第3話 説教

 少女の人形を置いてティールームに着いた高萩は迷いなくその扉を開けた。どうせ、躊躇しようが何も変わらない。


「ハジメ!」


 柔らかく眉を下げて微笑んだ多比良千歳が立ち上がって彼を出迎え、その拍子に結んだ髪がその背で揺れる。

 傷ができる前の高萩に劣らない、優しげな容姿の優男。その顔の特徴は泣き黒子と、金色じみた明るいブラウンの髪と瞳だろう。それは紅茶にミルクと蜂蜜をたっぷり混ぜた鮮やかな色。ひどく珍しいが、染めもしていないことは自然な質感から見てとれた。軽く掻き上げた様な前髪に、後ろは丁寧に伸ばし、白いリボンで緩くまとめている。赤いベストと同色のクロスタイがよく似合う、白いシャツの男。アームバンドがその腕を囲んでいるのが特徴的だった。身長は175といったところだろうが、その身目を損なわず、むしろ引き立てる程度に付いた筋肉に支持された彼はひどく姿勢がいい。そのせいで、見てくれはその顔も相まって実際よりももう幾分かあるように見えた。

 評判は胡散臭い胡散臭いとひどいものだが、その原因は長い髪と泣きぼくろに加えて、笑ったときに細まる目とクッと上がる口の端が悪いんじゃないかと高萩は常々思っているが、口にしたことはない。

 彼は高萩をしばらく待っていたのか、丁度中身の少なくなったティーカップにメイドの長谷川が紅茶を注いでいるところだった。

 1年ぶりに会う友人はお互いにどこか歳をとったとも、何も変わっていないとも見える。


「あぁ。……多比良。」


 お互いに何でもないように挨拶を交わす。

 緩く片手を振りながら席を引いた高萩に合わせ、多比良も仕草で高萩を前の席に座るように案内しながら言った。


「今日もコーヒー?」


 それなりに会っていなかったと言えど、長い付き合いであり、気心も知れている。暗黙の了解もあり会話はいつも通りに進む。……高萩が逃げ回る形で会わないこと自体はさほど珍しいことでもない。今回は少し長かったが。

 多比良の問いにカフェイン中毒の高萩に異存はなく、その上この家のコーヒーは美味しい。軽く頷くようにしてメイドの長谷川に頼んだ。いつも頼むものだ、ある程度用意してあるのだろう。頭を下げた彼女が退出する。と同時に始まりのゴングが鳴った。


「さて、ハジメ。」


 心底面倒臭そうな顔をした高萩はげんなりと椅子に深く沈む。注がれた熱い紅茶を一口口に含んだ多比良は言う。


「久しぶりだね。きてくれて嬉しいよ、僕もう多比良じゃないけどね。青笹おじさんの養子になったから、西園寺千歳だって。そろそろ、チトセと呼んでくれてもいいんじゃないかな?いや今回はそれより怪我をしたって聞いたんだけど?ああもう本当にそんなに大きな怪我を作って……。」

「……。」


 彼は、彼にしては珍しく、責め立て、畳みかけて口を挟ませない。むっつりした唇と寄せ慣れてない眉のせいで歪な表情になっている。

 彼はどちらかと言えば、常に困ったようにニコニコと笑う、胡散臭い、この館の主人、それそのものらしく見える男のはずだった。ひどくお怒りらしい。

 ため息。今回はどこを取っても高萩の劣勢だ。


「……お前が俺の顔をどれほど気に入っていようが構わないが、俺に文句をつけるな。うるせぇよ。」


 高萩は多比良の覗き込むような視線を首を振ることで払いのけ、そのまま肘掛けに頬杖を付いてうんざりした顔の横目で睨む。多比良に自覚はなかったが、傷をじっと見つめ、伸ばすでもない腕を彷徨わせた時だけは、その瞳にどこか芸術品を鑑賞するような色が混ざっていた。

 ……多比良は稀に、友人としてよりも、芸術品として、人の顔を見る時がある。普段は気の合う友人でしかないが、そう言うところが高萩には本当に厄介で面倒な部分だった。高萩は自分の顔にも他人の顔にも興味はない。その悪癖が心から苦手だった。

 高萩の態度に多比良はむすりと唇を歪め、前のめりに語り続ける。


「たしかに君の顔はとても美しいと僕は考えているし、その顔に傷がついたことにも思うところがないわけではないよ。美しいって素敵なことだろう?綺麗なものは手元に欲しいし、美しいものは見ていたい。でも!それと今回の件は別の話だ!!!

 君は僕に、純粋に友を思う心配、をさせてもくれないのかな?大体傷が顔じゃなかったとしてもーーーー。」


 それでも、多比良の声には心配や怒りの感情がこもっていた。高萩も自分で引き剥がしたり、座ってから逃げたりはしないあたり、多比良の言いたいことを理解してもいる。

 彼はいつでも律儀な探偵だった。秘密を握る探偵には、そんな男が向いているのかも知れない。


「大体、僕は人伝に聞いて君の怪我を知ったんだけど?どう言うことなのかな?僕はいつでも怒るような事はしたくないんだけどな?君の口から聞いていればそれこそその大変良い造形の顔に傷をつけたことしか怒らなかったかも知れないけどね?君の傷の深さすら知るのにとても時間がかかったよ。あの事件から何ヶ月経ったのかな?こんな山奥に住んでいる僕が君の事件を知ったのはいつだと思ってい――」

「長い。」

「きみはまたそうやってーーーー」


 後半に行くにつれ、多比良の言葉が熱気を帯びる。数ヶ月来の怒りが再熱したようだった。自らの顔など美しくないとこの場でいくら否定したところで無駄だと言うことを知っている高萩は、苦い顔をするだけになるだけで押し留めた。


 ノック。

 サービスワゴンにコーヒーとお茶請けを載せた長谷川が入室してくる。ワゴンの音以外しない、上品な仕草。

 毒気を抜かれた多比良はため息をこれ見よがしについてから紅茶を飲んだ。長谷川の前では休戦するのが暗黙の了解になっている。これ幸いと高萩は長谷川の方に視線を向け、その給仕を見守ることで友人のことなど意識の外、のフリをした。

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