第4話 4日目 三十路男、子供を預かる
独身は不幸だろうか?
子供が持てないことは不幸だろうか?
そんな事はあるまい。
と、心底から思っていた。
「オジサンは、お仕事行かないの?」
そう言われて、なんとも決まりの悪い思いをした。
在宅の事務仕事が、仕事でないとは思わない。
その仕事で私は給料をもらっていて、生活できているのだから、もちろん在宅の事務だとて、立派な仕事で。そも職に貴賤無しと、私は本心から思うのである。
仕事に良し悪しはなく、間違いなく給料が貰えるのであれば、後は私が『どの程度の苦労を許容できるか』の差でしかない。
だから、仕事は何でも良い。飯が食えて、小説を書く時間があって。それだけあれば十二分である。
「ねえねえ」
しかし、私の思う所がどうだとしても、この五歳の小さな子供に、私の思う仕事とは何たるかを説明したとして、理解できるはずもない。
実際頑張って説明してみはしたたのだが、どうも私の話は面白くなかったらしく、ねえねえそんなことより。とまあ、私の肩と心持はしょんぼりとしてしまったのである。
五歳の子供にしてみれば、私の古い友人でもある子供の父親と同じように、朝に家を出なければ仕事でないのだ。
たしかに、知らないことは分からない。
分からないことは面倒で、楽しくはない。
楽しくないことは、やりたくないものである。
子供は素直だ。
「ねえねえこっち見て」
知りもしない誰かの仕事より、自分が楽しいのが最優先。
羨ましい。
「あのさぁ僕ね」
いつでも、なんどでも。
人の都合など知らない。
子供は他人に興味がない。
でなければ、遊びに誘われたはずの私が、別の遊びを始めた子供を尻目に、肩を下ろして『お片付け』をしている筈がない。
二人で始めたはずの遊びの始末を自分一人でつけると、中々に惨めな思いがすることを、私は初めて知った。
そうか。オジサンと遊ぶのは、思ったよりもつまらなかったか。ごめんね。
その惨めさ、胸が苦しくなるほどの理不尽感は、言うなれば首吊りと変わらないに違いない。
今どきの子供はきっと、オジサンと遊ぶよりもタブレットでYouTubeを見る方が、きっと楽しいのだろう。
考えれば当然だ。
オジサンは仕事がしたい。子供と遊びたい気分な訳でもないし、見る人を楽しませるのが仕事のエンターテイナーとも、また違う。
まして、自分の子供でもない。古い友人の子供は、どこまで行っても古い友人の子供であって、私の友人ではないし、子供の世話を見る仕事を開業した覚えもない。
「子供は好きなつもりだったのだけれど」
口の中で飲み込むように言った言葉は、思ったよりも漏れていたのかも知れなかった。
「ねえねえみて」
友人の子供が、言うなれば全くの知らない子供が、笑顔で私の膝の上に座る。
現金な物だ。
いや、子供の話ではなく。
私がだ。
独身は不幸だろうか?
子供が持てないことは不幸だろうか?
どんな体験をしても『そうだ』と言えない私はきっと、素直な子供ではないのだろう。
そりゃそうだ。三十路も過ぎれば、普通は『いい大人』である。
それに、独身三十路男が小さい子供を預かるなんて、まるで夢物語のようではないか。
三十路の家出 乾縫 @inui_nui_
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