第52話



「まだ少し早いのかも知れないけれど、アイレナ、本当にご苦労様。君じゃなきゃ、その結果には辿り着かなかっただろうね」

 僕がルードリア王国の東部で地揺れを起こしてから、およそ六年。

 エルフやハイエルフの感覚からすればそんな僅かな時間で、王国との交渉を纏め上げた裏には、恐らく口に出来ない苦労もある。

 のんびりと生きてる僕には想像も付かないけれども、仮にも一国が相手ともなれば、綺麗事ばかりが通用する筈もない。

 危険な目に遭った事だって、きっと一度や二度じゃないだろう。


 実際の所、僕にとってルードリア王国の、王家の進退なんて物凄くどうでも良い話だ。

 僕にとってあの国の人間で大事だと思っているのは、ヴィストコートの町の人々と、王都に住むカエハやその母達だから。

 彼等の生活が極端に脅かされる事なく事態が解決するならば、王が誰であろうと構いはしない。

 だけどその意図を汲んで、或いは意図を同じくして、事態を解決に導いたアイレナの努力には、自然と頭が下がる。


「いえ、そんな、私もエイサー様を真似て、自分がしたい様にしただけです。私だってクレイアスやマルテナが、その子供が住むあの国には、潰れて欲しくなんてなかったですから」

 そう言って悪戯っぽく笑うアイレナは、これまでに知る彼女の中で、一番魅力的に見えた。


 勿論、問題はまだまだ残ってる。

 増えた魔物を間引いて減らし、以前にエルフ達が住んでいた場所を取り戻さなきゃならない。

 当然ながら、ルードリア王国の森への再移住も必要だ。

 新しい環境に慣れてしまったエルフ達の中から、故郷の森に戻る希望者を募る作業は、多分とても骨が折れる筈。


 でもアイレナは、きっと全てをやり遂げるだろう。

 いかなる困難に対しても、諦めず粘り強く、利用できる物は利用して、己の信念を貫く。

 そうした人物を、人は英雄と呼ぶのだ。

 まぁアイレナはエルフだけれど、僕から見た今の彼女は、間違いなく英雄だから。

 何も心配は必要ない。



 と言う訳でルードリア王国の事は脇へ置いといて、そろそろ本題に移ろうか。

 どうにもしんみりとしてしまった空気を変える為、

「ところでアイレナ。僕、ずっと凄く楽しみにしてたんだけれど、例の子は?」

 僕はパチンと手を打ち鳴らしてアイレナに問う。


 実際、本当に楽しみにしてたのだ。

 ハーフエルフの幼子が背負って生まれた物は余りに重たいけれど、だからって僕までが暗くなっても良い事は何もない。

 子育ての経験なんて僕にはない、……ない筈だけれども、自分なりに精一杯に色々と考えてみた。

 その結果、僕は真っ当に親になんてなれそうにない生き物だけれども、保護者兼友人としてなら、胸焼けする程の愛情を注げると思ってる。


 けれどもアイレナは、そうやって勢い込む僕を宥めるかの様に、憂いの表情を浮かべた。

「……えぇ、連れて来ています。今は私の部屋で、昼寝をしてます。部屋の窓は開けてますから、起きれば風の精霊が知らせてくれるでしょう」

 その言葉に、僕は浮かし掛けた腰を、再び椅子に落ち着ける。

 成る程、昼寝中か。

 流石に寝ている所に突撃して、起こしてしまうのは可哀想だ。


 しかしそれにしても彼女は、随分と精霊の扱い、助力の引き出し方が上手くなったらしい。

 単純に何かを攻撃したり、水や風を発生させるだけなら兎も角、細かな条件を設定して頼み事をするのは意外と難しいのだけれども、アイレナは事もなげに幼子が起きれば風の精霊が知らせてくれると口にした。

 それは彼女が、エルフの中でも有数の実力者となった証左だろう。


「ですがもう一度、私はエイサー様に問います。本当に、よろしいのですか? 貴方の愛情が深い事は、存じております。……だからこそ私達に比べて生きる時間の短いハーフエルフの存在は、きっとエイサー様の心を傷付ける」

 そしてアイレナは、僕にそんな風に問うた。

 彼女が憂い、心配するのは、寿命の違いでハーフエルフに先立たれた後の僕の心か。

 或いはアイレナは、僕に自分を重ねているのかも知れない。

 先立たれてしまった後に生きる長い時間を恐れ、人間の男性、クレイアスの隣に立つ事を選べなかった彼女自身と。


 だけどそれは、無用とまでは言わないけれど、今の僕には必要のない心配だ。

 勿論、アイレナが心配する通りに、数百年後の僕はハーフエルフとの死に別れに傷付き、涙するだろう。

 でもそんな事は僕が長い年月を生きるハイエルフでなくとも当たり前だった。

 少なくとも出会う前から心配する様な話じゃない。


「もしかすると、明日僕が死ぬかも知れない。……ないとは思うけれど、ないとは言い切れない。だからそんな先の話は考えても仕方ないんだ。そして寿命だけを問題とするなら、アイレナだって僕よりずっと早く死ぬ。それを恐れるなら、僕はもう誰とも関われない。そんな生き方は、僕は嫌だね」

 例外は同種であるハイエルフと、精霊のみ。

 もしかすると、だからこそ他のハイエルフは、同じハイエルフや精霊以外には心を開かないのだろうか。

 だとしたらそれはあまりに寂しい生き方だと、今の僕は思ってしまう。


 僕の前世で、友人の一人が言っていた。

『人間はどんなに正しいと思う判断をしても、後になって振り返って首を傾げて悔いる生き物だよ。だから後悔には反省を促す以上の意味はないんだ。だったら今、この時に悔いない事の方がずっと大事だね』

 ……なんて風に。

 遠い昔の記憶だから、そう言った彼がどんな人間だったかはもうハッキリと覚えてないけれど、その言葉だけは何となく心に残ってる。

 僕はもう人間ではなくてハイエルフになってしまったけれども、それでもやはり、今、この時に悔いない事こそを大事にしたい。


 アイレナは、僕の言葉に意表を突かれた顔をしている。

 恐らく彼女は僕と自身の寿命の違いなんて、考えもしていなかったのだろう。

 長い時間を生きるエルフだからこそ、それ以上があるって事に、普通なら気付いて当然のソレに、思い至りはしなかった。

 そう、僕にとってアイレナは先立ってしまう側で、同じ悩みを共有する相手ではないと言う事実に。


 言葉を失ってしまった彼女との間に、沈黙の時が流れて行く。

 ただ、そう、でも僕にとって大事なのはそこじゃないのだ。

 僕は皆と生きる長さが違っても、関わる事を止めはしない。

 カエハの様な人間とも、クソドワーフ師匠の様なドワーフとも、ハーフエルフの子供とだって、勿論、アイレナも同じである。


 皆が居なくなって、僕が長い寿命を終えて、だけどその後に更に精霊としての、もっともっと長い長い時間が待ってるとしても。

 僕は今、悔いない道を選んで精一杯に生きるのだ。

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