第29話 四人目の相談者『内木帆夏』6

 今度は内木に言う。


「内木は、真剣に想いを伝えるだけでいい。鷺ノ宮に教えてもらったことを踏まえて、今できる全力の想いを伝えれば、それだけで問題ない」

「……分かったぁ!」


 内木が意気込むように頷く。


 多分、片ノ瀬先輩が頑なに内木を拒んでいたのは、彼女が中学三年の自分を知っている人物だからだろう。片ノ瀬先輩にとって、忘れたい時期だろうから。 


 もしくは、内木が「遊び」として付き合いたくないほど、大切だからかもしれない……いや、これは「そうであってほしい」と、俺が願っているだけか。


 俺たちは部室を出て、グラウンドの方へ向かう。


 片ノ瀬先輩が俺と似ているなら、きっと上手くいくはず。

 

 ***


「…………だから、わたしは片ノ瀬先輩が、祐二ゆうじが大好きなのぉ! わたしが周囲の女は排除するから、祐二は本当に自分に必要なわたしだけを見ていられるのぉ! ねぇ、幸せでしょぉ!?」

「そうだな、こんな俺でも、いいのか?」

「こんな祐二だから、いいんだよぉ!」

「……ありがとう、今ままで悪かった」


 片ノ瀬先輩はそう真剣に謝ると、この時を待っていたかのように、内木を抱きしめた。


 最終下校時刻を告げるチャイムと同時にグラウンドから出てきた片ノ瀬先輩は、内木が声をかけに行くと、拒むことなく人気ひとけの無い外階段まで来てくれた。


 俺と鷺ノ宮は隠れるつもりで外階段の四階と三階の間から眺めていたのだが、おそらく片ノ瀬先輩は気づいていただろう。だが、一切気にするような素振りは見せず、そんなことより内木の長い長い、純粋な告白を聞くことに集中していた。


 そして、片ノ瀬先輩と内木は今、結ばれた。俺には片ノ瀬先輩が、告白を聞く前から内木を選んでいたように思えた。


「なんやかんや、上手くいって良かったです!」


 鷺ノ宮が弾んだ調子で話しかけてきた。

 しかし、俺は素直に明るい返事はできない。


「そうだな……本当に今回はすまなかった」


 最初から俺が鷺ノ宮に全て話していたら、ここまで周りくどくはなってなかったはずだ。


「だから、それはもういいですって!」

「……ああ」


 引け目を感じつつそう答えて、俺は鷺ノ宮と校舎の中へ戻る。


 部室へ向かって歩いていると、突然、それは起こった。


「私たちもこんなに愛し合っているのに、なんで付き合わないんですかね〜?」


 どうやったらそういう思考になるのだろうか。上目遣いでそう言った鷺ノ宮が、俺の背後に回って抱きついてのだ。


 なので、一度立ち止まる。


 背後からは鷺ノ宮の二つのデカい物体の柔らかい感触がある。


 いくら鷺ノ宮とはいえ、思いっきり抱きついてきたのは初めてな気がする。


「おい、急にどうした?」

「フッフッフー!」


 何かを企んでいるように笑い出した。


「なんだ?」

「先輩が私に負い目を感じてる今こそ、私も告白すべきかとっ!」


 突然、鷺ノ宮が俺をより強く抱きしめた。彼女の心音が伝わってくる。


「あ、そうだ。高校に入ってから私、頑張って我慢してるんですよ? いいかげん褒めてください」

「何のこと……あー」


 すぐに思い至った。多分、深夜にラインを送ってくることをやめてることだろう。

 取り敢えず、褒めてはおく。


「偉いなー。助かってるわー」

「なんで棒読みなんですかー!」

「え、だって逆に、やめてくれないと俺、毎日徹夜で死んじゃうし……」

「……まぁ、確かにそうですけど」


 渋々認める鷺ノ宮。多少は自覚しているようだ。


 一つ、疑問がある。


「でもなんで、深夜のラインをやめてくれるようになったんだ?」


 鷺ノ宮の体がビクッと動いた。そして、先程までとは打って変わって、真剣な声音で話し出す。


「そのことについて先輩に注意された中学の時は……、私はダメなことだと分かっていてもどうしても先輩と繋がっていないと不安で……、やめられませんでした。本当にごめんなさい」


