応援コメント

食べて美味けりゃ怖くないのか」への応援コメント

  • コメント失礼します。
    クトゥルフ神話、ニャル様の作品を読んで初めて、その存在を知りました。
    クトゥルフお母さん食堂も、人間牧場の兼平さんも面白く読むことができました。
    今後、またクトゥルフ神話をモチーフにした作品を書かれることがありましたら、是非読みたいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    クトゥルフ神話に触れるきっかけになり、光栄な思います。楽しんでいただけましたら何よりのことです。
    クトゥルフ神話をテーマにした小説はまた書くと思いますが、コレクションにまとめてもありますので、気が向いたら読んでいただけると嬉しいです。

  • 牛牧場も養豚場も養鶏場も、現場で働いてるヒト以外の一般人は畜産されている生き物を食材としか見ていない恐怖

    増やせるものは生命を軽く見る風潮ですな

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    捕食者の恐怖、人間性喪失の恐怖、生命軽視の恐怖ですね。
    とはいえ、いちいち感情移入していたら肉の提供なんてできなくなります。仕事として割り切ってやってくのが健康的なのでしょう。

  • 魔界水滸伝で初めてクトゥルフ神話の神々に触れ、ラブクラフトの短編は読んではいるものの次にクトゥルフ的なものに再会したのが「這い寄れ!ニャル子さん」だった私は何も言えません。
    とはいえ、ラブクラフトの怖さは日野日出志のマンガの怖さというか、人間が訳のわからんものに変わるというのが私にとっては一番の恐怖でした。
    タコになっても怖いよ。
    なった話はないですけど。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「魔界水滸伝」は大長編ですね。(栗本薫作品はどれも大長編ですけど)
    ニャル子さんはキャラクターは面白いと思うのですが、ニャルラトホテプなのに何も考えてないのはどうなんだという印象でした。(一巻しか読んでませんけど)
    「インスマウスの影」が代表的ですけど、自分の姿が変わるというのはひとつの恐怖ですよね。整形になんとなく怖いイメージがあるのも、そうした恐怖感の刷り込みがあるのかもしれません。顔が変わるだけでも怖いです。

  • 私が怖いなぁと思うのは、捕食するという行為ではなく、育てて食べるという仕組みでしょうか。
    短編を書くにあたり、現存する鶏の個体数を調べて驚愕しました。
    しかも彼らの多くは孵化と同時に選別され廃棄されるのです。
    個として、勝ち組なのか最大の被害者なのかわけがわかりませんね。

    と同時に、我々もこの星の上で増やされているのかも、と戦々恐々としています。
    収穫されるとしても苦しまずに逝けたら本望です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    家畜であることへの恐怖と、家畜の存在そのものへの恐怖でしょうか。
    苦しんで生きるくらいなら、最初から生まれなければ良かった、みたいな論にも発展しそうですね。生物として見れば、一時的にとはいえ、家畜ほど優遇された存在もないですけど。
    地球に生きる哺乳生物としては、今一瞬の時間をせいぜい楽しんでおくくらいしかできませんね。

  •  或いはもしかしたら、ラヴクラフト先生がタコや魚介類を恐れていたという記録からもそうした説が出てきたのかもしれませんね。もっとも欧米人がタコやイカを恐れるのはそう珍しくない事なんですが……
     余談ですが日本の伝承でタコにまつわる怖い話は何故か少ないです。大きなタコの足を一日一本ずつ切って食べていた人が、八日目に「タコの足は美味しいんか?」とタコに問われてたまげた話ですとか、タコを煮るつもりで坊さんを煮てしまった話とかですかね。
    ……どっちにしろタコを食べようとする話ですね。
     とはいえ、何故か日本(あと中国)って妖怪を捕食する話が地味に多いんですよ。雷獣とか食べたら美味しかったとかありますし、九尾の狐も食べれば呪詛や蠱毒に侵されないとあります(これは中国)し……

     やっぱり怖いのは人間って事ですね(強引)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ラヴクラフトが海産物を恐れたというのはそれはそうだとは思うのですが、それ以上に海を恐れてたんじゃないかと思うんですよね。
    夜の海は眺めてるだけでも恐ろしいものですが、そこに巨大な生物が沈んでいると考えると身の毛もよだつ恐怖があります。

    タコに関してそんなお話があるんですね。タコにしろ妖怪にしろ、食べれば美味しいのには間違いないですから。
    人間が怖いというのは、近い価値観でありながら少し違うという、不気味の谷みたいな感覚なのでしょうか。