、記憶の保持が出来ないかも知れず、……再会の可能性なんて那由他の彼方であろうけれども、だけど決して零じゃなかった。

 僕はまだまだ長い時間を生きて、更にその後も精霊として存在し続ける。

 だったらそんな気の遠くなる時間のどこかで、奇跡だって起こるかも知れない。


 故に僕は、その後に泣き崩れるとしても、カエハの最期を看取るだろう。

 絶対に忘れない記憶を刻む為にも。


「……そうですか。えぇ、そうですね。では約束です。私の最期は、エイサー、貴方の隣で。だから帰りを、楽しみにしてますね」

 そう言って笑うカエハの顔は、出会った時よりもずっと年齢を重ねてたけれど、とてもとても、綺麗だった。

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