第1話チャプター3 「つまずいて、起き上がって」3

『おわらない、おわらない、フィル、絶対ゆるさない。眠い』

 断想再生機からは無機質なレスリーの声が再生されていた。

 フィルは工房で改良された断想再生機を使用していた。

 これで当初、フィルが思い描いた完成形に通りになった。

 そのはずだが、

「うーん」

 フィルは物足りなさを感じていた。

 これは確かに自分が考えていた形だ。

 残留魔力を使った音声再生というやりたいことは出来ている。

「あのー。ひと言いいですか?」

「言ってみろ」

「自分の声とはいえ、ここまで棒読みだと気持ち悪いです」

「それなんだよなー」

「でも、もう時間もないんですよね。あと一週間ですよ? そろそろ何かしら解決策を出さないと、間に合いません」

「それもわかっている」

 日数がもうないのはわかっている。

 問題は、声に抑揚がないことだ。

 ただの棒読みの声を聞いても、不気味なだけだ。

 音声の抑揚を制御する方法を考えてはみたが、それを感情と連動させることの難易度が高すぎた。

 それを解決する方法がまるで出てこない。

 ただ、解決策を相談する宛てに心当たりがないわけじゃない。

「……仕方ないか。レスリーちょっと出てくる」

「え……はい。いってらっしゃーい」

 レスリーの戸惑い混じった見送りの言葉を背中で受けて、フィルは工房を出た。

 目的地はマリスがいる、黒猫の住処だ。

 ツタが絡まる外壁に猫の看板。

 ドアを開けて、中に入る。

「マリス」

 呼びかけても反応がない。

 店の奥まで行くと、マリスが寝息を立ててカウンターに突っ伏していた。

「マリス!」

「うわぁ、びっくりした!」

 居眠りをしていたマリスが飛び起きた。

 彼女は左右を見渡して、正面にいるフィルに視線を向けた。

「どうした?」

「相談にきた」

「奥いく?」

「ここでいいよ。――マリスは音魔法をにおける声の抑揚制御方法を知ってる?」

「それは知らないわよ」

 当然でしょ?といった声音で、マリスは肩を竦めてみせる。

「だいたい私に聞かなくてもわかってるでしょ。そういうのが得意なのは誰かって」

「……ラピズ・アレキサンドライト」

 出来ることなら頼りたくない魔法使いの名前だ。

「あの子ならあなたが求めるノウハウを知ってるわよ」

「あのラピズに頼みごとする意味はわかっていってるよな?」

「そうよ。フィルが想像するようなことが起きる」

 マリスの言葉に天井を見つめて、大きく溜息を吐いた。

 数秒目を閉じて、覚悟を決めた。

「行くしかないか」

「そんなにラピズが苦手? 私やラピズはアルスハイム翁が健在だった頃からあんたを知ってるんだし、いい加減慣れたら? この街にいる二人の魔法使い両方に面識があって、それなりに親しいあんたはレアなのよ?」

 マリスが言うように、フィルは自分が幼い頃からマリスとラピズに面識がある。幼い頃にジェームズの作業を見ていると、彼に連れられて二人の魔法使いとよく会っていた。

 記憶の中のマリスとラピズは、今も変わらない。

 魔法使いは長寿だからこそ、ある時点から外見に老いが見えることがなくなる。

 マリスだって、二十代そこそこ見えるが、実際はその何倍も生きているのだろう。

 実年齢については、怖くて聞いたことはないが……。

「一応、私からラピズに話はしておくから屋敷ぐらいには入れるだろうよ。その先どうなるかはお前次第だ」

 マリスに礼を言って、黒猫の住処を後にした。

 アルスハイム工房の二階は、アストルム、フィル、レスリー、それぞれの部屋がある。フィルの部屋は二階に上がってすぐのところだ。自室の窓の外は、すっかりと日が落ちて夜を迎えていた。

