episode9 或る親と子の対話
オトマルク王国、王城の王の間。
その名の通り、国王ゲオルク・アンナ・フォン・オトマルクの公の居室であり執務の間でもある。
家臣達との謁見を終え、まるで護衛騎士のように彼に付く王太子である彼の息子と共に部屋に入ったゲオルクは、息子を残して人払いした後、受け取ったばかりの書簡を開く。
「まったく……私信といえど、余にこのような書簡を送りつけられるのはあやつくらいのものだ」
目を通し、愉快そうに苦笑しながら彼は、彼の息子へその手紙を渡した。
お前も読めといった父親の意を汲んで、王太子ヴィルヘルム・アグネス・フォン・オトマルクは渡された書面へと、武官組織を束ねるに相応しい鋭い眼差しを落とす。
その空色の瞳も、俯けた額にかかる金髪も父親譲りの兄妹共通の色であるが、兄妹各人の持つ雰囲気はまるで異なる。
特に父親似の美丈夫であるヴィルヘルムと、母親似の柔和で優しげな容貌をした彼のすぐ下の弟フリードリヒは対照的だと言われている。
ヴィルヘルムはたとえるなら雄々しい獅子だ。
「しかしこのような体裁であれば、万一届けられる途中で掠め取られたとしても、偽物を掴まされたと思うかと」
三年に一度届けられるその書簡の中身をヴィルヘルムが見たのはこれが初めてだ。想像の範疇を超えていたため驚いたが、同時に感心もした。
その書面はお世辞にも、大国を統べる国王陛下宛のものとして洗練されているとはいえない。
ひどい癖字でおまけに一体何処の地方かといった訛りの強い口語文。更には不敬なまでに馴れ馴れしい調子である。貴族にありがちな詩的に婉曲な表現なども皆無。
『我等が敬愛する国王陛下こと親愛なるゲオルク。
久しく挨拶出来ず申し訳なく思っとるがよ。
第一王子も第二王子も
さて
まー互いに
紙もそれほど上質なものではない。
いくら国王の名が冒頭に記してあろうと、これが本当に国王宛のものとは思われないであろう。
「あやつに偽装の気などあるものか。親しい者には本当にこの通りな奴だ。幼い頃お前も会っているだろう。大陸全土にその家系を広げる古き一族の本流である田舎貴族と」
「いきなりかの者の頭の上に抱え上げられましたが、かような言葉遣いではなかったと記憶しています」
「仮にも伯爵だ。外向きの振る舞いは一応出来る。普通の伯爵は国王の第一子を抱え上げはせんだろうが。あやつは己と知り合いの貴族の子に対し親族のオッサン気分だからな」
「父上が王太子時代に懇意であったのは知っています」
「一時、あやつ王城に教育に出されていてな。幼馴染という奴だ。フリードリヒの洗礼の祝いにも来ておるが、まだ赤子だあれは覚えとらんだろう」
「成程」
立派になられて大変羨ましい……と、おそらく記してあるらしき一文はそのような背景からであったかとヴィルヘルムは父親に生真面目な相槌を打った。
「……苦笑するところだぞ。まあいい。そろそろお前もあやつの人となりと扱いは覚えておくがよかろう」
「は」
「つかず離れず放っておく。それこそどの家にも満遍なく行き渡るようなもの以外、あやつに特別なにかしようとするな」
「かように気難しい相手ですか」
王国設立以前から存在している古い貴族の家系である。
大陸にある複数の国の均衡具合を正確に把握でき、探るだけでなく内々で調整も図れるなど、重臣に取り立てかつ褒賞もの。
しかしながら、己の家より歴史の浅い王家などに取り立てられても有難いものではないのかもしれない。
そのようなヴィルヘルムの考えを読み取って、ゲオルクは嘆息しながら首を振った。
「お前は四角四面に物事をとらえすぎる。フリードリヒがいるというのに」
この王太子の息子は、勤勉かつ真面目で優秀。
ゲオルクにとって自慢の息子ではあるが、少々常識的過ぎるところがある。
国を治めるにあたり支障はないだろうが、彼の常識の範疇から外れる者もいる理解があればなおいい。
弟フリードリヒなど格好の教材と思うが、そこは身内ゆえ特殊事例となるらしい。
残念なことだとゲオルクは思う。
正直、為政者として若干畏怖の感がある、あの強運体質な二番目の息子の真価はそこにあるというのに。