 鷺ノ宮は本当に反省しているようだった。そしてそのまま、結論を言う。


「……だから、それをやめたら、先輩は私と付き合ってくれると思ったんですよ」


 俺の体から、彼女の手が弱々しく離れかける。


「でも、それだけじゃだめみたいですね。もっと頑張らないと……」


 俺の心臓の鼓動が早くなった。


「付き合ってやるよ、鷺ノ宮」


 そう言って俺は、彼女の離れる手を掴んで引き戻す。


「え、先輩!?」


 俺と鷺ノ宮の鼓動が、重なった。


「嫌か?」

「そうじゃないです!」


 鷺ノ宮が大きく首を横に振ったのが、背中の感触で分かった。


 それが止まると、彼女の疑問に満ちた声が聞こえてくる。


「でも、先輩こそどうして急に?」

「そうだなぁ……」


 急なんかではない。岩野も、笹田も、葉川も、ヤンデレの狂気に満ちた作戦にやられたが、俺はそれを二年以上も受けていた。


 心が揺れないわけがない。


 それはどこかきっと、片ノ瀬先輩もそうだと思う。


 だが、中学三年の時は鷺ノ宮の俺への異常な執着にうんざりして、逃げるように中原中央高校に入った。


 その高校で再び鷺ノ宮と再会した時は、中学の頃のトラウマや今の平穏なぼっちライフが壊れることを想像して、恐怖が他の感情を上回っていた。


 鷺ノ宮に支配されかけた俺の心は、別の感情で塗りたくられていた。


 だが、ここ一ヶ月ちょっと過ごしてみて分かった。


 悔しいが、やっぱり俺は好きなようだ。鷺ノ宮のことが。


 好きにさせられたようだ。


「鷺ノ宮がちゃんと自分自身のことを分かってるって、知れたからかな」

「……」


 背後では、鷺ノ宮が無言で泣くのを堪えている。


「確かにお前のことは、迷惑に思ったり、恐怖に思ってることの方が多かった。今でもそうかもしれない」

「ちょ、先輩……」


 拍子抜けした声が聞こえてきた。でも、彼女が俺を抱きしめる力は抜けない。


「だけど、お前のせいで好きにもなっちまったんだよ、お前のことを」

「……嬉しい」


 俺の背中が、鷺ノ宮の涙で濡れた。

 そして彼女は一度手を離し、今度は俺の正面にやってきて抱きつこうとしてくる。


 俺は鷺ノ宮の肩を掴んでそれを一旦止めた。


「ちょっと待った。深夜にラインしてくんのは今後もやめること、いいな?」

「なんか……、守れる気はしませんけど、……ちゃんと善処します!」


 彼女の目は、本気だった。


「善処か……。それでもいいか」


 俺の手の力が抜ける。

 すると、鷺ノ宮が今度こそ抱きついて来た。ものすごい勢いと共に。


「やっと……、ちゃんと振り向いてもらえた! ありがとう……、本当に……、ありがとう! 大好き、先輩!」


 彼女は嗚咽を堪えながら、一言づつ、噛み締めるようにして言葉を紡いでいた。


 俺も鷺ノ宮を強く抱きしめる。女の子らしい華奢な体。今までどんなものからも感じたことのない暖かさが、ここにはあった。


 この瞬間を、俺たちは決して忘れることはないだろう。


 目の前に続く廊下は、美しい斜陽に照らされていた。


 ***


 校門を出ると、陽はかなり沈んで、辺りは暗くなり初めていた。腕時計の針は、六時二十分を示している。


 俺が手を繋ごうか迷っていると、鷺ノ宮の方から強引に恋人繋ぎをしてきた。


 初々しさのかけらもない。


 でも、それはそれでいいと思えた。


 俺たちらしい、かなりズレた会話をしながら歩を進めていると、気づけばもう大通りに出ていた。行き来する何台もの車、道沿いに並ぶ数々の店から放たれる電光掲示板の光、大勢の通行人。


