第136話怨霊編・真その3

 そこには1人の男と1人の女がいた。男は女にずっと頭を下げている。女は腕組んだまま、威圧的な態度で男を見下している。挙げ句の果てには女は男を蹴り出した。

 それでも男は抵抗しない。それを、俺は黙って見ているだけだった。

 ああーー。なんでこんなことになっているんだろう。俺は幼いながらにもそう思っていた。

 どうして、この人たちはこんなにも仲が悪いんだ? どうして、俺を無視しているんだ? どうしてーー


 2人とも、この世界からいなくなってしまったんだ?


「ーー!」


 声、か? どこか遠くから声がする。聞きなれたような声だ。


「ぉーー!」


 その声は頭の中に響いてくる。俺を呼んでいるのか?


「ーー」


 俺はその声に反応しようと目の前にいる2人から目をそらす。


「おい!!」


 振り返ったそこには。


 1



「うおわ!!」


 バッと布団から起き上がった。


 今のは……夢、か? なんだかとても嫌な夢だった。思い出したくない、嫌な夢を見た。


(おいどうしたよ。随分とビビってんじゃねーか。何か悪い夢でもみたんか?)


 頭の中に声がする。さっきの声もどこか近しいものを感じた。


「い、いや。別に大したことはない」


 嘘だ。実際には嫌な夢を見た。出来ればもう2度と見たくはない。


(ふーん。それよりお前、今何時かわかってるか?)


「へ?」


 言われて俺はすぐに時間を確認した。10月1日。午後1時。時計を確認した俺は、死を覚悟した。


「やべぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!! 殺されるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」


 急いで俺は着替える。なんてことだ。まさかこんな時間に目を覚ましてしまうだなんて。


(あーあ。死んだな)


「黙れっ!! ってかお前起こせよ!」


(いやいや。俺結構声かけたぜ?)


 今更嘆いても仕方がない。俺は超高速で支度を済ませ家を出る。

 待ち合わせの時間は1時10分に来遊駅だ。全力で走ればなんとかギリギリ間に合うはずだ。


「うおおおおおおおお!! 頼む!! 間に合え!!」


 とにかく全力で走った。遅れたら俺に待ち受けるのは。『死』のみだ。

 途中、何人もの人に見られた。しかしそれを無視して俺は走る。あと少し、あと少しだ!


(お、見えてきたな)


 なんとか来遊駅が見えてくる。そしてギリギリセーフで待ち合わせ場所にたどり着いた。

 時刻は9分。本当にギリギリの戦いだった。


「はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った……」


「おはよう」


 と、おもむろに背後から声がする。俺が振り返るとそこには、ツインテールの髪型をした1人の女の子が立っていた。そして、いつもよりもオシャレをしていた。うん、可愛い。


「お、おはよう天理」


「剛。なんでそんなに息を切らしてるの? もしかして走った?」


 天理は首を傾げる。俺と違って息を切らしてはいないし冷静だ。それはそうだろう。なにせ天理は走ってきたわけではないのだから。


「ま、まあな。ちょっとギリギリになっちまってな!」


「そうなんだー。どうする? 少し休んでく?」


 そう提案してくれる天理は天使に見えた。だけど休んでいる時間もあまりなかった。


「いや、バスの時間もあるし……大丈夫だ」


「そう? ならいいけど……」


 天理は少しだけ心配そうに俺を見る。


(はー、いいよなお前ばっか心配されて)


「ベロスが俺も心配しろだって」


「え? それじゃあどうして欲しい?」


 と、にやっとして俺に近寄る天理。また始まった。


「え……て、天理! ば、場所を考えろよっ!」


「ふふ。剛のいじわる」


 天理は俺から少し離れてなぜかそこでくるっと一回転した。その時にスカートがふわっとなびくのに気づいた。


「天理。スカートなんて珍しいな」


 天理は私服ではあまりスカートは履かない。だから珍しく思ったのだ。


「気づいたー? ちょーっと気合い入れてみたんだけど、どうかな?」


 真っ白な花柄のスカートだ。うん、とても似合っている。


「似合ってるよ。すっごくな」


「やった!」


 天理はその場でガッツポーズをした。


(はいはいイチャイチャしやがって)


 ベロスは何やら嫉妬しているらしい。まあそれはいいか。


「剛。忘れ物はないよね?」


 そう言われて俺は荷物を確認する。慌てて来てしまったが忘れ物はないだろうか?

 カバンの中を見てみるが、忘れ物はなかった。前日に準備しておいた甲斐があった。

 今日、俺と天理は2人で出掛けることになっていた。来遊市を出て少し離れた所にある有名な絶景スポットを目指して、俺たちは出発しようとしていたのだ。


「楽しみだねー」


 天理は俺の手を握ってきた。彼女が嬉しそうにしてくれるのは俺も嬉しい。

 もともと絶景スポットに行こうと言い出したのも天理だった。せっかくだし行ってみようということになったのだ。


「ああ! 俺は食事も気になってるぞ」


 そこは食事も有名であり、遠くからわざわざやってくる人もいるぐらいだと聞く。


「そうだねー。私も……」


 と、はしゃいでいた天理が急に静かになる。どうしたのだろうか?


「天理?」


 なんだか表情が暗い。何かまずいことでも言ってしまったのだろうか?


「大丈夫か? なんか俺変なこと言っちゃったか?」


「ううん、違うよ」


 天理は普通に答えた。だとしたら本当にどうしたのだろう?


「ただね。今、私はすごく幸せだなって。私のように幸せになれた人もいるけど、なれなかった人もいるって思うと……なんかね」


 天理は徐に暗い顔をした。らしくないな。本当に何かあったのか?


「天理? どうしたんだ?」


「ごめん。変なこと言っちゃったね。私、生きてるだけで充分幸せだよね。この歳まで生きれなかった人だっているのに……」


「……?」


 ますますわからない。なんで急にそんなことを言い出したんだ?


(ははん。これは何かあったな)


 ベロスは意味ありげに答える。何かってなんだよ。


「ねえ剛。1つだけいいかな」


 何か、を考えていたら天理が俺を見て言った。


「実はね、今朝……少しだけ怖い夢を見たの」


「……え」


「あまり考えたくない嫌な夢。なんでそんなものを急に見たのかはわからないけれど、すごく嫌だったし怖かった。だからかな? そんなことを急に考えちゃったのは」


 同じだ。天理も俺と同じく嫌な夢を見ていた。偶然か? それならいいんだけど……


「そうか。ならそんな怖い思いは今日で忘れちまおうぜ!」


 俺も同じく嫌な夢を見たが、それはあえて言わずに今日を楽しむことだけを考えることにした。


「……そう、だね。そうだよね。楽しめるうちに楽しんでおかないとね!」


 天理は俺の腕にしがみついた。腕には柔らかい感触がある。


(うおおおお!! ったくお前はそうやっていつも……!)


 勝手にテンションが上がっているベロスは放っておこう。しかし天理の不安もわかる。それは俺も同じ経験をしたからだ。

 だけど今日は楽しもう。せっかくの機会なのだ。あんな怖い夢はさっさと忘れてしまおう。

 そうして俺たちは出発の時を待つ。今日という日が、楽しい1日であることを信じて。

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