episode7−2 ここにいない彼女を思う

「あら、マーリカ様は優秀なだけではありませんわ」

「ん? シャルロッテ?」

「マーリカ様より麗しい文官なんて、王国中探してもきっといませんもの」


 はあっ……と、ため息をこぼして。

 組み合わせた両手を左頬に添え、うっとり夢見るような表情になった妹シャルロッテに、ちょっと待てとフリードリヒは思わずつっこむ。


「執務で接点のあるアルブレヒトはともかく、どうしてシャルロッテまでマーリカを知ってる口ぶりなの?」

「まあフリッツ兄様ったら。いま王宮デビューしたての若い令嬢の間では、マーリカ様こそ理想の御方と大人気なんですのよ」


 金髪碧眼は兄妹共通の色素である。

 くるくるとした金色の巻き毛をツインテールに結った妹が、口元を押さえて、小さな顔の中で目立つ大きなアーモンド型の目を見開いて教えられたことにフリードリヒは二度驚いた。


「ええっ、なにそれ! 令嬢の文官と舐められたくないからとかいった理由で、たしかにマーリカは男装姿で仕事してるけど、マーリカは女性で伯爵令嬢だよ?」

「それが素敵なのではありませんか! マーリカ様は背も高くすらっとしてますもの」

「シャルロッテ……?」

「黒髪黒目できりりと涼やかな様子でお仕事されているお姿を見てしまったら、夜会で出会う下心丸出しな殿方なんて薄汚く見えます」

「薄汚いって……」

「あーまあほら、兄上と一緒だとすごい目立つから」


 近頃、エスター=テッヘン家の美人姉妹の最後の一人は、どうして社交の場に出てこないのかとフリードリヒに聞こえるように話す貴族男性が増えているというのに、令嬢達にまで人気なのかと彼は内心もやもやする。

 また、アルブレヒトの言葉も少しばかり気になった。


「僕とマーリカが目立つ? ただ廊下を歩いてるだけなのに?」

「二人とも……自分達の破壊力をもう少し自覚した方がいいと思うよ」

「人より多少見目がいい自覚はあるよ。でもそんなの、アルブレヒトだって私と似たようなものだろ。同じ髪と目の色をした兄弟なんだから」

「いや、僕は愛嬌ある系で全然違うから」

「そうですわ! フリッツ兄様は、お顔とお姿だけは神に愛されし素晴らしさですもの」

「シャルロッテ、それ、私が容姿以外はまるで取り柄がないみたいに聞こえるよ」


 でも、そうかー、そうなのかーと。

 弟と妹の言葉を聞いて、フリードリヒは腕組みして俯きうーんと唸る。


「当分、マーリカは私の執務室から出ずに仕事してもらおうかなあ」

「やめて。それ文官組織全体が困るから、本当にやめて。兄上は暴動でも起こしたいの?」

「そんな怖い顔しなくても」

「あとそれ完全に職権濫用だから。立場の優位性を利用して閉じ込めて迫る破廉恥事案セクハラだから」

「執務室で仕事してもらうだけじゃないかっ!」

「兄上っ! 秘書官の詰所からマーリカの席だけ自分の執務室に移動させてるの! あれだって見ようによっては灰色寄りの黒ですからね!」

「厳しいな……」


 五つ年下の弟に思いがけず強い口調で注意され、フリードリヒはしゅんと縮こまって、一口サイズのマドレーヌを摘んでリスのようにもそもそと食べた。

 今朝、マーリカの実家から届いたもので、弟妹への手土産として持ってきたものだ。


「はあ……叱られるならマーリカがいい」


 フリードリヒお気に入りの秘書官は、珍しく二週間の長期休暇中だ。

 三年に一度の親族懇親会があるとかで、どうしても彼女の実家であるエスター=テッヘン家の領地屋敷に戻らねばならないらしい。

 分家筋の者達も集まるその場に出られないとなれば、大変なことになると訴えられた。

 日頃、休みどころか四十七連勤の記録保持者である彼女がそう言って、実際に休みを申請するのだから余程のことだ。

 そもそもエスター=テッヘン家の親族は権力の中枢とは距離をおくものの、近隣諸国の王侯貴族と縁付いている者が多い。

 本家は一地方の伯爵領主で、資力もなければ中枢への影響力も低い、弱小伯爵家ともいっていいような家ではあるものの、家系図を正確に描けば大陸地図に載る国の大半にまたがるといった、王国設立以前から続く由緒正しき古き貴族の家系である。

