第八十五話 氷炎の恋情【前】

 金玲山こんれいざんをつつみ込んだ静けさがゆらぐとき、そこには決まって、弟たちのすがたがある。


「おまえもフオ兄弟のはしくれ。がんばれ、がんばるんだ、飛べ小慧シャオフゥイ!」

「んん、んむぅ~っ!」

「どうだ浮いたか、黒雲ヘイユン!」

「あぁ黒嵐ヘイラン、浮いてる。葉っぱ一枚分くらい」

「あうっ!」

「小慧ー! しっかりしろー!」


 やいのやいのと、にぎやかなほうへ茂みをかき分ければ、真っ先に双子──七番目と八番目の弟、黒嵐と黒雲の姿が、黒皇ヘイファンの目に入る。

 なにやら声援を送っていたが、すぐに黒嵐が絶叫し、黒雲は「あちゃー」と頭をかかえた。

 真っ赤な顔でぱたぱたと翼をはためかせた幼いこどもが、かかとを浮かせたかと思えば、ころんと地面に転がってしまったからだ。


ランユンが、また小慧を転がしている」

「教育熱心だねぇー」

「小慧がうまれるまで、じぶんたちが末っ子だったしね。弟ができてうれしいんでしょ」


 一歩離れた場所から見守る少年らは、三つ子の黒東ヘイドン黒倫ヘイルン黒杏ヘイシンだ。それぞれ四番目、五番目、六番目の弟に当たる。

 弟の成長を見守る弟とは、なんとほほ笑ましい光景だろう。


「おかえりなさいませ、ファン兄上」


 そうこうしていると、ふいに話しかけられた。

 黒皇がすこし視線を脇へはずせば、黒俊ヘイジュンがいる。にっこりと笑み、かかえた洗濯物のなかから手ぬぐいを取り出す。


「『おつとめ』おつかれさまです。今日も盛大な濡れ烏になっておいでで」


 間髪を容れずやってきた黒文ヘイウォンも加え、水滴のしたたる全身を手ぬぐいで、黒皇はもみくちゃにされる。


「お風邪を召されますよ。はい、着替え!」


 最後に黒春ヘイチュンきものを押しつけられ、一丁上がりだ。

 一番目、二番目、三番目の弟であるこの三つ子に限っては、弟より兄の世話をしたがる。


「ありがとう、ごめんね」


 黒皇は礼と素直な謝罪を口にし、袍を受け取る。


金王母こんおうぼさまに、ご報告をしてこようか」


 言いながら、黒俊から黒慧ヘイフゥイまで、九人の弟たちの健やかな姿にほほ笑みをもらし、きびすを返す黒皇だった。



  *  *  *



 黒皇は着替えをすませると、金玲山の西、金瓏宮こんろうきゅうをおとずれる。


 あるじである女神は、紅白の蓮池にかこまれた高殿で、生真面目な烏の報告に茶杯と耳をかたむけていた。


「そうですか。不作の大地に作物が実りましたか。小鳥シャオニャオが下界を照らしてくれたおかげですね」

「もったいないお言葉でございます」

「よくがんばっていますよ。雛鳥だったそなたを昨日のことのように思い出せるのに、時の流れとは早いものです」


 みずからが『娘』として可愛がる女仙が生んだこどもなのだ。金王母が黒皇ら十兄弟の成長を見守るのは、当然のことである。

 事実上の『祖母』である金王母へ、黒皇はしゃんと背をただして向き合う。


「金王母さま、次回の『おつとめ』は、一番目の弟、黒俊に任せようと思います」


 黒皇ら十兄弟は、ただの烏ではない。

 神と仙の血を引く霊鳥、金烏きんうなのだ。

 先日、兄弟全員が陽功ようこうをもつことが判明した。となれば、じぶんたちの役目はおのずと定まる。


 太陽として央原おうげんの広大な大地を照らし、生命の恵みをもたらすこと。それこそが『おつとめ』だ。


 だがそのためには、天界と人界をへだてる『七彩雲海しちさいうんかい』を抜け、下界へおりなければならない。

 これは金玲山を出て金王母の庇護をはずれることでもあり、そのあいだは危険にさらされる可能性もあるため、長子ちょうしである黒皇がおこなってきたのだが。


「そうですね。そろそろ、その時期でしょう」

 

 黒皇ら十兄弟が、一日ごとに交代で下界を照らす。

 ひとまわりするごとに『しゅん』と呼ばれる報告の場をもうけ、上旬、中旬、下旬とちょうど三巡するころ、ひと月を終える。


 ゆくゆくは、とあくまで提案があった段階にとどまっているが、黒皇の進言は理にかなっていると、金王母もすでに承諾している。


「ゆっくりと、時間をかけて、『おつとめ』を教えてあげてくださいね。そのうちに、小慧も立派に成長することでしょう」

「かしこまりまして」


 木王父ちちは、めったなことでは木海ぼっかいを留守にできない。

 母は、黒慧を生んでから床に伏せっている。


(あの子たちは、私が育てる)


 だれに言われずとも、黒皇はそう、自身の胸に誓っていた。


「では、これにて──」

「そうそう、小鳥」


 拱手きょうしゅして辞去の旨を告げようとする黒皇だったが、思い出したような金王母の言葉にさえぎられる。


「このところ瓏池ろうちに足しげく通っているようですが、誰ぞ、いい女性ひとでも見つけましたか?」

「っ……!」


 とたん、目に見えて狼狽ろうばいする黒皇。冷静沈着なこの烏がどもるのは、とてもめずらしいことだ。

 金王母はほほ笑ましさを隠すことなく、おだやかに語りかける。


「宝玉がこすれ合い、玉響たまゆらの音が奏でられるように、想いも共鳴するものです。そのえにしは、そなたにとって必要なもの。手放してはいけませんよ」

「金王母さま、それは……」

「要するに、わたくしは恋する可愛い子らの味方です、ということです。子孫まごの顔が見たいですわ」

「それはさすがに、気が早いかと……」


 そういって、失言だった、と黒皇は頭をかかえる。

 こんなのは、「恋をしている」と認めてしまったようなものではないか。


「……失礼いたします」


 居たたまれなくなる。

 黒皇は逃げるようにして、ほほ笑みを浮かべる金王母の宮を、今度こそ後にした。

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