episode6 公爵令嬢は画策する
実りの秋。豊穣祭シーズンな王都リントン。
街を高台から見下ろす王城やそこへ出入りする貴族達もまた、社交シーズンの締めくくりに向けて、名残を惜しむかのごとく静かな盛り上がりを見せていた。
次の社交の季節まで王都を離れる間、己の立場を固めておきたい者。
ぎりぎりまで情報収集に勤しむ者。良き相手を得ようと努力する者。
それから――。
「――フリードリヒ殿下」
その庭は小さく区切られた場所ではあるものの、よく手入れされ、年中季節の花を咲かせ欠かすことはない。
何代か前の王妃が愛したという、いくつかある中庭の中でも奥まった位置にある王家の中庭であるがゆえに、立ち入ることが許されるのも高位な者に限られる。
たとえ私的な会であっても、王家の格式を持って美しく調えられているお茶の席に招かれたこの令嬢のように。
ほっそりとした白い指先が動き、香り高いお茶の入ったカップが優雅で淑やかな仕草でテーブルに置かれる。
オトマルク王国の五大公爵家が一つ、メクレンブルク家の令嬢。
クリスティーネ・フォン・メクレンブルク嬢。
家柄、資質、容貌、その立ち居振る舞いにおいて第二王子妃候補として申し分ないとされる令嬢は、その薄い紫色の瞳を微笑むようにわずかに細めて自分をこの席に招いた青年を見た。
夢見る令嬢が理想の貴公子を思い描けば、おそらくこうなるだろうといった。
金髪碧眼、見目麗しくも優しい様子でいながら、高貴なる威厳も感じさせる。
フリードリヒ・アウグスタ・フォン・オトマルク。
本来ならば気楽な第二王子妃として結婚相手としては人気筆頭となるはずが、「絶対そのお世話に苦労する」、と。
高位貴族令嬢達の間で、“
「何故、そこでエスター=テッヘン嬢に口付けの一つもしなかったのですっ。話の流れ的にもせめて手の甲くらいいけたはずです!」
意中の女性を私室に招いて、ボードゲームの最中に口説き文句を言い、相手の手まで取っておきながら、まったくの不発に終わっただなんて信じられない。
お茶会と称し、人を呼びつけて聞かせてきた話がこれかとクリスティーネは呆れるばかりだった。
「それは――
「
はあっ、と息を吐き。
公爵令嬢らしからぬ語気でクリスティーネはフリードリヒに言い返すと、テーブルに置いた白蝶貝の扇を広げて口元を隠した。
「失礼いたしました。あまりに殿下がへたれ――歯痒いことを仰るので、つい」
「君、相変わらず
「そんなことは。わたくしは殿下の
「君の、意地でも第二王子妃候補から外れたい姿勢は、私も尊重したいのだけどね。恋仲の騎士の君は?」
「目下、わたくしに釣り合うべく精進しております」
「噂では辺境伯の養子になるとかならないとか」
「噂ですわ」
フリードリヒの言葉をクリスティーネはさらりと流す。
たぶん引き合わせる工作をしたのだろうなと、フリードリヒに思われていることは百も承知だ。むしろそれぐらい思ってもらうくらいで、彼女の本気も伝わるというものである。
(悪い人ではないのですけど。なにぶん王族としては変わっているというか、やる気がないというか、見込みがまるでないのですもの)
高位令嬢達の情報網を侮ってはいけない。
配偶者によってその身が左右されてしまう彼女達は、王宮内の噂ならどんな小さなものでもしっかり把握し共有している。
深謀遠慮を要求される文官組織を管轄するオトマルク王国の第二王子が、考えなしな言動と執務へのやる気のなさで、文官達から“無能殿下”と揶揄されていることはもちろん。
その傍に付き従い、彼を献身的に支える、麗しい男装の文官令嬢のことも。
「……辺境伯の跡取りとなれば、メクレンブルク公も説得しやすくなるだろうね」
「人のことよりご自分のことです、殿下。社交の場に出てらっしゃらない方とはいえ、エスター=テッヘン嬢は由緒ある伯爵家のご令嬢ではありませんか」
「そうだけど、伯爵家は伯爵家だから」
しょんぼりとお茶を啜るフリードリヒに、「だからなんですの、まったく」とクリスティーネは内心憤る。