 そのような家の貴族令嬢が連勤の記録保持者というのは、王宮の法令遵守コンプライアンス的に問題と大臣の間でも懸念されていたため休暇はすんなりと認められた。

 

「マーリカが戻ってくるまで、まだ七日もある」

「兄上……」

「お寂しいのはわかりますが、フリッツ兄様元気だして」


 マーリカが不在で意気消沈気味なフリードリヒを、彼の弟妹が慰める。

 そもそもこの兄妹で過ごす茶会も、彼を元気付けるため、アルブレヒトとシャルロッテが開いたものであった。

 王族としては色々とアレなフリードリヒではあるものの、弟妹のところにひょっこり顔を出しては楽しい話を聞かせ、珍しいお菓子などを差し入れてくれる良き兄ではある。

 なによりこの兄を見ていると、その時々で悩んでいることや王族として生まれたことに重圧を感じることがあっても、なんでもないことに思えて心救われる。

 

「ああっ、あの地を這う虫を見るような蔑みの眼差しが、第二王子である私を容赦なく叱責する声が恋しい」


 本当に、王族としてはアレな感性の持ち主なのだけれど――。


「まっ、激しい」

「……兄上達は、一体どういう関係なの」

「ん? どういう関係って。第二王子と秘書官に決まってるじゃない」


 ――はっあぁあ!?


 弟妹だけでなく、部屋の隅に控えるフリードリヒの護衛騎士や一部侍従や侍女の声までもが重なった異議の声に、えっなにとフリードリヒは首をきょろきょろと動かした。


「兄上っ!」

「はいっ」

「頻繁にっ、私室に連れ込んでいるくせに、なにを今更取り繕って!」

「そうですわ! こと恋愛では潔癖過ぎるフリッツ兄様が、既成事実を積み上げ囲い込みにかかるなんてと驚いてましたのに!」

「え、なになになになにっ、なんなの君たち! 兄のことをそんな目で見てたの!?」


(そんな目でじゃなく事実そうだろ――――!!!!)


 突然、弟妹から詰め寄られ驚いたように喚いたフリードリヒの言葉に、室内にいる全員の胸の内の叫びがぴたりと一致する。

 一般貴族はそうおいそれとは入れない、王族の私的プライベート区画であるから公にはなっていないものの。

 フリードリヒが自身の部屋に夜遅くにマーリカを招き入れ、朝まで共に過ごしていることはこの部屋にいる者の間では周知の事実。

 それなのに、一向に王子妃候補にも挙げようとはしない。

 もしやフリードリヒがマーリカをただ弄んでいるだけなのではと、関係者一同、気を揉んでいる状態であった。


「いやっ、いやいやいやいやっ! 仕事だから!」

「兄上! 失脚した大臣じゃあるまいし、“夜の特別任務”なんて下衆な言い訳を口にするとは!」

「特別手当は出してるけれど、違うって!」

「まさか愛人契約ですの!?」

「ちーがーうーっ! 私の仕事が全部終わるまでマーリカが監督してるだけ! たまにボードゲームの相手もしてもらっているけれど本当にそれだけっ! 君たち、全員、心が汚れてるっ!!」


 立ち上がって廊下にまで響きそうな声で叫び、テーブルに手をついてぜえはあと肩で息を吐くフリードリヒの様子に、室内がしんと静まり返る。

 

「神とオトマルクの全臣民に誓って、マーリカに対して……邪なことなど……」


 項垂れたまま、ふるふると体と声を小刻みに震わせて呟いたフリードリヒに、「純愛っ」とシャルロッテが口元で手を合わせて目を潤ませ、「兄上、ごめん……」とアルブレヒトはそっと声をかける。


「そんなの絶対、破廉恥事案セクハラで訴えられるやつ――っ!」


(――そっちかっ!)