「逆だ。欲がなくしがらみを厭う。なにかしてやりたければ個人でなく、公的な施策として北の領に対して投資でもしてやれ。それが喜ぶし、また上手くやる」
「そうなると、フリードリヒの領分ですが」
「あやつの娘が秘書官として陰日向と尽くしてくれているらしな。任せればよかろう」
なんといっても娘であるから、その父の加減は十分知るところだ。そう言って、ゲオルクは不意に真剣さを増した顔で「ヴィルヘルム」と、彼の後継者である息子の名を呼んだ。
「エスター=テッヘンの機嫌を取る必要はない。だが拗ねさせるなよ」
「その気になれば、親族経由で周辺諸国へ情報工作が出来ないことはない家ですから」
「そうじゃない。そのような陰険さがあれば、今頃は奴かその一族が玉座にいる。そこは安心していい」
「では何故」
「尋ねてなにも教えてくれなくなる程度には、大人気のない臍の曲げ方はする」
「害はなさそうですが、面倒ですね」
「さては諜報部隊があるから構わないと思っているな?」
父親に問われて、ヴィルヘルムは頷いた。
周辺諸国に関する情報源はなにもエスター=テッヘン家だけではない。むしろかの家が占める割合など微々たるもの。
三年に一度届く、かの家の当主の見解の手紙くらいである。それが断たれたといってそれ程支障になると、ヴィルヘルムは正直あまり思えない。
「将来お前が座る椅子は、武官を束ね、国防や治安維持だけ考えてればいいのとは訳が違う」
「勿論」
「特に三年に一度の親族会議のあやつの見解は、あやつの親族の認識でもあり、あやつの親族を通じ他の諸国にも渡る」
「……」
「お前、この国だけが目隠しされ、疑心暗鬼に陥らず耐えられる自信が為政者としてあるか?」
それは非常に難しいことだとヴィルヘルムは思った。
同時に、この父にここまで言わせるエスター=テッヘン家が何故ただの田舎貴族でいるのか不思議に思える。
大体、三人いる娘の内二人は公爵家や侯爵家に嫁いでもいるというのに。
ヴィルヘルムは、すぐ下の弟がいたく気に入っているという、その三女のことも考える。
第二王子妃として取り込んでしまえば、いいのではないだろうかと。伯爵令嬢ではあるものの、その親族や古き家柄を考えれば、普通の伯爵家と同列に貴賤結婚とするのはあまり乱暴だ。
「念の為言っておくが、エスター=テッヘンに政略結婚の概念はないぞ。あそこは本人の意志と親族の祝福が重要だからな」
「ですが、三姉妹の内二人は」
「本人が幸せなら、鍛冶屋の嫁だろうが王家の外戚の嫁だろうが同等にめでたいとする家だ。たまたま公爵家と侯爵家が射とめただけ。絶妙に中枢と距離を置く家を選ぶがな」
ちなみにあの家は略奪婚も有りだとゲオルクの言葉に、言葉通り目を丸くしてヴィルヘルムは驚いた。そんな自由過ぎること貴族に有り得るものだろうか。
あまりに彼の常識で考える貴族とはかけ離れている。
「あまり野心的なのは好みではない点で、フリードリヒは当てはまらなくもないがな。しかしかの娘は、あれの為に疲弊しているとも聞く」
口ぶりからすっかり調べ上げていて、その娘に公的施策という褒美を任せろと言ったのかこの父はと、ゲオルクに対してヴィルヘルムは思う。
疲弊しているどころではなく、四十七連勤記録保持者。
おまけに醜聞になりかねないことを、フリードリヒに仕事の一環として乞われて応じている。
他の令嬢ならともかく、いや他の令嬢であっても弄ぶようなことはよろしくない。
そろそろ真意を尋ね、返答如何では厳しく諭し責任を取らせなければと長兄として事実関係の確認を密かに行っていた。
ところが、フリードリヒ周辺の者達から悉く「違う違う」「あの二人は驚きの白さ」「年頃の男女にあり得ぬ清さが気持ち悪い」「あの顔で側において、あれほど見向きもされないのはどうなのか」とまで、全力否定の証言が取れ困惑している。
話がかの令嬢に及んだため、弟を若干哀れに思いながらヴィルヘルムは父親にその旨を伝えた。
ゲオルクは、さもありなんと顎先を掴んで頷いただけであった。
「そもそもあれに令嬢が惹かれようか。あれの本来の気質は……」
「父上」
「そうだな。余と妃とお前とで構い倒して育てた、いまのフリードリヒだ。でなければ、かの令嬢も疲弊するまで尽くしはせんだろう。見守ってやれ」
「はい」
