18 - お節介焼き vs 意地っ張り

 菜優とケルは、言葉を紡ぎ出すこともせず、ただそこに立ち尽くして見つめ合っています。


 その沈黙を破るように、不意にぐーっとお腹の鳴るような音が聞こえてきました。ケルはその場にゆるゆると伏せ降りて、「あたしじゃないわよ」とまた険の鋭い声で威嚇してきました。が、どこから鳴ってきた音かなんて、火を見るより明らかでした。


 この好機を見逃す菜優でもありません。不意ににやりと、意地の悪そうな笑みを浮かべながら、昨日買い込んだ食糧の中から一つ、塩漬け肉を手にとって、ゆるやかに近づいてはケルの鼻先にまで近づけてみました。


「あたしじゃな…ってしょっぱ!何よ、なんなのよこれ!」


 ケルはそんなことを叫びながら、びっくりしたように跳ね起きて、全身の毛をよだたせました。菜優ちょっと残念そうに眉をしかめながら、「やっぱヒトの食べもんじゃあかんかー」とかなんとか言いながら、他に犬でも食べられそうなものを探してみました。


 しばらく探すうちに、ミルクをひとつ見つけられました。雑貨屋のお兄さん曰く、このミルクは腐る心配がなく非常に日持ちするうえ、お腹もよく膨れるものであるらしいのです。それが本当であれば菜優としては非常に助かりますし、腐りやすい印象すらあるミルクがホントに腐らないのか興味が湧いたこともあって、少しだけ買ってみたのでした。


 手のひらをお椀のようにくぼませて、その上にミルクを零しました。そして、その手のひらをケルの目の前に差し出します。ケルはわざとらしく、鼻先をそむけました。菜優は追いかけるように手をケルの鼻先にやりますが、ケルは一向に相手どろうとしません。


 菜優は、頑なに閉ざされた牙の隙間からよだれが滴り落ちていることに気づいていました。それでもご飯に食いついてこないことを、疑問に思っていました。


 菜優はこの国イースティアに来てからというもの、ご飯が当たり前のように食べられることの幸福さと、ご飯が食べられないときの絶望感を思い知らされました。飢えて死んでしまうことが容易に想像ができて、そしてわけも分からないイライラに苛まれて。


 とても悲しい思いしかできないのに、それでもなお差し出されたご飯を食べられないのには理由があるんじゃないか。菜優は考えていました。やがて、何かを思いついたように、菜優は手の平に載せたミルクをくいっとひと思いに飲み干しました。そしてまたミルクを手のひらに零して、またケルに差し出すのです。


「ほら、大丈夫だよ。毒なんて、入ってないから」


「…それくらい、匂いでわかるわよ!猟犬ハウンドの嗅覚をなめないでもらえるかしら」


 惜しげな表情を浮かべて振り向いたケルは、何事もなかったように吠え立てます。


「お腹、空いてるんやろ?食べてよ。お腹空いてるとさ、悲しい思いしか出来やんくなるやんな」


「空いてない」


「よだれ、垂れてるよ」


「垂れてない」


 押せど押し返される押し問答にじりじりしながらも、菜優は一歩も引きません。単に気が立っているだけと、大丈夫と、菜優は自分に言い聞かせて奮わせます。


「悲しくない?イライラしやん?それってえらいやん。それに、なんか食べんと死んじゃうやんな」


「…今更何度死のうと、知ったこっちゃないわ。どうせまたモイラの運命の糸とやらで、生き返って来られるんだもの。それに、深く関わるほうが、辛くなることもあるものよ」


 妙なことを聞きました。モイラ-あのたすけあうジャパンに加入するにあたって、信仰を求められたあの神様-の運命の糸で、死のうと生き帰って来られる。


 死んじゃったらそこで全てが終わってしまって、何もなくなってしまうことが当たり前だった。でもこの世界では、生き返ることが出来る方が当然というのです。


 それじゃ、この世界の人達の死生観がぜんぜん違うために、本当にヘンなお節介を焼いてしまったのではないか。それまで自信を失った菜優は、そんなことを溢したケルを呆然と見つめます。


 その時背中に冷たい感触がせり上がってきました。ひやりとした感触に菜優は驚いて跳ね上がり、ケルはそんな菜優を見てまた驚いて飛び退りました。やがてその冷たいのは菜優の肩口で止まり、にわかに口を―彼にそんなものはありませんが―開きました。


「そんなことはないですよ、ナユ。生き返る事は本当でも、それには色々ときついペナルティがあるので。ナユが彼女を救ったのは、間違いないと胸を張って良いですよ」


「何を余計なことを…ってアンタ誰よ!」


 菜優の肩口からひょっこりと、どぎつい緑のスライムが現れます。それを見たケルが、全身の毛を逆立てます。


「これはお初にお目に掛かります、見目に麗しいケル様。私、コアトルを名乗るしがないスライムでして、この流れ着き者の水先案内人を買って出ている者であります。以後、お見知り置きを」


