第1話チャプター3 「つまずいて、起き上がって」2

 竜の大鍋は相変わらずの繁盛っぷりだった。

 フィルたちはいつも通り窓際の席にいた。

 テーブルの上にはいつも通り多くの料理が並んでいるが、アストルム以外は食が余り進んでいなかった。

 フィルとレスリーは食事をしながらも、断想再生機について議論していた。

「少なくともノイズは除去ですよね」

「あれはお前の作った魔導板の品質だ」

 ノイズの要因については既に想定が出来ていた。

 残留魔力を受ける魔導板の魔力経路や設置いている素材が扱いが雑か、もしくは素材そのものが合っていないのだろう。それによって、対象物から転写した残留魔力の一部が欠損したのではないかと考えている。

「うっ……それは……否定できない」

 レスリーが頭を抱えていると、スッとアストルムが手を挙げた。

「私からもいいですか?」

「ああ、今は少しでも意見が欲しい」

 アーティファクトのことに対してアストルムが意見を言うのは珍しい。魔導技士以外からの観点は解決に繋がるかもしれない。

「今回、断想再生機ではレスリー図面から音声を再生しましたよね。それはレスリーが不平不満を言っているものでした。ですが、それは音声を聞いた私たちが感じ取ったものですよね?」

「そうなるな」

「もしも、ノイズが除去されたとして、声が問題無く再生されたとして、それで十分なのでしょうか?」

「どういうこと?」

 レスリーが疑問を挟むと、アストルムは自分が言いたいことをどうやって伝えようかと思案しているようだった。

「そうですね。――レスリー、そのお肉美味しいですか?」

「ええ、うん。美味しいよ」

「では、それをなるべく抑揚なく、フラットに言ってみてください」

 レスリーはアストルムに言われて、なるべく感情をなくして、平坦に言ってみせる。それをもう一度、と何回か繰り返させて、

「こういうことになりませんか?」

「えっと……フラットに、美味しいっていうと美味しそうじゃない?」

「レスリーが言ってるのはだいたい正解だと思う。アストルムが言いたいことは、今の断想再生機では、ノイズを除去してもそこに感情が何もないって言ってるんだな」

 フィルが作った断想再生機は、残留魔力を使って音声を再生してる。再生する内容は残留魔力に残っていた想いである。けれど、アストルムが指摘しているのは、今の出来具合では、あくまで「再生している」だけだと言っているわけだ。

 そこに何の感情もない。

 言葉を発しているだけ。

 レスリーがいうように、例えば「美味しい」という言葉でも、何も感情がなければその美味しさは相手に伝わらない。

 それと同じことが起きている。

「感情というものはよくわかりません。ですが、人間が相手の言葉を受け取るのに重要な情報だと思います。相手が怒っているのか、喜んでいるのか、泣いているのか、楽しんでいるのか、それを知るのに重要なことですね。なので、ライラ様の依頼を達成するには――」

