坂の上の雲の正岡子規しか知らないのですが、秋山真之と鎌倉だったかまで歩いてった話とか、物凄くアグレッシブな方ですね。死病を患いつつも明るさを失わない精神力には憧れましたが、絶対にこうはできない、とも思いました。私は弱いので絶対にぐちぐち後ろ向きなことばかり言いそうです。
ゴリラーマン読んでましたが、正岡子規の野球俳句出てましたっけ?
「痛いよ、香織ちゃん」しか覚えてません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「坂の上の雲」の正岡子規もいいですよね。司馬遼太郎は結構キャラクターを作る人なので、正岡子規もこんなめちゃくちゃな人じゃないんだろうと思っていました。それが、夏目漱石や高浜虚子の随筆を読むと、まんまめちゃくちゃな人でビビります。
ひたすら前向きで負けん気の強い姿にはとても憧れます。
「ゴリラーマン」の野球編は各話のサブタイトルが正岡子規の短歌や俳句から取っているのです。
「夏草やベースボールの人遠し」「いまやかの三つのベースに人満ちて」「そぞろに胸の打ち騒ぐかな」なんかですね。
編集済
ブッダは大分いじられていて、シャカRUSHなんてパチンコ台すらある始末ですが。
とはいえ、私の名前は元々はニャルラトホテフだったり、nyarlathoteq(ニャルラトテッキュ)だったりで、実はそのまま名乗っているわけではない?
⁂私は猫好きだから(=^・^=)猫ちゃんから取ったのかな~と思っていました。
正岡まさおか常規つねのり。幼名は処之助ところのすけから升のぼるに。
雅号に、子規しき、獺祭書屋主人だっさいしょおくしゅじん、竹の里人さとびと、香雲こううん、地風升ちふうしょう、越智おち処之助などがあり、正岡子規の名で知られています。
伊予国(現在の愛媛県松山市)にて松山藩士の長男として生まれますが、明治維新の煽りを受けて家は没落しました。それでも、親戚中の英才教育を受け、上京して、東大予備門、帝国大学へと進学します。この経歴はエリートコースといっていいのですが、のちに落第。この時期から結核を患いました。
⁂正岡子規はそんな人だったのですね。
東大予備門では夏目漱石と同級生だったんだ⁈
勉強になります!
⁂アアア…大蔵ね~⁈
これからどうなって行く事か………?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ラヴクラフトは猫好きだったので、作品にも猫がたくさん出てきますが、ニャルラトテップの「ニャル」「ニャー」は日本人の感性による音読なので、実は関係ないのです。
夏目漱石が正岡子規と出会わなければ、「吾輩は猫である」を書くきっかけも生まれないし、「坊ちゃん」を書く動機もなかったので、縁というのは不思議なものです。
あのね!さんの「家族の肖像」の続き、楽しみにしています。
ゴリラーマンといえば、ゴリラーマン40が始まりましたね。
相変わらず面白いですが、相変わらず喋りませんね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「ゴリラーマン40」も面白いですね。「BECK」の途中から読まなくなってましたが、ハロルド作石の面白さは健在でした。