 整理された部屋の一角には、魔法理論やアーティファクトに関する論文が多数収納されている棚がある。その棚には鍵が掛かっている引き出しがある。

「はぁ……ラピズ相手じゃ、使うしかないよな」

 引き出しの鍵穴に鍵を差し込んだが、鍵を回すか悩み、その手を止めた。数秒悩み、鍵を回した。

 ガチャリと解錠された音が静かに響いた。

 引き出しの中を確認する。

 そこには黒に染まった手のひらほどの大きさの箱と、一つの指輪が入っていた。箱を手に取ると、フィルはそのまま庭へと足を向けた。

 深呼吸すると、夜の凛とした空気が肺を満たした。

 フィルは適当な場所でしゃがみ込むと、夜色の箱をそっと置いた。

「夜染(よぞ)めの箱、展開」

 フィルが箱に命令すると、箱の上部が開いた。上部が開いたことで、箱の中を確認することができるが、箱の中を見ることができない。いや、正確に言えば、箱の底すら見えず、暗い何かがあるだけだった。

「……一晩で十分かな」

 箱の動作を確認して、フィルは空を見上げた。

「フィル」

 声がするとアストルムが、こちらを覗き込んでいた。

「隣、いいですか?」

「見ての通り空いてるから、どうぞ」

 アストルムはフィルの隣にしゃがみ込んだ。

 空色の髪から、甘い香りがする。

 ちらりと横目でアストルムの端正な顔を見る。

 これから自分が言うことを、アストルムの顔を見ながら言える自信がなかった。

 それでもアストルムに頼むことしかできない。

 しかし、こちらの言葉を口にする前に、彼女が口を開いた。

「今回のライラ様の依頼を請けてからずっと感情について考えていました。やはり分かりませんでした」

 それを聞いて、フィルは理解した。

 彼女はずっと悩んでいるんだ。

 自分が理解できない『感情』というものについて。

 フィルも自分の心を全て理解できるわけじゃない。

 それはとても複雑で、難しいものだ。

「フィルは今回のライラ様の依頼は私に必要じゃないかと言っていました。この依頼を通して本当になにかわかるのでしょうか」

「アストルムは、いろいろ人たちの想いに触れるべきだと思うんだ」

「それが私に何か影響を与えるのでしょうか?」

「きっとね」

 フィルが言葉を切ると、アストルムも口を噤んだ。

 星の瞬きが聞こえそうな夜空に目を向けて、アストルムに視線を向けて、迷いながらも、フィルは彼女への頼みを口にした。

「明日、ラピズのところにいくよ。あの魔法使いのことだ、たぶんというか絶対に一戦交えることになる。そうなったら、アストルムに頼ることになる」

 フィルが辛さを抑えながら、絞り出すように彼女にそう告げた。

「大丈夫ですよ。ラピズ様と戦闘になることを見越して、夜染めの箱を持ち出したのですよね?」

「アストルムの力を完全に解放するなら夜が必要になるからな。だから、夜染めの箱の準備が必要だよ」

 夜染めの箱。

 フィルが持つ、ハイ・アーティファクトの一つだ。

 その効果は箱の中に夜を保存し、解放することで一定の空間に夜を召喚することだ。

「そうですね」

 アストルムはいつもと変わらずそう答えた。

「ごめんな」

「いえ、私は、そういうものですから、フィルが何かを悩むことはありません」

 その言葉にフィルは少しだけ救われ、そして悲しくなった。

 アストルムは自分のことを「そういうもの」だといった。フィルはアストルムにそんなことを言って欲しくなかった。

 普通の生活を送って欲しい。

 それなのに自分が彼女に頼むことはそれに反する。

「フィル」

 名前を呼び、フィルの手を取り、アストルムに立ち上がるように促される。

 彼女はフィルの右手を両手で包み、真っ直ぐに目を見つめる。

「あなたが苦しんでいることもわかります。ですが、私はあなたに出会った時から感謝しています。だから私のことで悩まないでください。私に出来ることがあるなら、私はそれをあなたのために使いたいのです」

「わかってるんだ……わかってる。だけど、君に頼らないといけない自分に腹が立つ」

「それは……きっと、フィルの優しさです。私のことを気にせず、夜染めの箱と星加護の指輪を使ってください」

 優しい彼女の言葉に、

「ごめ……いや、ありがとう」

 感謝した。

 自分の中にある罪悪感が、彼女の言葉で和らいだ気がした。

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