「感情が必要か……」

 再生された音声に何らの形で感情を付け加えないといけない。しかし、それをどうやる? いや、付与ではない。それも残留魔力からどうにか読み出さないといけないのか。

 つまり、感情の再現か。

 最近、それに近いアーティファクトがあったような気がする。

 フィルが記憶を辿りながら、レスリーの方を見た。

「あっ」

 思い出した。

 そうだ、あるじゃないか。

 フィルが零すと、レスリーも気が付いたらしく、言葉が重なった。

「「“君の感情を教えてくん”」」

 レスリーがミランダの依頼をこなすかたわらに作成したアーティファクト、“君の感情を教えてくん”は、対象物の魔力波の揺らぎから感情を判定することができる。

 それを応用すれば、感情表現が出来るかもしれない

「あのアーティファクトの理論を音声に転用できるか?」

「無理無理! 色表現と音声表現はさすがに違い過ぎます!」

 レスリーは頭を両手で押えながら、キツく目を閉じて、『“君の感情を教えてくん”』の図面やそれに用いた魔法理論を思い出しながら、思考してるのだろう。

「少し考えてみましたけど……やっぱり無理だと思います。絵の具で音楽を奏でろって言ってるようなものですよ……」

「もう少し考えてみるか。レスリーは、魔導板を頼む」

「も、もちろんです! ところで……そろそろご飯食べません? もうお腹ペコペコで」

 お腹をさすり空腹を訴える彼女につられるように、フィルのお腹が空腹を訴えた。

「まずは食べるか」

「はい!」

 フィルもレスリーも、ここ数日は根を詰めていたため、ろくに食事を取れていないでいた。そのため久しぶりに口にする肉や魚の美味さが、普段以上に食欲を刺激する。

 肉を、魚を、野菜を、と、口に運ぶ。

「おやぁ、今日はいい食いっぷりじゃないか」

 通り掛かったシアンも、二人の食べっぷりを褒める。

「これから最後の追い込みだから、たくさん食べないと」

「そうだよ、大勝負の前に美味いものをいっぱい食べな!」

 シアンは相変わらずの豪快な笑い声をあげて、バシバシとフィルの背中を叩いて立ち去った。それからしばらくして、フィルたちの食欲が満足したところで、

「やっぱり、ここにいたのね」

 聞き慣れた声がした。

 フィルが振り向くと、ルーシーの姿があった。

 大衆食堂でもその赤い髪と、スラッとしたスタイルは、とても目を引く。

「……なんだよ?」

「そんなに邪険にしなくていいじゃない。――あ、蜂蜜酒一つもらえる?」

 ルーシーは近くを通った店員に注文して、空いている席――フィルの隣――に座った。

「全く……。――アストルム、レスリー、先に帰っていいぞ。こいつとの話は長くなるかもしれないからな」

「ええ……、私はルーシーさんとルゾカエン工房の話をしたかったのに」

「レスリーがいると作成中のアーティファクトについて余分なことを喋りそうなんだよ。アストルム、引きずってでもレスリーを連れて帰ってくれ」

「はい、わかりました。さあ、行きましょう、レスリー。お二人の邪魔です」

「ちょ、ちょっと、アストルムさん離して、離してくだ……え、なんでこんなに力強いんですか!?」

 抗議するレスリーを文字通りアストルムが引きずっていった。

 その光景を見たルーシが、笑い声を漏らした。

「愉快な仲間ね」

「レスリーとは仲良くしてやってくれ。――なにか食べるか?」

 ルーシーが頷くのを確認して、店員に声を掛ける。フィルはメニューを見ながら、サラダやソーセージなどの料理を注文した。

「それで、どうなの?」

「さっそくそれかよ。こっちの事情を知りたいなら、そっちが先に明かしてくれないとフェアじゃないだろ」

 うーん。っとイタズラっぽくルーシーは笑って、口を開いた。

「うちはほぼ終わり。テストも済んで、ライラさんの要望には応えられそうよ。一番大変だったのは、ルゾカエン工房の誰も手伝ってくれなかったことぐらいかしら」

「相変わらず優秀でなにより。俺のところはあと一歩、いや二歩ぐらいかな。どうにか間に合うと思う」

「ふーん。どんなものが出来上がるのか楽しみにしてるわ」

 彼女は蜂蜜酒を煽った。それに合わせるように、フィルも手元のグラスに残っていたビールを飲んだ。

 丁度、そのタイミングで注文していた料理が運ばれてきた。

 ボウルに盛り付けられた色鮮やかなサラダ、ほどよい焼き加減のソーセージ、切り分けられたパンがテーブルに並べられた。

 フィルがサラダやソーセージ、パンを取り分けて、ルーシーに渡す。彼女はお礼を言って、サラダにフォークを刺した。

 フィルはソーセージに口にした。噛んだそばから重厚な肉汁が溢れ出した。しばらくルーシーと雑談を楽しんだ。