「しかし……」
途中で言葉を止め、その威厳ある顔を顰めたゲオルクに、なんだとヴィルヘルムは訝しむ。
「余と同世代でまだ子を作るか、あやつは……」
呆れを滲ませた父親の呟きに、そういえば手紙の後半に奥方が懐妊した報告が書いてあったことをヴィルヘルムは思い浮かべる。父親と同世代なら五十過ぎのはず。
「たしか奥方は私の三つ年上だったかと」
ヴィルヘルムは三十六歳。王太子になったと同時に結婚したゲオルクが十七の時の子だ。
彼自身も王太子となった二十一の際に結婚し、十五と十二になる二人の王子の父親である。
「お前の口から聞くと……娘でおかしくない妻か……」
「その言い方はどうかと。父上と母上は早婚ですから」
結果としていまの王家は、後継者問題に悩まされずに済んでいるが、ヴィルヘルムとフリードリヒは十も歳が離れている。
フリードリヒが産まれるまで、周囲の大人達の間で思惑渦巻いていた記憶がヴィルヘルムにはある。
まだ十五の若さで王太子妃になり、翌年王子をもうけた母はその重圧に参ってしまっていた。
いまやヴィルヘルムの下に弟の王子三人と妹の王女一人をもうけて仲睦まじく、威厳ある父を若干尻に敷いている母であるが若い頃は色々と苦労したようだ。
「父上の頃といまでは時代が違うと言われればそれまでですが」
「余と同じく、婚約者を早々にものにすべく立太子されたと同時に手を出し、結婚した時にはもう孕ませていたお前には言われたくないわっ」
「私は同い年でしたし二十一まで一応待ちましたよ。十五だなんてシャルロッテより下ではないですか、王太子妃には若過ぎる」
「煩い、時代だ」
昔は十を過ぎれば政略で婚約させられ、十五を過ぎれば即成人同様に扱われたらしい。
幼少期に若い父母の苦労をなんとなく見ていたヴィルヘルムは、個の部分では大変に家族愛の強い人間に育った。
特にすぐ下の弟フリードリヒには若干過保護な自覚もある。
「あやつ三十手前になっても相手を決めぬと思ったら、偶々王城にきた年に、デビューした令嬢で一番と話題の娘をかっさらっていった」
美味しいとこだけ持っていくような奴っておるだろ。あやつがそれだと父親がぼやくのを聞かされて、ヴィルヘルムは「はあ」と曖昧な相槌を打つ。
「フリードリヒではないが、田舎貴族と思えぬ顔の良さと妙な人徳がある男ではあるからな」
「娘は父親に似た者を好くといった言説を信じるなら、フリードリヒにも望みはあるのでは」
「さて? それはともかく、あやつにはなにか祝いを考えてやらねばなるまい」
そうゲオルクは言うと下がれと合図し、ヴィルヘルムは王の間を辞した。
(あの欲がなく自由気儘な弟と、かの令嬢をどう見守ったものか)
手紙の最後には、娘がよくして貰っているようで感謝する旨も記されていた。彼女の現状を知っているが故になにかの含みと思ったが、父親の話ではそのような回りくどさはない人物であるらしい。
(はっ、もしや令嬢も好意的なのか……? 家族にだけはその奥床しい心情を打ち明けているとか)
ヴィルヘルムは非常に常識的な感性の持ち主である。
第二王子である彼の弟に、かの令嬢が有り得ない悪態を吐きながらも粛々と献身的に仕える、社畜ならぬ宮畜であることも。
そんな彼女に、彼の弟が大いに新鮮味と好意を抱き構い倒して若干鬱陶しがられていることも。
しかし同時に懐は深い憎めない王子と、内心彼女に評価されていることも。
それらが絶妙な加減で、他者が入り込めない第二王子とその筆頭秘書官の関係を築いていることも、想像の埒外であった。
また個としての彼は大変に家族愛に厚く、弟妹達に対して平たく言えば、単なる兄バカ気質でもある。
(そうであれば、アルブレヒトやシャルロッテが言う通りに、ここは兄としてフリードリヒの背中を押すべきか……)
いまここに、彼が信頼しフリードリヒ付きにしている近衛班長がいたならば、「殿下はともかくマーリカ嬢は違う、落ち着け」と止めただろう。
しかしいないので、近く兄として弟と話そうと思いながら、長い廊下をヴィルヘルムはの彼の執務室を目指して歩くのだった。
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