(どういうわけか、ご自分で選ぶのではなく、誰かによってしかるべき相手が決められるのだろうって、変に達観なさってるのよねこの王子)
「エスター=テッヘン家といえば、分家の方々は周辺諸国の王族や高位貴族と縁付いているではないですか。本家だって三姉妹の上二人の方は公爵家や侯爵家に」
「絶妙な加減で、継承権争いや権力の中枢とはちょっと距離を置いた立ち位置なところばかりだけどね」
「言われてみれば……お姉様の嫁ぎ先の公爵家も、五大家の次。当主様は普段は王都から遠いご領地にいらっしゃる方ですね」
「縁付いて利益になるというには弱いんだよねえ。それにしても、君、調べたみたいに詳しいね」
「まさか。たまたま耳にしただけですわ。殿下の秘書官として大変優秀と評判ですもの」
無能殿下と呼ばれていても、そこは王族。
婚姻が一個人のものと言い切れない立場であることは、ちゃんと頭にあっての達観であるらしい。
たしかにフリードリヒの言う通り、政略結婚というには微妙なものがある。
王宮とは疎遠でこれといった資力も力もない伯爵家の令嬢を、王子妃候補に押し上げるには弱い。
「逆を言えば、穏便に周辺諸国の高貴な家系と繋がりを持てるということではないですか?」
クリスティーネは言葉を選んで、フリードリヒをけしかけてみる。
彼は第二王子であるし、王太子は確定していて後継者問題に関して王国は憂いがないのだから、少しばかりの我儘は言えば通りそうなものだ。
とにかく、彼女を含めた高位令嬢達の意見は一致している。
「わたくしもお友達の令嬢達も、本当に殿下の幸せを願っておりますのよ」
エスター=テッヘン嬢以外に、フリードリヒ殿下をお世話できる方などきっといない。二人が結ばれてくれれば心置きなく結婚相手を探し、または意中の人との仲を深められる。
なにしろ王子妃候補となれば、確定するしないにかかわらず候補の間はすべてにおいて身動きが取れなくなる。
それに美貌の王子と、男装の麗人な秘書官。
二人が寄り添っている姿は、ちょっとした目の保養だ。
(権力的には微妙でも、高貴な家と縁付いてきたエスター=テッヘン家って美形や美人の家系としては有名ですもの)
「そう言うけどさ……血筋というか、長年生き延びてきた古い家系の本能で適度に当たり障りない相手を選ぶ感じがしない? 王族の直系なんてもってのほか、対象外って気がしない?」
「馬鹿馬鹿しい」
(それならフリードリヒ殿下だって、当たり障りないに該当しそうなもの)
「どうしてそうご自分の人生を、人任せ、なにもかも王子であるがゆえ仕方ないとするのです」
もし仮に、この場にフリードリヒの筆頭秘書官がいれば全力で否定しただろうが、立場が変われば見方も変わる。
クリスティーネから見てフリードリヒは、くだらない欲求は主張するものの、ご自分の人生については第二王子の立場に従順すぎるほど従順だった。
「だって王子だもの」
「はい?」
「こうして綺麗な庭で暢気においしいお茶を飲んで過ごせるのも私が王子であるからで、私はなるべく暢気に楽に人生を送りたいしそれが許される立場でもある。その代わり王子として生きなければさすがに天罰がくだると思う、王子であるわけだし」
ティーカップを口に運びながらのフリードリヒの言葉に、殿下……と、思わずクリスティーネは彼に呼びかけた。
「なにを仰っているのか、さっぱり意味がわかりません」
「うん。私も途中からなんとなく雰囲気で喋ってた」
(絶対、この方を一生そばで王子妃として支えるなんて無理!)
「とにかく」
「ん?」
「殿下はもう少し思い切りよく攻めるべきかと存じます」
(殿下では埒があきませんわ……やはり周辺、外堀から埋めるのがよさそうですわね)
話が通じそうな大臣は何人いただろうか、などとクリスティーネは考えながら令嬢らしく微笑みつつ、扇をふたたびテーブルに置いて、ティーカップを口元へと運ぶのだった。
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