法則性は全く気付きませんでした。
小説には予定調和と言いますか、そう言ったものが多少は入るのは致し方なし、と言った所もあるでしょうね。自然のままに・ノンフィクションに近い話を書いても起伏に乏しいだけですし。
怖い物と言えば、実は斑猫は
・この物語はフィクションです
・無断転載は禁止です
と言った注意書きの文言が、子供の頃非常に怖かったんですね。理由は定かではありませんが。
それらの文言に対する恐怖心が薄れたのかよく解らないままいたんですが、高校生になったころに「言うて自分は小説を書いてるし、そうした言葉のお世話になる立場じゃないか」と悟ったのです。
世の中って不思議ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうなんですよね。ある程度、お約束に則って書かないと誰にも理解されないものになるだけです。ノンフィクションでも、どこに焦点を当てるか、どう山場を持ってくるかは考えなきゃいけないですし。
厳格なルールが恐ろしかったのでしょうか。それは必要な感覚かもしれません。
ルールは基本的にみんなを守るためのものですから、ある程度は依存する必要があるんですよね。
クトゥルフお母さん食堂のギミックには気づいてなかったですね~。
一番の驚きは麓郎氏がメガネ男子だったことでした。
まさか壮絶な死にざまの傍らには常にメガネがあったとは! という、それまで想像していた死にざまにメガネを付け加えることでまた違った味わいが。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
16話刻みで外なる神の主神が出てきたり、12話刻みで妹が出てきたりって感じでした。でも、一番の驚きがそこでしたか汗。
ぜひ、眼鏡なしバージョンと眼鏡ありバージョンで読み比べしてみてください!