「なんか、キモいんだけど。色々キモいんだけど!スライム風情が喋んなし!」


 突然の横槍を、ケルはキモいの一言で一蹴します。しかし、こんな罵倒で怯むコアトルでもありませんでした。何せ彼は、炎に焼かれ、何度も踏んづけられ、無視されて、今に至るのですから。


「うふふ。お褒めに与り、光栄にございますわ」


「褒めてない!キモいって言ってんの!」


 ケルにとってはキモいスライムでも、菜優にとっては、知識面におけるとても心強い味方です。


「んで、コアトル。ペナルティってなんなん?」


「ああ、そうですね。確かにモイラ様の紡ぎ、割り当てられ、そして断たれた運命の糸―つまるところ、寿命のことですが―が残っている限りは、いくら死のうと、この大地に生き返って来られるのです。這い上がり、などと呼ばれますが。ただし、タダで這い上がれるわけではなく、その時に幾つかの身体能力や、素質が犠牲となってしまう上に、非常に朦朧とした状態で這い上がってきてしまうのです。下手を打てば、そのまま何かに襲われて、もう一度命を落としてしまう事も、枚挙に暇がありません」


 菜優は、ここに流れ着いたばかりの頃の、あのうすぼんやりとした気分を思い出しました。前後不覚で立ち上がる事もおぼつかず、胃の中のものが迫り上がってくるような気持ち悪さに、何度も何度も襲われたのを思い出します。


「私があの洞窟で目を覚ました時の、あんな感じかな」


「ええ。おそらく同じでしょう」


「え。それ、めっちゃえらいやつやん」


 菜優は話すうちに、あの気持ち悪さが蘇ったような気がして、身を縮こまらせます。そんな菜優を尻目に、コアトルはひけらかすように話を続けました。


「左様。その気持ち悪さ、しばしば、這い上がり酔いと呼ばれるそれが起こるメカニズムについては、詳しい事はよく分かっていません。その時の元の自分の能力や素質と、それらが奪われた自分自身とのギャップについていく事が出来ない等、諸説はありますが、結局は仮説の域を出ません。神のみぞ…いやもしかしたら、神すら仮説止まりかもしれません」


「なんなのよこのクソ蘊蓄うんちくスライムは…」


 そんなどきつい緑のぶよぶよを、苦々しい顔でケルは睨みます。菜優も苦笑いを浮かべながら、そんな二人を交互に見やりました。


 せっかくこうして、出逢えた友達と、もっともっと関わっていたい。生き返られるとはいえ、あんなにしんどい思いは必要以上にはさせたくない。そんな二つの思いが、菜優をまた奮わせます。


 真っ向から説得しても、物で釣ろうとしても、きっと振り向かないだろう。万策尽きた気もしたそのとき、一つ、アイデアを思いつきました。どうにかなれと言わんばかりに、菜優はそれをぶつけていきます。


「ケルちゃん。私、ちょっと手伝って欲しいことがあるんやけど」


「何よ」


 思いの外、ケルは食いついてきます。言葉を慎重に選びながら、菜優は続けます。


「あんな。私らさ、またヴァレンタインの街までさ、帰らなあかんのやんな。やけどさ、私らは正直に言ってさ、モンスターとか野生動物と戦える能力はほとんど無いんやんな。やからさ、ヴァレンタインまでの街まででええからさ、ボディガードとしてついてきて欲しいの。もちろん、お礼は…うん、その道中のご飯を私が取ってくるってことで、どうかな」


 ケルの目を優しく見つめ、祈るような思いで菜優は提案します。一方のケルは、度肝を抜かれたような、呆れたような表情をしています。


「…アンタ、自分が何言ってるか分かってんの?」


「ん?」


「一介のモンスターをって言ってるのよ。愛玩や畜産を目的として飼うか、奴隷のように力で言うこと聞かせて使役するのが普通なハズのモンスターを、アンタはって言ってるのよ」


「それの何があかんのさ。私は道中の安全をケルちゃんに保証してもらう。そんで私は、ケルちゃんの代わりにご飯を調達する。WIN-WINの関係、ちゃんと出来てるやんな」


 言い切ると、ケルは緩やかに視線を伏せていきます。やがてにわかに肩を震わせると、大声をあげて笑い出しました。


「要は無理矢理従わせれば良いだけの相手とわざわざWIN-WINの関係を組むことがおかしいって言ってんの。それが理解出来るあたしもあたしだけど。いいわ、乗ってあげる」


 ケルが話に乗ってきてくれて、菜優は大いに安堵しました。そしてすかさずミルクをまた手に零して、ケルの前に差し出します。


「…何よこれは」


 ケルの訝しげな視線を相手に、菜優は胸を張って答えます。


「言うたやん。道中のご飯は保証するって。もちろん、今も含めて、やからさ」


「やっぱあんた、いけ好かないわ!」


 ケルの絶叫が、あたりに響き渡りました。


 

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