第8話 売れ残りの奴隷ティアナ

 私の髪の毛をつかんでいる男が後ろに向かってだみ声を出す。

「ボス。時間の無駄ですぜ。こんなガキ買おうなんて酔狂な客いませんよ」

「年一回の感謝祭なら財布のひもが緩んだのがいるかと期待したんだが」

「もう、いいじゃないすか。こいつは餌ってことで。さっさと店じまいして俺たちも祭りにくりだしましょうよ」

 その時、周囲とは雰囲気の違う男の人が近づいてきた。

 真っ赤な顔をして目だけをぎょろぎょろさせてフラフラと歩いている。

 私は自然と身をこわばらせた。

 憂さ晴らしに私たちにひどいことを言ってからかったり、ごみを投げてよこすような人もいる。この人もそうかもしれない。

「おい。一応売りもんなんだ。金もねえのに近づくんじゃねえ」

 私の髪の毛をつかんでいた男が手を放して前に出る。

「あん? 金がねえだと。てめえ、どこに目つけてやがんだ?」

「まったく、酔っぱらいが。すかんぴんに買えるわけねえだろ」

「……いくらだ?」

「金貨三枚だ。ほら、払えねえだろ。下がった、下がった」

「買った」

「は?」

「だから、買ったと言っている」

 あれよあれよという間に重い鎖が外され、私は面白くなさそうな顔をした男に引き渡された。

 男は私の腕をつかんで、あてがあるのかないのかどんどん歩いていく。

「どいつもこいつもバカにしやがって……。やってやる」

 とっくに希望なんて失っていた私の心は、絶望に黒く塗りつぶされた。

 奴隷は物だ。持ち主が手足を引きちぎろうが全身を切り刻もうが罪には問われない。

 男の横顔を見る。眉間にしわを寄せ、口の端を下げ、機嫌が悪そうだ。

 町はずれの公園に入っていき、城壁のそばのくぼみのところで立ち止まる。

「ああ。クソ眠い」

 男は肩のところを触ってマントを外すと、それをかぶってくぼみに身を横たえた。

 目をつぶるとすぐに軽いいびきをたて始める。

 私は途方に暮れた。

 夜も更けてきて風が出ている。ボロ布がまとわりついているだけの体が冷えた。

 半口を開けて寝ている男の顔は先ほどまでの恐ろしい感じはしない。

 身をかがめると少しは風が当たらないが、それでも寒くて仕方なかった。男に近づくと体からぬくもりを感じる。体を丸めてそばに寄った。

 いびきが止まり、私が顔を上げると男が半眼を向ける。

 とたんにマントがばさっと私にかけられた。

 不意のことに固まっていると、またいびきの音が聞こえ始める。その音を子守唄こもりうたに私も眠りに落ちた。


  ◇  ◇  ◇


 私を買ったハリス様と出会って七日になる。

 私から話しかけない限りあまり口数も多くないし、何を考えているかよく分からない。

 でも、とてもやさしい人だ。私の体も治してくれたし、それに食べ物をきちんと食べさせてくれる。

 あの日、自分では食べずに私にくれた鶏のもも肉はとても美味しかった。もう死んじゃってもいいかなと思えるほど。

 酒場で食べさせてもらった熱々のチーズが乗ったパンもほっぺが落ちそうだった。

 ちゃんとした食事ってこんなに美味しいんだって感動する。

 それらは別格にしても、野宿するときに、ご主人様は自分だけ食べたりはしない。

 パサパサのビスケットと硬くて塩辛い干し肉だけど、ちゃんと私にも分けてくれる。

 こんなものでも今までと比べたら、よっぽどきちんとした食事だった。

 ご主人様が木に登ってりんごを取ってきてくれ、ナイフで器用に皮をむいて手渡してくれたこともある。

 私にも食べ物を分けてくれるというか、ご主人様は自分ではあまり食べないで、私にばかりくれることが多いぐらいだった。

 食べずに小さな容器からお酒を飲んでいたりする。

 飲むと、酔うほどじゃないけれどちょっと目つきが据わった。その時だけはなんか少しだけ値踏みをされているようで不安になる。

 でもご主人様は私のことを殴ったりむち打ったりしない。

 チーズの乗ったパンを食べさせてくれたあの酒場の外で、奴隷商人のところで知り合った女の人はたたかれていた。

 可哀かわいそうだとも思ったし、いけないことだけど、私のご主人様が手をあげる人じゃないことにほっとする。

 あと一日で着くと言われて坂道を登っていたら、後ろから奇声が聞こえた。

 醜い顔をしたモンスターが三体、私たちの方に向かってくる。手にはギラギラした剣を持っていた。

 嫌な記憶がよみがえる。

 私がまだ小さかったころ、お父さんはモンスターから私たちをかばったときの傷がもとで死んでしまった。今はご主人様のお陰でだいぶ薄くなったけど、その時についたほおの傷……。

 お父さんよりも細い体のご主人様は、私の手を引いて走り始めた。

 一生懸命に走るけど、いつまでもモンスターが後ろからやってくる。

 繰り返し耳に入ってきた呪いの声が頭の中でこだまする。

「あいつも足手まといの娘なんざ差し出せば死なずに済んだのに」

 ご主人様は助けないと。

 もう死んでもいいと思っていた私にこれだけ親切にしてくれたご主人様。

 きちんと恩返しをしなきゃいけないのだけど、それもかなわなさそうだ。

「このままじゃ追いつかれます。私を置いていってください」

 早く。早く。

 あの剣で斬られちゃう。

 ご主人様は私の力じゃびくともしない。

 懇願する私の手をやさしくトントンと叩いてご主人様はモンスターの前に出た。

 がくがくと膝が震えながらも目をやるとモンスターが剣を大きく振りかぶる。私はぎゅっと目をつぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る