 一気に、周囲が騒がしくなる。今は何故か、全く気にならないが。


 道路を挟んだ向かい側には、ショッピングモールがある。


 今日は隣に鷺ノ宮がいることに、心から安心した。


 さて、ここで今日もお別れだ。


 ちなみに、俺は鷺ノ宮の家がどこにあるのかは知らない。何故か、鷺ノ宮は俺の家を知っている気がするが……思い出した。俺、こいつにストーキングされてるかもしれないんだった。


 でも、もう付き合ってるんだし、たとえ今までされてたとしても、今後はされることはないだろうから気にしなくていいか。


 今からショッピングモールにでも二人で寄りたい気持ちは山々なのだが、今日はもう精神的に疲れ果てている。


 デートはまた今度だ。


「じゃあ俺、こっちだから。また明日な」


 俺はここからでも小さく見える、左に進んだところにあるマンションを指さした。

 しかし、鷺ノ宮は俺の手を離さない。


「鷺ノ宮?」

「実は私も、あそこのマンションに住んでるんです」

「え?」

「ビックリしました?」


 悪戯っぽい声で俺を見上げてくる鷺ノ宮。


「いや……、ビックリも何も、なんで今まで気づかなかったんだろうって……」


 それなら普通、中学の頃に気づいていたはずだ。確か鷺ノ宮は中学の時、校門前で別れて、全く別方向に帰っていた気が……。


 ふと、鷺ノ宮がすっと視線を逸らした。しまったという顔をしている。

 

 そして、それを誤魔化すように、あからさまに強く、手を引っ張ってきた。


「な、なんででしょうね〜。さ、帰りましょう!」

「おい、ちょっと待て」

「げ……」


 俺が引っ張られるのを全力で拒むと、鷺ノ宮が冷や汗を流し始めた。なんか色々と予想ができてきた。 


「……全部言ってみ」

「何を言っても、私のこと嫌いになりません?」


 心底不安そうだ。だが、それは杞憂である。


「ああ、それは大丈夫。大抵のことはもう慣れた」

「な、慣れましたか……」


 鷺ノ宮が、後ろめたそうに言う。そして、そのまま続けた。


「実はですね、私、先輩の向かいの号棟なので、自分の部屋から先輩の部屋が見えるんです。……なので、中学の頃から毎日覗いてました」

「ほう……。で、なんで俺は鷺ノ宮がずっと向かいのマンションに住んでたことを知らないんだ?」

「知られたら、先輩がカーテンを閉めてしまうと思ったので、敢えて隠してました」

「やっぱそんな理由か……」


 行き帰りは遠回りをして、俺に会わないようにしていたのだろう。


 俺は呆れたようにため息を吐いてから、鷺ノ宮の頭に空いてる手をのせて、優しく撫でた。


「よく言ってくれたな。でも、もうこれからはやめろよ」

「え? ……まぁ、はい」


 異常なほどしょんぼりした声だった。俺の部屋を覗くのが、習慣化してしまっているのか。


 そんなことはもう、しなくていいのに。


「そんなに落ち込むなよ、これからは覗くんじゃなくて、直接来ればいいだろ?」

「……はい!」


 俺が何となしに言った提案に、鷺ノ宮が満面の笑みで頷いてくれた。喜んでくれたならそれでいい。だけど、深夜とかには来ないでね。


「よし、帰るか!」

「帰りましょう!」


 俺たちは手をギュッと握り直し、到着点がほぼ同じな、お互いの家路についた。


 夜空が夜景より輝いて見える。


 心から幸せだと思えた。


 恋愛コンサルティングは新しい関係になった俺と鷺ノ宮が、これからも相談者をヤンデレに変えていく。


 ヤンデレが教える恋愛相談室は、新たな一歩を踏み出した。


 ***


 翌日、五月二十一日、水曜日。


 インターホンが鳴ったので開けると、そこには鷺ノ宮が立っている。

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