 しかしながら、“神は我が国と共に”を国の標語として掲げるオトマルク王国において、神と全臣民に誓うとは、それはもう大変に重い言葉である。

 それがなくても、お前は十やそこらの純情少年かといったフリードリヒの反応に、誰しもが二人の関係は完全に白。

 むしろ驚きの白さと認定したのであった。


 ******


「はーもう。君たちにはびっくりさせられたよー」


 マーリカ怒らせたら怖いんだよ。三日くらい仕事以外には口聞いてくれないし、お茶は入れてくれるけどお菓子は平の秘書官の部屋に隠しちゃうし、書類整理手伝ってくれないし、会議の時間もメモで渡してくるんだから……と。

 侍従が入れ直したコーヒーを飲みつつ、フリードリヒがぼやくのを、彼の弟妹は無の気持ちになって聞いていた。


(それって別に普通では? いつもどれだけ甘やかされてるんだろう……)


「謝ったら謝ったで、“王子が家臣に簡単に頭を下げては困ります”って、これも紙に書いて突き出してくるんだよ」

「はあ。マーリカ様って、見かけによらず可愛らしい怒り方をなさるのですね」

「“コロス、絶対コロス”って殺気に満ちた目をしてくるけどね」

「……それで。そういった時、兄上はどうなさるんですか?」

「ん、別に?」

「別に?」

「しばらく真面目に仕事してたら、いつの間にかいつも通りになってるから……今頃なにしているのかなあ彼女」

「気になるなら、手紙でも書いて送ってみたら?」


 なんだかもうこの兄を元気づかせるとか段々馬鹿馬鹿しくなってきたと、シャルロッテと目配せで会話しながら、アルブレヒトが提案すれば、手紙かと思案げにフリードリヒは顎先を掴んだ。

 そうして黙り込むと、諸外国がそうだと信じ込んでいる、深遠な考えに耽る高貴な王子に見える。

 本当に我が兄ながら、質の悪い容姿の良さだよなこの人とアルブレヒトは思った。

 

「なにを書こう」

「マーリカ様を思う、フリッツ兄様の胸の内をお書きになったらよろしいのでは?」

「うーん、それだと“早く帰ってきて欲しい”の一言以外にないし。私がそんな手紙を送ったら業務命令になってしまう」

「変なところで気を遣いますのね」

「そりゃあ、やっぱり上官だから」

「僕は兄上にそんな感覚があったことにいま驚いてるよ」

「失礼な。私だってたまにはマーリカにゆっくり休んでもらいたいと思っている」


 ふいっと、少し前まで外を眺めていた窓辺へと視線を送ったフリードリヒに、あっとアルブレヒトとシャルロッテは気がついて顔を見合わせた。

 あの窓の方向。ずっと遠い先にはエスター=テッヘン家の領地がある。


「親族で温泉保養地を視察するとか言っていたけれど……北の方だし寒いと思うんだよねえ。風邪引かないといいけど」

「フリッツ兄様、わたくしお兄様を応援しますわ」

「ん?」

「……まあ、彼女が不在の間、僕にできる仕事があったら言ってよ」

「あ、うん。社交期間も終わったし、マーリカが呼び戻されないよう平の秘書官達がすごい頑張ってくれてるから暇だけどありがとう」


(僕たちで家族の外堀は埋めよう)

(そうですわね)


 そう頷き合う弟妹の様子には気に留めず。

 休暇に入る前に約束した、温泉保養地名物の蒸しパンのお土産忘れてないよねマーリカ……などと考えているフリードリヒなのであった。

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