 ルーシーは蜂蜜酒で少し酔いが回りつつあるのか、顔が赤く染まってきた。

「あのレスリーとかいう子が、あんたの弟子ってわけ?」

 ルーシーの言葉に、キョトンとして、一拍おいてフィルは笑った。

「違う、違う。弟子じゃないよ。俺は弟子を取るほど、アーティファクト作りが上手いわけじゃないさ」

 レスリーは弟子ではない。

 一ヶ月前にアルスハイム工房で働かせて欲しいと言ってきて、雇っただけだ。

 それでも魔導技士を夢見る彼女に対して、少しぐらいは何かを教えてやれるんじゃないかと思っている。

 けれど、この関係は師弟のようなものではない。

「アレは、仲間だよ。俺もアイツから教わることが多いし、その逆もある。そうやって切磋琢磨してく仲だ」

「それは羨ましいわね。アンタと肩を並べて仕事ができるんて」

「なんだ、もしかして、嫉妬か?」

 からかうような口調で言うと、ルーシーは不満そうな顔をした。

「違うわよ。なんで私が嫉妬しないといけないのよ。男としてアンタを評価はしてないけど、魔導技士としてはある程度は評価してるのよ」

「さらっとひどいこと言ったな。俺はまだまだだよ。当面は、おじいさんがいた高見を目指すことだよ」

 ジェームズ・アルスハイムは、フィルにとって優しい祖父であった。幼い頃の自分は、祖父がどれだけの魔導技士であったかを理解していなかった。祖父が生涯掛けて作ったアーティファクトは未完を見たとき、自分の祖父の偉大さを理解した。もしも、完成していたら、エピック・アーティファクトに認定されていたと思う。未完のアーティファクト、研究、それらは未完故に世間に公表されず、故にジェームズの功績を知るものは少ない。

 アルスハイム工房の一室や工房には、祖父が残した数々の理論やアーティファクトがあるが、フィルはそれらに殆ど手を付けずにいた。いつか自分が自分自身で納得できるほど魔導技士の腕前が上がったときに、未完のままのアーティファクトと研究を完成させたいと思っている。

「私たちだって、まだ魔導技士としては4年目。駆け出しもいいところなのに、アンタみたいに工房を構えてるなんて珍しい」

「俺はおじいさんの工房を引き継いただけだ。イディニア三大工房のルゾカエン工房に入ってるルーシーには敵わないよ」

 魔導技士は専門の学校にいる間に、卒業後に所属する工房を決めることが通例だ。そのため卒業製作のアーティファクトの発表会にはミシュル中の工房が注目し、気に入った生徒がいれば声を掛けていく。そうやってルーシーはルゾカエン工房に所属することになった。一方でフィルは声を掛けてきた工房を全て断って、亡き祖父が営んでいたアルスハイム工房を再開することを選んだ。

「それでレスリーにアストルムのこと話したの?」

 ルーシーが切り出したことに、フィルは首を振った。

「いや」

「はあ?」

 フィルの否定に、呆れ声でルーシーが顔をしかめた。

「いつまで黙ってるつもり?」

「敢えていうことでもないだろ」

「そりゃあ……言いふらすことじゃないけど、話しておいた方がいいんじゃないの?」

「……考えておくよ。ただ、こういうのはタイミングが難しいんだ。それにいきなり話しても、信じないだろ? ルーシーだってそうだったろ?」

「……そうだけど」

「折を見て話すよ。さて、今日は解散にしよう」

 フィルが手を挙げて店員を呼ぶ。

「このテーブルと、あとコイツの蜂蜜酒代も一緒に会計を頼む」

「いいわよ、そんなの自分で出すから」

「このぐらいはさせろって」

 ルーシーの抗議をいなして会計を済ませて、竜の大鍋の外に出る。夜空にはキレイな月と星が輝いている。吹き抜ける風もちょうどよい涼しさを与えてくれる。

 夜もだいぶ遅い時間になっているが、ミシュルの夜はこれから賑やかさを増していく。「送っていかなくて大丈夫か?」

「いいわよ、別に。気持ちだけ受け取っておくわ。アンタ、そういうことを誰にでも言うんじゃないわよ。変な誤解を生むわよ」

 フィルの鼻先に人差し指を突き刺して、ルーシーがジト目で忠告してきた。

「誤解?」

 こんな夜遅くに女性が一人で帰ることを心配して、一体どういう誤解が生まれるのか。それがフィルにはわからない。

 むしろ、一人で帰らせて、なにか遭ったらそっちの方が問題だと思うが……。

 ルーシーは自分が言ったことを、フィルが理解していないと悟ったのか、肩を竦めた。

「理解してないならいい。じゃあ、今日は押しかけて悪かったわね」

「いいよ。また今度飲もうな」

「考えておくわよ」

 ひらひらと手を振るルーシーの小さな背中が、ミシュルの人波に消えるのを見届けて、フィルは工房へと足を向けた。

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