第百六十四話 わらう魔教主【前】

「キュウ……」

「キュウウッ!」


 呆然とただよう青年の──シアンの意識が、瞬時に引き戻される。


「おっとぉ! 残る『太陽』は、ふたつとなりましたぁ!」

 

 あるいは矢で射られ、あるいはその前に火に飲まれ、頭上に飛び交う烏は、一羽、二羽。

 その鳴き声は特徴的で、どちらもひとまわりちいさい。


 ──こどもだ。子烏だ。


 まだ筋肉と骨格の発達していないからだではうまく飛べず、すぐに射落とされてしまうだろう。

 そうと悟った爽は、憎たらしいほど澄んだ蒼の空を睨みつけながら、この世の不条理に唇を噛む。


「ついに『英雄』の誕生となるのでしょうか!? さぁさぁみなさま、輝かしい瞬間にぜひともお立ち会いを!」


 矢をつがえる此度の挑戦者は、猟師の男だった。


「へへ……これで俺も街一番の有名人だなぁ!」


 確信を得た猟師は、矢じりに烏を捉え、ほくそ笑んだ。

 情け容赦なく放たれる矢。しかれども、子烏の翼を貫く寸前で、キンッとはじかれてしまう。


「はっ……? なんだ、なにが起きた!?」


 ──ベン。


 予想だにしない光景に声を上ずらせる猟師をよそに、どこからか、琵琶の音が鳴りひびく。

 司会の男も異変に気づくが、時すでに遅し。


「これは一体……なっ、ぬわぁああっ!?」


 ──ビュオウッ!


 突風が吹き抜け、お立ち台から転がり落ちる司会の男。

 冷気をまとった衝撃波が、男の背後にあった檻に吹きつけ、木製の格子を切断する。


「カァッ!? カァッ、カァアアッ!」


 強風にひっくり返される檻。ぱかりと半分に口をあけ、もはや役目を成さないそれから、烏たちが飛び立つ。

 数百羽の烏によって黒に塗りつぶされる空を、ひとびとは呆然と見上げるしかない。


 ふと冷たいものにほほをなでられた気がした爽の視界を、粉雪の風に運ばれてきた二羽の子烏がよぎる。

 爽はとっさに、その子烏たちを抱きとめた。


「『命を奪うことは、命を得ることである』──これは弓の教えを請う際、わが父より学んだことだ」


 寒さが厳しい百杜はくとにおいて、冬場は狩りによる生活が主体となる。

 大昔から薬を作り、弓を引き、極寒を耐え忍びながら生き抜いてきたのだ。


 ──その血肉を得、糧とする以外に、決して殺生をしてはならぬ。


 誇り高きザオ一族の教えはみじんも色あせることなく、桃英タオインによってつたえられた。

 これは、梅雪メイシェの記憶。


「ただ興を得るために命を奪う行為が、狩りであるものか。虐殺だ」


 しんと静まり返った広場で、早梅はやめの声だけがひびきわたる。


「──不愉快だ。恥を知れ」


 厳しく言い放つなり、颯爽ときびすを返す早梅。

 白琵琶が霧散し、キラキラと陽光を反射しながら二連の指輪となっておさまった左手で、爽の腕をくいと引く。


「と、いうことで。走るぞ君っ!」

「あの……」

「ついやっちゃったけど目立っちゃったよねぇ! やっばぁ!」

「ちょっ、あんたねぇ! やる前に気づくだろ、普通!」

「きゃーっ! おかーさんに叱られるぅ! 逃げろーっ!」

「だれがお母さんだ、待てやこらぁっ!」

「あのっ……!」


 どうにか呼び止めようにも、ぎゃあぎゃあとさわぐ少年少女にはきこえていない。

 片腕で子烏たちを抱いている爽少女の手をふり払うこともできず、足をもつれさせながら、あとに続くしかない。


 ちいさくて、華奢な少女だった。

 それなのに、心強くて、やさしくて。


(……彼女の名前は、なんというのだろう)


 どうでもいい。なにもかもがどうでもいいと思っていた爽の世界に、突然咲きほこった花。

 

(……知りたい)


 少女という存在が鮮烈に刻まれ、爽はどうしようもなく、泣きたくなる。


 子烏を、多くの烏たちを救った。

 射落とされる『太陽』の運命を変えたこの少女が、どうしようもなく、まぶしかった。

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