第25話


 それから事を起こす準備には、ルードリア国内のみならず周辺国の森も巡る必要があった為、およそ半年程も掛かってしまった。

 半年もの間、奴隷として過ごすエルフ達には申し訳なかったが、救うならば一度に救わなければ、残された者が証拠を消す為に処分されかねない。

 故にエルフの移住の手配、奴隷となったエルフの全ての所在の確認、救出の手筈を整える迄、迂闊な手出しが出来なかったのだ。


 そして全ての準備が漸く整った今、僕はルードリア王国の東部の中央、最も肥沃な地とされる侯爵領の森に居る。

 そう、その侯爵が抱えた私兵に襲われ壊滅した、エルフの集落だった場所に。


 エルフを奴隷とする事に関わった貴族領への攻撃の方法は、僕は頭の中で幾度も幾度も検討した。

 例えば以前に縁を得た水の精霊の力を借り、東部の川を全て氾濫させ、水浸しにするとか。

 各貴族の領都で僕が風と火の精霊に力を借りた、炎の竜巻を起こすとか。

 本当に、色々な手を考えた。


 東部を水浸しにする案は、影響が東部だけに収まらない為に却下だ。

 穀倉地帯を泥水が襲えば、作物は腐って収穫できず、ルードリア王国全体が食糧危機に陥るだろう。

 炎の竜巻はあまりに直接的に人を殺し過ぎて、人間とエルフが本格的に対立する結果になりかねない。


 成るべく事を大きく、されど実質的な被害は小さく。

 悩んだ末に僕が出した結論は、

「全てを支える強き大地に宿りし精霊よ。僕に力を貸して」

 侯爵領を中心とした東部域への地震。

 言葉と共に僕が手の平を地に突けば、ぐらりと大きく地が揺れた。


 必要とされるのは、この現象を制御する確固たるイメージ。

 それを正しく伝えなければ地の精霊は沸き立つ心のままに大暴れして、途轍もない破壊を齎してしまう。

 実際に歩いて脳内に描いた東部の地図の、攻撃対象となる貴族領に集中的に揺れを起こす。

 破壊的に激しく縦に揺らすのではなく、ユサユサとゆっくりとした横揺れを。

 多分この具体的な地揺れの制御は、ハイエルフの中でも具体的に揺れを知る僕にしか出来ない筈だ。


 震度にすれば四程で、或いは場所によってはもう少しだけ強く、揺れが続いた時間は少し長くて数分かそこら。

 僕の前世の感覚からすれば、それなりに不安を感じる地震ではあっても、甚大な被害が出る揺れじゃない。

 だけど大地の揺れなんて生まれてから経験した事のないルードリア王国の住民にとっては、魂が消し飛びかねない恐怖だろう。


 地揺れは竈に火が入る前の、人々が動かぬ夜明け前の時間帯を狙ったけれど、それだけに驚きは大きかった筈。

 古くなった家が揺れに耐えきれずに壊れ、誰かがその下敷きとなったかも知れない。

 その全ての惨劇を引き起こしたのは、他ならぬ僕である。

 揺れが起きた場所は限定的で、その地の貴族達がエルフを奴隷としていた件に対する非難をすぐに出すから、人々は原因を知るだろう。

 恐らく人々の恐怖は怒りへと転じて、発端となった貴族に、それから事態を防がなかった国に向くが、それでも全てを実行したのが僕である事に変わりはないのだ。


 まあ、僕がそれを思い悩んで憂鬱になったとしても、何も事態は変わらない。

 さっきの地震を合図に、冒険者をしていたエルフ達は囚われた同胞の救出を、森に住むエルフ達は国外への移住を開始する。

 国外への移住を開始したエルフの数は、およそ八千。

 それはルードリア王国に住む全ての人間に比較すればささやかな数ではあるけれど、僕が想像していたよりも随分と多かった。


 事態はもう、動き出してる。

 もし仮に、今回の件にルードリア王国がすぐさま動いてエルフの奴隷を所有していた貴族達、特に侯爵や伯爵と言った発端となった者達を処刑し、公的にエルフに謝罪をするなら、事態の収束は早いだろう。

 そうなった場合は移住を中断して元の森に戻る様にと、各集落の長には伝えてある。

 だけど恐らく、そうはならない。

 侯爵や伯爵への処罰は行われるとしても、彼等の所業に国が目を瞑っていた事は認めないだろうから。


 しかし国からの公的な謝罪があってこそ、歴史に刻まれてこそ、同じ悲劇の繰り返しは防げるのだ。

 決して譲る事は出来ない。

 それで被害を受けるのが、以前に水の精霊に語った、懸命に生きる弱き者だとわかってはいても……。


 人とエルフの間に生まれた溝は簡単には埋まらないと思われるが、交渉の窓口にはアイレナがなる予定だった。

 彼女は人間の世界でも高い評価を受ける七つ星、最高ランクの冒険者だから、ルードリア王国側としても決して粗略には扱えないだろう。


 だが今回の件が引き起こした問題は他にもある。

 今回の件で救出されたエルフの中に子を宿した者が居たら、悲劇はまだ続く。

 何故ならエルフはハーフエルフを忌み子として、災厄を招くとして嫌うからだ。

 恐らく人間の血が強く表に出た場合、ハーフエルフは精霊の力を借りられない事があるから、精霊との繋がりを重視するエルフには忌み嫌われてしまうのだろう。

 エルフとハーフエルフの間には、寿命、成長速度の違いもあるし。

 そして多くの場合、ハーフエルフは生まれると同時に他のエルフの手で、地に還される。


 僕は今回、ハーフエルフを嫌うエルフの慣習が無意味な物であると説明したが、理解を得られたかどうかは正直微妙な所だった。

 少なくとも僕が直接言い含めた以上、問答無用で殺されはしない筈だが、……引き取る事も考えておいた方が良いかも知れない。



 いずれにしても、僕はもうこの国には留まれなかった。

 すっかり忘れていたけれど、結局は魔術も学べてないままだ。

 次はどこへ向かうとしようか。


 立ち上がり手に付いた土を払って、僕は腰の剣を抜く。

 鋼のひやりとした輝きは、僕の乱れた心を多少整えてくれた。

 それから僕は、ゆっくりと剣を振るう。

 ただひたすらに、一心不乱に、僕がこのルードリア王国で得た物を一つずつ噛み締めながら。


 今だけは、この選択が最良だったかどうかなんて、何も考えずに。

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