episode8−2 しばしの間だとはいえ
「ああーもうっ、まったく休暇の気がしない」
「マーリカお嬢様?」
「あの方が王宮で、今頃何しているかと気になるし……」
怪訝そうに首を傾げて尋ねてきた、後ろに控えている侍女を振り返って、マーリカは再びゆるく首を振る。
(できるだけ何もさせずに済むようにしてきたけれど、なにかやらかしてるのじゃないかと思うと……こちらの斜め上をいく人だけに!)
はあっ……と心労のため息を吐くマーリカであったが、いまの彼女は激務に疲弊した文官令嬢ではなく、どこか憂いを帯びた美しさの伯爵令嬢の姿である。
王宮の文官の勤務環境の劣悪さなどまったく知らない、行儀見習いで伯爵家のお世話になっている、お年頃の町長の娘の侍女からすれば、王城などきらきら華やかなイメージしか持っていない。
おまけにお嬢様がお仕えしているのは、雑誌で見たこれまたきらきら眩しい第二王子殿下といった、大衆向けの情報だけである。
(さっきからため息ばかりついて……まさか! いいえ間違いない。恋、恋だわ! あのマーリカお嬢様がついに! けれど相手は王子。たしか公爵家の御令嬢がどうのと噂も……マーリカ様は王宮からも遠い領地の伯爵令嬢……ああでもでもでもでもっ、恋する二人にそんなことは関係ないのよ。身分差だわ! ロマンスだわー!)
「切ないですわね。マーリカお嬢様!」
「は?」
(切ない、切ないとは? ああそういえば、散歩している間にお茶の時間も過ぎたし、少し小腹は空いたかも)
なにしろ大市を模した土産物通りだ。
周囲には菓子や産直品を加工した食べ物などが目白押し……食欲をそそられるいい匂いも漂っている。
いけないいけない、ここは殺伐とした王宮の廊下じゃない。
伯爵家の娘として、行儀見習いで受け入れている町長の娘さんに令嬢として気を回さなければと、マーリカは近頃若干忘れつつある令嬢の振る舞いでにこりと彼女の侍女へと微笑む。
「どこか、カフェでお茶でもしましょうか。貴女も一緒に」
「はい。わたくしでよろしければマーリカ様のお話を聞かせてくださいまし」
(田舎だからなあ、
歩きながらマーリカは、心なし目をきらきらさせている侍女の期待に応えられそうにないのはどうしようと思いながら、適当に温かいものを出してくれそうな店を探す。
こういったのは、何故か王族で城からそうめったに出ることはないはずのフリードリヒが得意だ。
これまで散々視察ルートをそれで変更させられて、しかし彼が選ぶ店はどれも“大当たり”なのである。
(ほんっと解せない。行く先々の街の通りに何故地元民顔負けで詳しいのかあの方は。視察先に関してはまるで無知なのにっ。そもそも王子の趣味が下町美味探求ってさっぱり意味がわからない。王都
秘書官であるマーリカを連れの令嬢のように同じテーブルにつかせるのだから、一歩間違えたら公共の場で
いまのところそのような
(同志と思っていたのに、人を売るとは……近衛班長とその部下達め!)
「ああでもそうか。こちらの都合はお構いなしに、殿下が聞かせてくるようなことなら……」
社交界では多くの令嬢方と親しいと聞くし、手紙のやりとりも多いだけに、女性好みの流行にはやたら詳しい。
休暇前も……と、歩きながらマーリカは王宮でのやりとりを回想する。
人が無茶苦茶忙しいのに、執務机で暇そうに私信の手紙を読んではあれこれ話しかけてくる、そうしたことの一部であった。
『ねえ、マーリカ。休暇は明日からだよね?』
『はい。明日から実家へ戻ります。流石の鶏でも三十回以上同じことを聞かせれば、少しは理解すると思いますが?』
『王子を鶏扱いしないのっ』
書類から目を離さずに軽く嫌味のつもりで言えば、もーっと若干ふくれた声がしたため、少々口が過ぎたかと手を止めて彼を見れば、予想に反してにこにこしていたので騙されたと内心舌打ちしたのだった。
『……残念ながら鶏以下かと。なんですか?』
『マーリカは本当、私を悪様に言う言葉のバリエーション豊かだよね……感心しちゃうよ』
『なに感心してるんですか、そこは怒るなり正すなりするところです。いますぐ解任いただいても一向に構いませんよ。ええ一向に』
近頃の割と本心である。
『ええー! “お側を離れるなど家名に賭けてあり得えません”とか言ってたのに!』
『殿下がお望みなら別です。他部署からの打診ならいくらでもいただいておりますし』
『ちなみにそれ、どこ』
『握り潰せる側の人に教える馬鹿がどこにいます』
『あ、握り潰すと思ってくれてるんだ! そっか』
まさかしないとは思うものの、それが出来る立場の人ではある。
それにどうも最近、重宝されてるというか使い勝手のいい人材扱いされている気もする。
そんな思いが、休暇前の余裕のなさから表情に出てしまい、ついじとっとした目でフリードリヒを見つめてしまったマーリカだったが、何故か彼は明らかにうれしげに表情をぱっと明るくした。
本当に、この人の感性は丸一年側にいてもわからないとマーリカは思う。
『なにをうれしそうにして……強権を誇示したい冷酷無慈悲な為政者ですか』
『違うよ、失礼な! まあいいや。丁度、知人の令嬢経由で頼んだものが届いたから。これ伯爵夫妻や姉君に』
そんな流れで、家族への手土産にと人気仕立屋の“マダム・ソワ”工房製の美しい刺繍がされた絹のハンカチの包みを渡された驚きに、唖然となってそれを受け取ったマーリカであった。
なんでもいま王都住みの令嬢の間で刺繍小物が流行っていて、その流れは紳士物にも来ているらしい。
思い返すとフリードリヒは、弟妹君へ差し入れしたりとか、大臣達の誕生日だとか、付き合いのある貴族の子女へ季節に応じたカードを送るだとか、そういったことにはやたらまめまめしい。
外交業務や文官の業務調整にも、それくらい気を配っていただきたいものと、常々思っているマーリカである。
フリードリヒも王族の一員であり、そのような彼の行為は、国王陛下が家臣の皆に満遍なく気遣いしていることを代弁するものと理解はしているが、どうにも釈然としない。
『あ、マーリカの分も入っているから!』
『……ありがとうございます』
(やれば出来るっていうところが腹が立つというか、素直に喜べない!)
「それがこちらのハンカチですか。確かに素敵ですねえ」
「それはまあ……王都の高位貴族の令嬢達がこぞってドレスを頼む仕立屋ではあるから」
「お話しを聞くに、仕事を邪魔される、素直に喜べないと怒ってらっしゃるわりには、こうしてちゃんとお持ちなのですね」
本家より栄えている分家の親族が多いから、彼らに見合う持ち物ということでたまたま持っていただけなのに、なにやら意味ありげなにこにこ顔で侍女に言われて、せっかく温かな暖炉のあるカフェの席に落ち着いたのにマーリカはなんだか居心地の悪さを覚える。
「うふふ。なんだかんだ言いながら、第二王子殿下のお心をマーリカお嬢様はわかっていらっしゃるのでしょう?」
「は?」
「大丈夫です、みなまで仰らなくてもマーリカお嬢様の侍女として、お嬢様のお気持ちはわかっております!」
「はあ……」
どういうことだろう。しばしの間とはいえ、離れている間になにかやらかしたらシバくと思っているのが丸わかりなほど、自分は彼に苛立っている様子を見せていたのだろうか。
領地にいるから気が抜けてる? 帰ったら気をつけなければと思いながら、熱いお茶のカップをマーリカは傾ける。
マーリカとテーブルに置いた、彼女のハンカチを交互に見てはうんうんとなにやら興奮して頷き、せっかくのお茶を放置している侍女へマーリカは声をかけた。
「お茶、冷めてしまわない?」
「ああ、そうですわね。どなたに聞かれるかわかないのにこれ以上は、お茶と一緒に言葉を飲み込むしかないのですわ。けれど、こんな刺繍の入ったハンカチを頂いたら誰かに話したくなりますものね!」
「こんな刺繍……」
「たった二週間の休暇だというのに、勿忘草だなんて! きっと殿下はいまごろマーリカお嬢様がお戻りになるのを一日千秋の思いでいるのですわ!」
「え…っ、なっ……ああっ」
言われて、はたとマーリカは気がついた。
少しばかりフリードリヒの瞳を思わせる、美しいブルーの濃淡で刺された五枚の花弁を持つ小花。
それを全面に散らすハンカチとしかいまのいままで思っていなかったけれど、よく見ればその小花の刺繍はたしかに勿忘草の花である。
主には恋仲同士で使い古され過ぎている、その花言葉といえば……。
「マーリカお嬢様?」
「……本当にあの方ときたら。こんな回りくどいことまでせずとも」
しばしの間だとはいえ、あの目を離せば斜め上のことをしでかす無能殿下を忘れて休暇を満喫など、彼の秘書官である以上できるわけがないし、例のいたく御所望のお土産菓子だって買い忘れるはずがない。
みくびってもらっては困る。
そもそも、休暇中まで、“自分のことを忘れるな”などと重すぎる。
こんなのは優位性を背景にした
「それは殿下のお気持ちというものですわ、マーリカお嬢様」
「ええ、たしかに
(王家からの伯爵家への心遣いに差し込むあたり、巧妙というか悪知恵というか、寂しがりやの甘えたな子供かっ。たった二週間の留守番も不服な御歳二十六の王子って……人事院を気にして多めの日数で申請したし、早く戻れと仰りたいならそう言えばいいのに)
「今日来る従兄弟と合流したら、伯母様や叔父様方のわたしの縁談組みたい欲も落ち着くだろうし、一日帰るの早めようかしら」
(しばしの間だとはいえ、休暇に入る前からこんなの仕込んでくるあたり、さっさと帰らないとどんなことになっているやらわかったものじゃない)
「まったく世話の焼ける……」
「左様ですか」
(マーリカお嬢様ったら、こちらには“戻る”で、王宮には“帰る”だなんて。マーリカお嬢様にとってはすっかり第二王子殿下のもとが“帰る”場所になっているのだわ)
嘆息しながら呟いたマーリカの言葉に、何故か彼女の侍女はうふふとうれしそうに笑っている。
王子の我儘に振り回されるというのも、この田舎で平穏に暮らす者にとっては面白い話なのかもしれない。
まったく面白くないのに……と、マーリカはテーブルに突っ伏したい思いで、ハンカチに刺された花へ目を落としたのだった。
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